父との語らい
美しい母子の抱擁は、ハッと我に返った剣一が周囲の温かい目に気づいたことで終わりを告げた。その後はいい感じにいじられ、張り切った母の久しぶりの手料理に舌鼓を打ち、遅れてやってきたアリシア達も合流して全員からプレゼントを貰ったりと、楽しいときはあっという間に過ぎ去り……
「じゃーね、剣ちゃん」
「またねー」
「おう、またな!」
すっかり日が傾き、空が真っ赤に染まる頃。最後まで残っていた祐二と愛が帰ったことで、剣一宅には静けさが戻ってきた。ここに残ったのは元々住んでいた剣一とドラゴン達を除けば、あと二人だけ。
「さーて、それじゃ後片付けは母さんがやっとくから、アンタは少し休んでていいわよ」
「え、いいの? 俺手伝うよ?」
「アンタは今日の主役でしょ? いいから引っ込んでなさい! あー、ついでに部屋の掃除とかもしておこうかしら? ふふふ、息子の部屋にどんな秘密があるか楽しみね」
「ちょっ、やめろよ! 何もねーから!」
ニヤリと笑う母の顔に、剣一がかなり真剣に抗議の声をあげる。ネット全盛の時代、剣一の部屋に物理的にやましいものがあるわけではないのだが、それはそれとして母親に部屋をいじられるのは精神的に嫌なのだ。
「大丈夫よ、お母さんわかってるから! 剣一がいつも使ってる暗証番号は……」
「マジでやめろよ!? それやったら本当に怒るからな! ったく……」
ただし、スマホやタブレットの中身は別。母に強く念を押すも、息子が母に勝てる道理など何一つない。加えてこれ以上何かしようものなら事態が悪化する未来しか見えなかったので、剣一は猛烈にしょっぱい顔になりながらその場を離れる。すると縁側のところに、父忠蔵が座っている姿が見えた。
「あ、父ちゃん」
「剣一か……母さんは?」
「何か、片付けとかしてる……」
「ははは、そんな顔するな。母さんも久しぶりに剣一の世話が焼けて嬉しいんだよ。ほら、こっち来て座りなさい」
「うん……」
父に促され、剣一も縁台に腰掛ける。すると忠蔵はお盆に乗せていた急須からお茶を注ぎ、剣一に差し出した。
「ありがと。はー、温まるな……」
「夏といえど、日が沈めば冷えてくるからな。本当なら酒を飲み交わしたいところだけど……ま、それは五年後のお楽しみか」
「酒? 酒とお茶だと何か違うの?」
「…………はは、確かに違わないな」
何の気なしの息子の言葉に、意表を突かれたように目を丸くした忠蔵が苦笑する。酒を飲むのは大人の証……自分の中のそんな印象は、古くさいものだとわかったからだ。何せ隣に座る息子は、酒どころか命がけの戦いを日々の生業としているのだから。
「なあ、剣一。お前が冒険者になるって言って家を飛び出した時のこと、覚えてるか?」
「へ? 何だよ突然……そりゃ覚えてるけど」
問われて剣一は、当時のことを思い出す。母には大分強く反対されたが、それを擁護してくれたのが父であり、そのおかげで剣一は冒険者になることができたのだ。それを忘れることなどあるはずもない。
「実はな、父さんも昔は、冒険者になりたかったんだ」
「え、そうなの? 初めて聞いたけど」
「あまり格好いい話じゃないからな。今と違って、父さんの時代は冒険者になるのは難しかったんだ。今みたいに簡単な筆記テストだけじゃなく、かなりしっかりした実技試験とかもあって……それにそもそも、試験を受けられる年齢も違う。
父さんは二〇歳の時に試験を受けて……そこで現実を思い知らされたんだ」
「現実……」
「そうそう。ほら、父さんのスキルって<計算>だろう? 明らかに戦闘に向いてないわけだけど……でも子供の頃はそんな事気にしなかったんだ。『スキルが<計算>だっていうなら、敵の動きや情報の流れ、世界に流れる全てを計算し尽くせば、未来予知だってできるようになる!』みたいなね。
まあ、勿論そんなことはできなくて、普通にボコボコにされたよ」
「あー……」
何処か楽しそうに失敗談を語る父に、剣一は何とも言えない声をあげる。スキルというのは未だに未知の部分が多く、だからこそ忠蔵の言う<計算>スキルを用いた戦闘というのも、不可能ではない。
だが、それを成せるのは類い希なる才能を持つ者か、どれだけ辛酸をなめさせられても諦めない強い意志の持ち主だけ。そして忠蔵はそのどちらでもない、ごく普通の青年でしかなかった。
「そんなわけで冒険者になるのは諦めたけれど、それでも一度は目指した身だ。お前が冒険者に憧れる気持ちも、それがどのくらい厳しい世界であるかも、父さんなりにわかるつもりで……だからお前を応援したんだ。
でも、母さんはそうじゃない。母さんは違う意味で、世界の厳しさを知っている。剣一は母さんに姉がいたことを知ってるかい?」
「えっ!? 母ちゃんに姉ちゃんがいたの!? そっちも聞いたことないんだけど!?」
さっきに続いてまたも知らない話を切り出され、剣一が驚きの声をあげる。すると忠蔵は少しだけ顔をしかめてから、ゆっくりとその口を開いた。
