もてなしの目的
「やあ客人! さあ、そちらに座ってくれ」
その日の夜。部屋どころか店ごと貸し切った高級料理店の一室にて、丸いテーブルの正面に腰掛けたウー将軍が、剣一達にそう声をかけてくる。言われて全員が席に着くと、将軍は透き通ったシャンパングラスを手に持ち、笑顔で口を開く。
「では、まずは乾杯といこうじゃないか。我等の出会いに、乾杯!」
「「「乾杯」」」
その挨拶に、剣一達も手にしたグラスを揺らして応える。ちなみに剣一達が注がれたのは最高級のブドウジュースだ。当然ノンアルコールで、芳醇な甘みのなかに隠れたわずかな渋みが大人の雰囲気を醸し出す逸品である。
「うわ、これメッチャ美味いな」
「本当。甘いジュースを食事と一緒にはどうかと思ったけど、このちょっとだけある苦みがいい感じになってるわね」
「からあげ、美味しい……」
「あーもー、クサナ! 口元がベタベタネ! 料理は一杯あるんだから、少しずつ食べるネ!」
「それ、炒飯を山盛りお皿に取ってる人が言うことじゃないわよ?」
「何言ってるネ、アメリカ! 炒飯は戦争ネ!」
「えぇ……?」
「ちょっとミンミン、もっと静かに食べなさいよ! 恥ずかしいでしょ!」
「ミンミン、うるさい……」
「カーッ! ここには敵しかいないネ! ワタシの味方はこの炒飯だけヨ!」
「あはははは……何かすみません」
「楽しんでもらえているなら構わんよ。買い物の方はそうでもなかったようだしな」
苦笑する剣一に対し、ウー将軍はそう言って薄い笑みを浮かべる。夕食に招待する前、剣一達はデパートにも案内されていた。そこで「自由に使っていい」と渡したブラックカードは、しかし一度も使用されることなく将軍の手元に戻っている。
「少々散財した程度で貸しになるなど考えてはいない。好きにしてくれてよかったのだぞ?」
「別に我慢したとかじゃないんですよ。単にあそこには俺達が欲しくなるようなものはなかったんで、無理に買うのも違うかなぁと」
「……ほう?」
強がりとも思えぬ剣一の言葉に、将軍の目が細められる。
剣一達が案内されたデパートは、上海でも指折りの高級店だ。そこには高級腕時計やハイブランドのバッグ、大粒の宝石をあしらったアクセサリなどなど、誰もが一度は手にしたいと夢見るような品が所狭しと並べられていたのだが……
「なるほど、はした金で買える程度の品には興味がないと? 流石は龍使いだ、なかなかに豪気だな」
「いやいや、そういうのじゃないですよ」
そんな将軍の言葉を、剣一はやんわりと否定する。
デパートに並ぶ商品は、確かに凄かった。だが元々腕時計をする習慣のない剣一にとって、最高級腕時計は「何か格好いいな」とは思っても、高いお金を出してまで自分の腕に巻き付けたいと思うものではない。
それはエルも同じで、高級ブランドのバッグや宝飾品を目にしても「高そうだなー」と思うだけだ。これは二人の周囲には「金銭的価値」を「人間的価値」と見做す者がおらず、歳相応の常識的な物欲しか持っていなかったからである。
更に言うなら軍人であるアリシアにとっても、明らかに身の丈に合わない物品など手に入れても浮くだけ……どころかジミー辺りに散々からかわれる未来しか見えなかったし、クサナに至ってはコンビニで売っているお菓子の方が余程魅力的に感じられる。
唯一ミンミンだけは「欲しいネー! 買ってネー! これ転売したらホテルの宿泊費払っても破産しなくてすむヨー!」とわめいていたが、当然のように全員から無視された結果、誰も何も買わずにデパートを出てしまったのだ。
つまり、これはマーケティングの失敗。剣一達が欲しいと思うものではなく、自分達が価値があると思うものを押しつけてしまったウー将軍の失敗なのだが、金と権力に塗れた魔窟のような場所で、若干四四歳にて将軍にまで上り詰めたウー・シェイヘイだからこそ、そんな発想はこれっぽっちも浮かぶことはなかった。
「呵呵呵! ならば次の機会にこそ、客人を満足させてみせよう。とはいえそれはまた後日。今日のところはどんどん飲んで食ってくれ。
