想いを言葉に
「なるほど、海外に行きたいと……」
ということで、約束の二時間後。聖と一緒に剣一宅にやってきた清秋が、剣一の話を聞いてにわかに考え込む。ちなみに自宅に招くのではなくわざわざここを訪ねたのは、話の内容的にドラゴン達の意向も知りたいと考えたからだ。
「え、剣ちゃん、また海外に行くの!?」
「いいなー。私も本場の麻婆豆腐とボルシチが食べたいなー」
「いや、別に飯を食いに行くわけじゃねーから」
そしてたった今この話を聞かされた祐二と愛が、驚きと憧れの言葉をこぼす。海外に行くとなればまた長期家を空けることになるわけなので、祐二達にもその旨連絡してみたところ、ならばと二人も剣一宅を訪ねて来てくれたのだ。
「ワタシと一緒に来てくれるなら、麻婆豆腐だろうが青椒肉絲だろうが食べ放題ネ! そっちの二人も少年を説得するヨ!」
「こら、勝手なこと言わないの!」
「あうっ!? さっきからオマエ、ワタシの邪魔してばっかりネ! 横暴ヨ横暴! クサナも何か言ってやるネ!」
「ミンミンうるさい」
「くはーっ!? 世知辛いネ! 味方が一人もいないネ!」
「それで清秋さん、どうですかね?」
通常なら、一般人である剣一が自分の行動に誰かの許可を求める必要はない。が、清秋には散々迷惑をかけている自覚があるので、剣一としては駄目と言われたら考え直すつもりであった。
そして清秋もまた、剣一の自由意志を無理に曲げるつもりなどなかった。とはいえ無策で送り出すわけにもいかず、自分の持つ情報を精査しながらその口を開く。
「そうだね……ロシアに関しては、確かに行った方がいいだろう。中国は……まあ立ち寄るくらいなら問題ないかな? 下手に無視してこじらせるより、こちらが準備を整えたうえで一度来訪してしまった方が後の面倒がないという部分もある。
ただ、流石に蔓木君一人を送り出すわけにはいかないから、誰か同行者が欲しいところだね」
「同行者ですか……」
その言葉に、剣一は仲間達を見回す。まず真っ先に視線を向けた祐二達は、苦笑いを浮かべながら顔の前で手を振った。
「行きたい気持ちはあるけど、僕達だと完全に足手まといになっちゃうからなぁ」
「そうだねー。この前のアトランディアみたいに、単なる観光旅行なら行きたかったけどねー」
「僕も同じですね。まだまだ僕じゃ、剣一さんのお役に立つには力不足ですから」
「私も、今ちょっと日本を空けられない用事がありまして……申し訳ありません」
「アタシは…………」
「じゃあ私が同行すればいいわけね。上に問い合わせないとだけれど、おそらく許可は下りると思うわ」
他の全員が辞退しエルだけが答えに迷うなか、アリシアがあっさりとそう答える。
「アリシア殿、大丈夫なのかね?」
「ええ。まあ相手側は『アメリカの軍人が要人とお友達』なんてことは信じないでしょうけど、向こうが手を出してこないならそれで困ることもないですし。
後はまあ、この二人も放置はできないですから」
「……………………」
「ワタシは別に放置でいいネ! ちゃんと連れて行くから、オマエは来る必要ないヨ!」
未だ足に縋り付いているクサナと、すぐ側でわめいているミンミンに違い種類の視線を向けつつ、アリシアが苦笑する。するとそれを見ていたエルが、意を決して大きな声をあげた。
「アタシも! アタシも一緒に行くわ!」
「エル!? え、いいのか?」
「姫殿下? しかしそれは……」
「わかってる! 我が儘だってわかってるから、お父……陛下や王妃様に話をして、駄目だって言われたら諦めるわ。でも、アタシも行きたいの! そういう気持ちをちゃんと口に出さなきゃ駄目だってわかったから、せめて言うだけは言うのよ!」
兄ニキアスとのすれ違いは、エルの中に決して消えない傷として残っていた。そこで自分の思いを伝える大切さを学んだからこそ、エルは我が儘だとわかっていても、それを口にすることを選んだのだ。
そしてその決断を、この場で誰よりもエルを愛している鮭が後押しするべく声をあげる。
「ウオーッホッホッホッホ! そういうことでしたら、ワタクシが力を貸しますわ!」
「レヴィ!?」
「ふぉぉぉぉ!? 鮭!? 何で池から鮭が!? っていうか、鮭が喋ってるネ!?」
「…………びっくり」
「さあ、我が愛し子エル、そして剣一さん。こちらにいらしてくださいな」
突如池から半身を出し、変な高笑いを上げる鮭にミンミンとクサナが驚愕するなか、呼ばれた剣一とエルが池の方へと近づいていく。
「何だよレヴィ。何するんだ?」
