剣一の決断
「それでケンイチ君、どうするの? ロシアに行くの?」
「えっ!? えーっと……っていうか、今更ですけど俺って海外に行ってもいいんですか?」
改めてアリシアに問われた剣一は、テストなら零点になってしまう質問返しをする。するとアリシアは少し困った顔をして首を横に振った。
「私はあくまでもアメリカの軍人だから、ケンイチ君の行動をどうこうする権限なんてないわ。でもケンイチ君が行きたいって言うなら、ミスター・シラサギに言えば手配してくれると思うわよ?」
「あれ? そんな簡単な感じなんですか?」
ボディーガードなんてものがついているくらいだから、剣一はてっきり余程の事がなければもう海外には行けないのではと思っていた。だがそれを否定されて驚くと、アリシアが思いきり苦笑する。
「アメリカの常識で言うなら、ケンイチ君みたいな立場の子を出国させるなんて絶対に許可が下りないわね。でもほら、ケンイチ君が本当に行きたいって思ったら、ドラゴンに乗ってビューンって飛んで行けちゃうでしょ? それならちゃんと手続きをした方がいいだろうって判断になると思う」
「あー…………」
「言われてみれば、ケンイチなら飛んでいきそうよね」
「戦闘機と追いかけっこできるなら、普通の旅客機に乗るよりよっぽど速いですもんね」
その説明に、剣一のみならずエルと英雄も納得する。現代において海の向こうの国に移動しようと思えば基本は飛行機、かなり離れた次点で船になるところだが、ドラゴン便はそれらを余裕で超越する。何なら宇宙にだって旅立てるくらいなので、ちょっと離れたところにある大陸に移動するくらいは散歩と変わらないのだ。
加えて、それを阻止する手段が人類には存在しない。軍隊を使ってすら留め置けない相手に上から目線で「ここから出るな」と命令するくらいなら、どうにか自分達の管理下で移動してくれとお願いする方がいいと考えるのもまた、当然のことであった。
「ちょっと待つネ! ロシアに行くなら、その前に中国に寄ったっていいはずネ!」
と、そこでミンミンが会話に割って入ってくる。しかしアリシアがミンミンに向ける目は冷たい。
「何で? ケンイチ君が中国に行く理由なんてないでしょ?」
「それならロシアだって同じネ! 何カ? 手紙出したら来てくれるのカ!? それならワタシ、何通だって書くネ!」
「そういう問題じゃ……いや、そういう問題ね。あのね、クサナが持ってきた手紙は、正式な招待状だったの。日本政府を介さなかったのは、ケンイチ君が政府に管理されるような存在じゃないってことを理解してたからでしょうね。
でも貴方、工作員なんでしょ? 騙して無理矢理連れて行こうとする人の話なんて聞かなくて当然じゃない」
「うぐっ!? だ、だってまさか世界の歴史を変えるような重要人物が呼んだら普通に来てくれるなんて、誰も思わないネ! それに上層部がどう考えてるかなんて、下っ端のワタシにはわからないネ! ワタシはただ……」
「ただ、何?」
スッと目を細めたアリシアが、威圧を込めた声を出す。するとミンミンが明らかに挙動不審になり、その視線が宙を泳ぎ始める。
「ただ……ただ……あれネ、そう! 美味しい中華料理をご馳走しようと思っただけネ! ほらほら少年! ワタシと一緒に来てくれれば、本格中華食べ放題ヨ!」
「いや、それは別に……」
必死に訴えるミンミンに、剣一はすげなくそう告げる。剣一のなかで、本場の中華料理は「辛い」というイメージがあった。そして剣一は町中華的な料理は好きでも、辛い料理はあまり好きではなかった。
勿論実際には四川料理ではなく広東料理を選べば剣一好みの本格中華も多数あるのだが、特に中華料理に思い入れのあるわけでもない剣一に、そこまでの知識は存在しなかった。
