剣一と中国
八月一一日。出発前にやるべき事を全て終えた剣一は、その日中国の地に降り立っていた。一般庶民なら一生縁がないであろうプライベートジェットでの快適な旅を終えて空港に降り立つと、そこでは二〇人ほどの武装した人間と、それらに守られるように立つ、ガッシリとした体格と鬼瓦のような顔つきをした厳つい中年男性が待ち構えていた。
「やぁ客人! 偉大なる中華真民帝国へようこそ。歓迎しますぞ」
「ど、どうも……」
「……………………」
昼の高い太陽の下、大げさに両手を広げて歓迎する男に、剣一は若干引きながら答える。その隣ではいつも強気なエルが、何かに怯えるように無言で剣一に身を寄せている。
中華真民帝国……その成り立ちは建国間もない中華人民共和国において、ダンジョン出現の混迷期に「我こそは秦の始皇帝の血を引く、正当な中国の支配者である」と主張する者が現れ、その革命が成功したことで成立した国である。
国としては若いものの、これまでの中国が築いてきた技術、文化、財産などを継承しているためその力は大きく、また道士、仙人などといったこれまではフィクションの中の存在でしかなかったものをスキルを用いて解析、再現することにある程度成功しており、現代科学とは違う側面を持つ大きな武力を有していることでも知られている。
そしてこの場にいる彼らこそ、その一部。ただ立っているだけで感じられる威圧感に剣一達が居心地悪そうにしていると、クサナとミンミンを伴い最後にタラップを降りて来たアリシアが、皮肉のこもった笑みを浮かべてその口を開いた。
「随分なお出迎えね? まさか五龍を出してくるなんて」
「おや、招いていない客人もいるようだが……わかるのかね?」
「そりゃわかるわよ、中国陸軍の精鋭中の精鋭だもの。でもこの感じだと五番隊? 私達を抑えるには、ちょっと弱すぎるんじゃない?」
挑発するようなアリシアの言葉に、居並ぶ二〇人の精鋭達がわずかに反応する。五龍はその名の通り、一番から五番までの隊がある。数字が若いほど強くなるため、五番隊が一番弱い。
と言っても、それはあくまで「五龍のなかでは最弱」という意味であって、そもそも五龍に選ばれている時点でトップエリートだ。実際アリシアが彼らと戦った場合どうなるかは微妙なところだったが、そこに「剣一」という比較対象が入れば、地球上の全人類をひとまとめにしてなお「弱者」でしかなかった。
「呵呵呵、アメリカの狗はよく吠えるようだ。いや、それとも猿だったか? 野蛮な侵略者の尻を赤くなるまで叩いてやってもいいが、今は正当な客人の相手を優先させてもらおう。
さあ、龍使いの少年と魔国の姫よ、こちらに」
「えっと……?」
何となく険悪に感じられる雰囲気に、剣一が振り返ってアリシアの顔を見た。するとアリシアは小さく肩をすくめて「このまま飛行機に戻るわけにもいかないでしょ?」とばかりに苦笑を浮かべる。
「あー……じゃあ、どうも。蔓木 剣一です」
「アタシはエルピーゾ・プロタ・プリンギピッサ・アトランディアよ」
「私は中国陸軍将軍のウー・シェイヘイだ。宜しく」
差し出された手を、剣一が握る。すると何とも言えないぬるりとした感触が伝わってきて、剣一は思わず顔をしかめてしまった。それはエルも同じだったらしく、離した手をもの凄く拭いたそうにしていたが、流石にそれは失礼だからと右手をブラブラさせている。
「上海で最高のホテルを予約してある。ひとまずはそちらに行って、荷物を置くといいだろう。『おい、客人を案内しろ』」
「『了解しました』ミナサン、コチラドウゾ」
シェイヘイの言葉に、並んでいた軍人の一人が列から外れて歩き出す。剣一達がそれに着いて歩き出すと、別の軍人がミンミンの肩をガッシリ掴んで引き留めた。