「……そうか、聞いてないか。母さんには理香さんって二つ上の姉がいたんだけど、その人は二〇年くらい前に、ダンジョン関係の災害で亡くなってるんだ。大事な家族を亡くしたことがあるからこそ、母さんはお前のことが心配でたまらないんだよ。
お前はちゃんと自分が冒険者としてやっていけるってことを証明するために、一人暮らしを選んだだろう? それが剣一なりの覚悟だってことはわかってるけど、でも母さんはとても寂しがっていたよ。祐二君や愛ちゃんは実家から通ってるのに、どうしてお前だけは家にいないんだろうって。
あの二人は毎日帰ってくるのに、お前は滅多に帰ってこない。だからいつもお前のことを心配していて、電話がくる度ホッとして……そしてまた、すぐ心配になる。
だからさっき、お前の活躍の話を聞いて、母さんはあんなに取り乱したんだ。父さんには正直話のスケールが大きすぎてピンとこなかったんだが……母さんには思うところがあったんだろう」
「母ちゃん…………」
静かに語る父の言葉に、剣一は俯いて拳を握る。剣一にとって、母はいつでも元気に笑っている、ちょっとがさつで乱暴だけど、でも温かい人だった。だからそこまで母が自分を心配していたなんて、考えたこともなかったのだ。
「ああ、勘違いしないでくれ。父さんは何も、お前を責めているわけじゃない。それに母さんだって、自分の為にお前の生き方を変えてくれなんて言わないだろう。
お前がもっと辛くて寂しい日々を送っていたなら無理矢理にでも連れ戻すつもりだったみたいだけど、実際には随分と友達が増えたみたいだしな」
「……うん。俺、友達が増えたよ。皆いい奴でさ、毎日楽しいよ」
剣一は、自分が人の縁に恵まれていることを強く実感していた。スキルレベル一という落ちこぼれと、人知を超えた化け物のような実力。そんな極端な二面性を持つ自分をありのままに受け入れてくれる友人達は、剣一にとってどんなものより大切な宝物だ。
「なら、その縁を大切にしなさい。父さんや母さんが思っていたより、お前はずっとずっと強かったみたいだけれど……その力を使う時、彼らの顔を思い浮かべるんだ。
皆の笑顔が消えてしまうような使い方を、決してしてはいけない。もしもお前が道を間違えたなら、その時は……」
「その時は?」
剣一の問いに、忠蔵がニヤリと笑う。
「父さんの<計算>スキルを全開にして、必ずお前のところに辿り着く。そうしたら母さんがいたーいゲンコツを落とすぞ? どうだ、怖いだろ?」
「ははははは……そりゃ確かに怖いなぁ」
世界を砕く流星だって、剣一は斬り跳ばす自信がある。だが母のゲンコツは、どうやっても防げる気がしない。思わず頭をさする剣一だったが、思い出されるのは頭頂の痛みではなく、背中に感じた優しい温もりだけだった。
「頑張れよ、剣一。あと隠し事がなくなったなら、もっと頻繁に顔を見せに来なさい。何ならあのドラゴンさん達を連れてきてもいいぞ。ああ、勿論可愛い恋人もな」
「だからそういうのじゃねーって! まったく、父ちゃんも母ちゃんも…………でもまあ、月一くらいでは帰るようにするよ。つってもまたすぐ海外に行かなきゃだから、しばらくは無理だけど」
「大忙しだな剣一は。もう父さんより忙しいんじゃないか?」
「いやー、どうだろう? 俺会社勤めなんてしたことないし……学校は好きだったけど、毎日仕事ってなると、やっぱり違うんでしょ?」
「そりゃまあな。理不尽な要求をしてくる上司もいるし、部下からも色んな要望があがってくるし……そうだな、この前の話なんだが、部下の若い子が――」
「あら、随分楽しそうに話してるじゃない? 母さんも仲間に入れて欲しいなー?」
忠蔵が話し始めたところで、家事を終えた鞘香が会話に入ってくる。すると何故か忠蔵がビクッと体を震わせ、ゆっくりと背後を振り返る。
「か、母さん!? 仕事はもう終わったのかい?」
「ええ、大体片づいたわよ。それで? 若い子がどうしたの?」
「いや、違うぞ! 確かに新人の若い子の面倒をみたが、別にやましいことなんて何も――」
「あら、私は何も言ってないでしょ? ねえ忠蔵さん? 若い子にどんな指導をしたの?」
「違う! 本当に違うんだ! 私はいつだって鞘香さん一筋だから!」
「ふーん?」
何処か楽しげに笑う母と、何故かしどろもどろな……なお、本当に普通に仕事を教えただけなので、やましいことは何もない……父。そんな二人に剣一は何となく将来の自分の姿を見たようで、ひとまずお茶を啜って様子をみることにする。
「そんなに持て余してるなら、剣一に弟か妹を増やしてあげる? 私はいつだって準備万端よ?」
「それは……いや、でも、ほら、私達の年齢を考えると、流石に……」
夫婦喧嘩は犬も食わないというが、喧嘩ですらないじゃれ合いは、世界を喰らうドラゴンだって食わない。お腹いっぱい食べてグデッと寝そべるディアや、甲羅に手足を引っ込めてジッとしているニオブ、池でゆったりと揺蕩うレヴィの姿を眺めつつ、剣一は両親と共に過ごす時間をこれでもかと堪能するのだった。