「うぅぅー! 何でヨー! お願いだから一緒に来て欲しいヨー! じゃないとワタシの任務が失敗になっちゃうヨー! ワタシが仕事首になったら、幼い兄弟姉妹が全員飢えて死ぬヨー!」
「え、そうなのか?」
「騙されちゃ駄目よ、ケンイチ君。この子私とそこそこ戦える腕があったんだから、普通にダンジョンに潜れば家族くらい余裕で養える収入になるはずだもの」
「……………………」
剣一の向けた同情の視線が、アリシアの指摘でジト目になった。するとミンミンは慌てて言い訳を捲し立てる。
「ち、違うネ! 別に騙そうとかしてないネ! それに能力があるからって仕事ができるとは限らないネ! 自分の特技を生かして大金がっぽりなんて働き方、むしろできる国の方が少ないネ!」
「うっ、それは確かに…………」
その言葉には、剣一も思うところがあった。何せ日本の法改正により第三階層より下に潜れなくなり、剣一は現在進行形で仕事に困っているのだ。するとその反応を見て「いける」と踏んだのか、ミンミンがここぞとばかりに剣一に縋り付いて言葉を続ける。
「お願いヨー! 来てヨー! 今ならいっぱいサービスするヨー! ほら、おっぱいだって触り放題ヨー!」
「えっ!? おっぱ――」
「……ケンイチ?」
「っ……ぷふぅ。そ、そんなもんに引っかかる俺じゃないぜ!」
歳相応に膨らんだ胸を寄せて揺らすミンミンに剣一の視線が吸い付けられそうになったが、深海よりもなお暗く深いエルの声に、剣一は素早く顔を逸らしながら引きつった笑みを浮かべて答える。
そうして無駄に騒いでいると、それまでずっと黙っていたクサナがクイクイとアリシアの服の裾を引っ張って、細やかな自己主張をした。
「あっと、ごめんね。それでケンイチ君、もう一回聞くけど、どうするの?」
「あ、はい。俺としてはどっちも行ってみてもいいですけど……」
「おお! やっぱり決め手はおっぱいカ!? 少年は色情ネ!」
「……ケンイチ?」
「だからちげーよ! そうじゃなくて……ロシアの方は、ちょっと行った方がいいかなって気がするんだよ。ちゃんと呼んでくれてるみたいだし、俺に何の話があるのか、ちょっと興味もあるしさ。
で、どうせ海外に行くなら、そのついでにちょっとくらい中国に寄っても大差ないかなーって」
「本当に? 本当にエッチなことを期待してるわけじゃないのね?」
「本当だって! 強いて言うなら、この人……ミンミンだっけ? そんなに悪い人には見えねーから、見捨てると何となく寝覚めが悪そうってのもある」
「おぉぉ! 少年は見る目あるネ! そうだヨ、ワタシはいつだって清廉潔白ヨ! パンツまで真っ白ヨ!」
「調子のいい子ねぇ……ま、ケンイチ君がそうしたいなら、いいんじゃない?」
「はぁ、仕方ないわねぇ……ならまずはセーシュウお爺ちゃんに電話して、話ができるか聞いてみましょ」
「だな。清秋さん、時間あるかな?」
「あ、それなら買い物も途中でしたし、一旦デパートに戻ってお土産を買うのはどうですか?」
「おお、それいいな! 何がいいんだろ……羊羹とか?」
くいくい
「あーはいはい、わかったわよ。ねえケンイチ君、私達も一緒に行っていい? ほら、クサナは当事者だから話をした方がいいんだろうけど……」
「あ、はい。俺は大丈夫なんで、清秋さんに聞いてみますね」
「宜しくね」
「ほらケンイチ、行きましょ」
「おう!」
「ちょっ、ちょっと待つネ! 何でワタシだけ置いて行こうとするカ!? ワタシも! ワタシも一緒に行くネー!」
そのまま立ち去ろうとする剣一達を、ミンミンが慌てて追いかけていく。その後剣一が電話をすると、二時間後に剣一宅にて話し合いをすることが決定した。