『おい、貴様はこっちだ』
『アッハイ! そりゃそうですよね、了解です…………え?』
そのままミンミンが離れていこうとしたが、その服の裾をクサナがギュッと掴む。
「クサナ? 何してるネ?」
「……駄目」
「駄目? 何がネ?」
「駄目……行っちゃ駄目」
「えぇ……? 『あの、これ、どうすれば?』」
頑なに手を離さないクサナに、ミンミンが困って兵士の男に問いかける。すると兵士の男が強引にクサナの手を振り払おうとしたが、それをアリシアが間に入って止める。
「ちょっと! 子供相手にそれは乱暴でしょ! クサナ、どうしたの?」
「ミンミン、一緒に連れてく……お願い」
「……ですって。随分気に入られたわね、ミンミン?」
「うぅ、ちょっと嬉しいのが困るネ。でもワタシだって仕事があるネ。ずっと一緒ってわけには……『あの、本当にどうしたらいいですか?』」
「チッ……『将軍にお伺いする。少し待て』」
困った目を向けてくるミンミンに、軍人の男が小さく舌打ちをしてからシェイヘイの元へと駆けていく。すると車に乗る直前で足を止めたシェイヘイが鋭い視線をミンミンの方へ向け……程なくして軍人の男が戻ってきた。
『特別に同行を許可するとのことだ』
『え、いいんですか!? やった!』
『ただし、ホテルの宿泊費は貴様の給料から天引きになるから、そのつもりでいるように』
『えっ!? ちょ、ちょっと待ってください。今から行くのって、上海の最高級ホテルなんですよね? 一泊幾らなんですか!?』
『そんなこと俺は知らん。その分祖国のために働けるのだから、感謝しろ』
『そんなー!?』
去っていく軍人の背を見送り、ミンミンがガックリと肩を落とす。レヴィの加護……首からさげたイクラ入りの小瓶……によって会話の内容が理解できてしまった剣一は、そんなミンミンの肩をそっと叩いた。
「えっと……ドンマイ?」
「ドンマイじゃないネ! 何でワタシがクサナの我が儘のために、馬鹿高い宿泊費を払わないといけないネ!? おいクサナ、お前本当にどういうつもりネ!」
フルフルフルフル……
ミンミンに詰め寄られるも、クサナはアリシアの影に隠れて首を振るのみ。どう見ても子供を虐めているとしか見えない絵面に、アリシアがたまらず助け船を出す。
「ほら、そのくらいにしときなさい。少しくらいなら私も負担してあげるから」
「本当ネ!? 絶対ヨ! 約束破ったらオマエ達が食事してる時、これ見よがしに水をがぶ飲みするヨ!」
「何よその地味な嫌がらせ……わかったわよ。それじゃケンイチ君にお姫様、そろそろ行きましょうか」
「あ、はい。そうですね。何かスゲー待ってくれてますし」
「アタシまだ何もしてないのに疲れた気がするわ……」
案内役の軍人が無言で直立している様に引け目を感じる剣一と、既に軽くぐったりしているエルが歩き出し、一行がようやく空港から外に出る。その後は最近すっかり見慣れてしまった黒塗りの高級車に乗って移動し、本日の宿泊先となるホテルの前に到着したのだが……
「うわ、でっけー!」
「すっごい豪華ね。全部がキラキラしてるじゃない!」
「あー、このクラスか……やっちゃったかも、予想より大分高そうだなぁ」
「……………………」
「大丈夫ネ? これ本当に大丈夫ネ? ワタシみたいな庶民が中に入ったら警備員につまみ出されるんじゃないカ?」
大きさに感動する者、煌びやかさに感心する者、高級感に苦笑する者、何も言わずジッとしている者……そしてビビリ倒して猫のように背中を丸め、おっかなびっくり歩く者。
そんな五者五様の反応を見せながら、一行はホテルの中へと入っていった。