「少々お待ちください。ふぬぬぬぬぬぬぬぬ…………フンッ!」
プリッ
池に戻ったレヴィが気合いを入れると、そのお腹から二粒のイクラがこぼれ落ちる。レヴィはそれを器用に前ひれに乗せると、剣一達の方へと差し出した。
「さあ、これをお持ちなさい」
「いや、持てって言われても……」
「あの、レヴィ? 流石にもうちょっと説明が欲しいんだけど」
「あら失礼、ワタクシとしたことが先走ってしまいましたわ! フリザベント・リム・スクアール・コフィア! さ、手を出してくださいませ」
レヴィが魔法を詠唱すると、イクラの周囲に人差し指の第一関節くらいの大きさをした小瓶が生まれる。それがふわりと宙を舞うと、剣一とエルの手の中に落ちた。
「それは時を封じた溶けない氷の容器ですわ。剣一さんなら斬れるでしょうけど、普通の人間にはかすり傷一つつけられません。
そしてそのイクラには、ワタクシの力と意思が宿っておりますわ。それを持っていれば常に我が愛し子エルを守ったり、便利な魔法を使ったりもできますわよ」
「へー! 氷なのに全然冷たくないんだな。メッチャ透き通ってるし」
「まるで宝石みたいね……イクラだけど。ちなみに便利な魔法って、どういうのなの?」
「そうですわね、たとえば……祐二さん、ちょっと剣一さんに、剣一さんの知らない言語で話しかけてみてくださらないかしら?」
「え、僕!? そんな急に言われても……ぼ、ぼんじゅーる?」
「……? うん、ボンジュールな。どっかの国の挨拶だってのはわかってるけど、それが?」
「あーもう、全然駄目ですわ! 祐二さん、それは単語であって言語ではありませんわ! もっとこう、ちゃんと話すつもりで口に出していただかないと」
「えぇ……?」
『なら、こういうのはどう? ケンイチ君、私の言ってることはわかる?』
「? はい、わかりますけど?」
「えっ、剣ちゃん、今のわかったの!? 割と癖にある発音だったし早口だったから、僕でもあんまりわからなかったのに?」
「え?」
アリシアがあえてネイティブでも聞き取りづらい……日本で言うなら方言のような喋り方をしたにも関わらず、剣一は完璧にそれを理解することができた。祐二と共に驚きながらも視線を下げると、池の縁でレヴィがドヤ顔をしているっぽい雰囲気を醸し出して言う。
「今度は上手くいったようですわね。ワタクシの魔法で、相手の言葉に込められた意思を直接理解できるようにしたのですわ。まあ言葉を翻訳しているわけではないので多少のニュアンスの違いが出ることはありますし、自分の言葉を相手に理解させることはできませんけれども、十分役に立つでしょう?」
「うぉぉ、マジか!? 聞き取りだけとはいえ翻訳魔法とか、超便利じゃん!」
「レヴィ、貴方こんなことできたのね!」
「ウオーッホッホッホッホ! このくらい楽勝ですわ! 他にも緊急時に愛し子を守ることもできますし、備えは万全ですわよ!
ですから我が愛し子エル、安心して自分の想いを貫きなさい。そこの泥棒猫に負けないように、全力で推して差し上げますわ! ウオーッホッホッホッホ!」
「ありがとうレヴィ! これならきっとお父様も許してくれるわ!」
「あはははは……私は別にそういうのじゃないんだけど、でも相手の言葉がわかるのは確かに便利ね」
「レヴィ殿の助力があるなら、確かにこの上なく安全だろう。いざという時はディア殿やニオブ殿にも頼れるだろうし……ふむ、これなら問題ないか?」
「ちょっと待つネ! 何でみんな、喋る鮭のことを受け入れているネ!?」
「さっきから何じゃ騒々しい! 人がせっかく気持ちよく寝ているというのに……うん? これは何の集まりなのじゃ?」
「ウェーイ! さてはパーティだな!? 俺ちゃんをのけ者にして騒ぐなんていい度胸じゃねーか! 主役は遅れてウェイウェーイ!」
「ウギャー! 今度は着ぐるみドラゴンと白い亀が出てきたネ!? これ本当に知っても大丈夫なやつカ!?
だ、脱出! ここは緊急脱出ネ!」
「何突然走り出してるのよ。逃がすわけないでしょ?」
「うわー、離すネ! ワタシまだ死にたくないネー!」
「剣ちゃんの家って、本当にいつも賑やかだよねー」
「これ、賑やかの範囲でいいのかな?」
「とりあえず、引っ越したのは正解だったと思いますよ」
「ふふ、楽しくて素敵なお宅ですわ」
呆れたり笑ったり楽しんだり叫んだり、剣一宅には今日もそれぞれの想いが籠もった喧騒が響き渡る。こうして騒がしくも温かい空気のなか、剣一の三度目の海外遠征が、何となく流れで決まるのだった。