何か追加で欲しいものがあるか? 望むなら酒もあるぞ? ここは日本ではないのだから、気にする必要はない」
中国での飲酒は一八歳からだが、この場でウー将軍が「いい」と言えば、それが法律となる。しかしその勧めを、剣一は軽く手を振って断る。
「いえ、それはいいです。ならこのジュースをお代わりもらえます?」
「いいとも! 『おい、追加を持ってこい!』」
『畏まりました。こちらをどうぞ』
「うむ……さあ飲め客人! 酒でこそないが、こいつも最高級だぞ!」
「あ、どうも」
剣一が差し出したグラスに、薄く白い色のついたジュースが注がれていく。だが剣一がグラスを引き戻すのに、ウー将軍が待ったをかける。
「おっと、待て。こいつを入れねばな」
テーブル脇に置かれていた陶器のなかから、将軍が金粉を摘まんで剣一のグラスのなかにたっぷりと入れる。照明の反射を受け、グラスの中でキラキラと舞い踊る金粉は幻想的かつゴージャスだが、剣一的にはあまり嬉しいサプライズではない。何故なら金粉は、食べても美味しくないからだ。
「さあ飲め客人! 料理もまだまだあるぞ! 『どんどん追加を持ってこい! 金箔や金粉も惜しむなよ!』」
だがそんな剣一の気持ちを、やはり将軍は理解しない。次々やってくる料理に無駄にくっつく金色に若干辟易しつつも食べ進めば、やがて話題も変わってくる。
「時に客人よ。お前は日本での暮らしが窮屈ではないのか?」
「窮屈、ですか? いえ、そんなことはないですけど」
「本当にか? 客人ほどの強者が、下らぬ法律のせいで日銭を稼ぐのにすら苦労しているという情報があるのだが?」
「うぐっ!? それは…………」
完全に図星だったので、剣一は思わず言葉を詰まらせる。するとウーはニヤリと笑い、太い親指で自分の顎の辺りを撫でる。
「我が国に来てくれれば、五龍隊に席を用意しよう。なに、客人の強さがあれば、あっという間に隊長になれるはずだ。そうなれば富も権力も思いのままだぞ?
ああ、勿論家族と一緒で構わん。上海でも北京でも、好きな場所に豪邸を建ててやる」
「ちょっと貴方――」
「部外者は黙っていてもらおう。どうだね客人? 窮屈な日本に留まるより、よほど自由で快適な暮らしができると思うが?」
ギロリと睨んでアリシアの言葉を遮ると、将軍が剣一に持ちかける。だが剣一はまったく考えるそぶりも見せず、その首を横に振った。
「すみません。お誘いは光栄ですけど、お断りさせていただきます」
「……何故だ? 客人は別に、政府の紐付きというわけでもないのだろう? 不利益ばかりを被っているはずなのに、何故日本にこだわる?」
「何故、と言われると困るんですけど……うーん、なんでなんですかね。日本に生まれて日本で育って、家族や友達にも恵まれて……だから、うん。明確にどうとかってわけじゃないんですけど、単純に日本が好きなんです。なので少なくとも今は、海外に引っ越すつもりはありません」
「……それはつまり、もし日本が戦争を起こしたら、客人に不自由を強いている無能な日本政府のために、その力を振るうということかね?」
「戦争!? それは流石にわかんないですけど……えーっと、そうだな。多分ですけど、国を護るっていうよりは、さっき言った通り家族とか友達とか、そういう身近な人を守るためなら戦う、って感じですかね?」
「では国そのものに拘りはないと? もしも中国に生まれていたなら、中国のために戦っていたということだな?」
「そう、なのかな? あー……うー…………?」
まるでもやがかかったように、剣一の思考がぼんやりとしていく。ふらふらと揺れる頭で周囲を見ると、どうやら他の皆もぼんやりしていたり眠ってしまったりしているようだ。
『…………これならば教育次第で役に立つか? おい、こいつらを運び出せ』
『了解しました、将軍閣下』
耐えられない重さに瞼が落ち、剣一の体がテーブルに倒れ込む。その耳に最後にウー将軍の会話が届くのと同時に、剣一の意識は深い闇へと沈んでいくのだった。





