死角に潜む刺客
「…………?」
八月三日。うだるような夏の暑さも、ダンジョン内なら関係ない。が、今日も今日とてとりあえずスライムを倒していた剣一は、奇妙な感覚に襲われていた。
(何か、見られてる気がする……?)
多寡埼ダンジョン第三階層の隅という人気のない場所を選んでいるというのにも関わらず、剣一は何処からかじっとりした視線を感じていた。
これが敵意や殺意のあるものであれば、剣一にもはっきりわかる。あるいは視線の主を斬ってしまおうと考えたならば、それこそ一瞬だ。
だが、流石に見ているだけの相手を問答無用で斬りつけるほど剣一は無法者ではない。しかし気になって視線を感じる方に行ってもそこには誰もおらず、ここ数日は常に首を捻るばかりであった。
(まさかスライムを倒しすぎたせいで、スライムのオバケに取り付かれたとか? いやいや、スライムなんて毎日数え切れない程倒されてるんだし……でもお盆が近い……いや、スライムにお盆とか関係あるか?)
「あー、駄目だ。集中できねーや。ちょっと早いけど、今日はもう帰ろうかなぁ」
剣一にとってこのスライム討伐は、日課の散歩みたいなものだ。なかなか次の仕事が決まらず、かといって部屋でグデグデしているのは余計に気が滅入るからと始めたことであり、アリシア達やアメリカ軍との一件があった後も何となく続けている……ただそれだけのことである。
なので早めに切り上げようが、それこそ辞めてしまったとしても何か問題があるわけでもない。剣一は気持ちを切り替えると、剣を収めてダンジョンから出ることにした。
「……………………」
その途中、何となく気になる突き当たりをジッと凝視する。が、やっぱりそこにあるのはただの石壁の突き当たりであり、人間どころかスライムだっていない。
「…………ふぅ。疲れてるのかなぁ」
五秒ほど見つめた後、剣一は小さく息を吐いてその場を立ち去った。そうして剣一が姿を消すと、どう見てもただの岩壁であった場所から、じわりと二人の人間が姿を現す。
「あ、危なかった! 今回は本当に危なかったヨ!」
一方の声の主は一六〇センチほどのスラリとした細身の体を紺色のチャイナドレスに包み、頭の黒髪には二つのシニョンを飾っている一五歳の少女。その焦ったような声に、隣にいたもう一人の少女が言う。
「……無能」
そちらは一四〇センチほどの小柄な体を白い法衣のようなものに包み、肩より少し下で切りそろえられたプラチナブロンドを揺らす一〇歳の少女。そんな年下の少女のすげない言葉に、チャイナドレスの少女が猫のような目を吊り上げて文句を言う。
「誰が無能ネ!? これウチの最新技術の塊ヨ!? これなかったら、オマエだってとっくに見つかってたネ! それでもよかったカ?」
「…………ごめん」
「あぅ、素直に謝られると、何かワタシが悪いことしたみたいな気分になるネ……あーもう! クサナはズルいネ! ワタシばっかり苦労してる気がするネー!」
「それは気のせい。ミンミンよりクサナの方が大変」
騒ぐ少女と宥める……というより煽る少女。そんな二人がどうして出会い、何故一緒に行動しているかは、時を数日遡ることになる……
「あれが今回の目標ネ? 何だかしょぼくれた子供ネ」
ダンジョンの物陰から剣一の姿を見守る彼女は、ファン・ミンミン。剣一を籠絡し母国へと連れ帰るために派遣されたエージェントだ。
「クックック、あんなお子ちゃま、ワタシの魅力ならイチコロネ!」
ぱっと見は如何にも凡庸な剣一の外見に、ミンミンは一人ほくそ笑む。だが……
「うぅ、声を掛けるきっかけがないネ……」
ダンジョンに通うこと三日。ミンミンは未だ剣一に声を掛けるきっかけを得られずにいた。
「ていうか、アイツなんで第三階層から下に降りないネ!? 滅茶苦茶強いって話だったのに、こんなところでスライムばっかりいびり倒してるとか、性格悪すぎネ!」
己の立場を脇に置いて、ミンミンがプリプリと怒る。
当初の予定では、剣一がそこそこの階層に降りたところでミンミンが魔物に襲われたという体で助けを求め、それをきっかけに仲良くなるつもりだった。だが流石にスライムに襲われて助けを求めるのは不自然すぎる。
かといって自分から声をかけるのも難しい。そもそもダンジョン内部で単独行動している男性に、同じく単独行動している女性が声をかけるというのはかなり不自然、というより不用心な状況であり、普通はかなりの不信感をもたれてしまう。
ミンミンのスキルは<格闘技:二>のため剣一の<剣技>とは共通点もなく、本部から通達されていた「自然な形で出会え」という指示を鑑みれば、やはり自分から動くのはナシとしか思えない。
加えてダンジョンの外に出ると、すぐに剣一の側に寄ってくる影がある。正式に日本駐在の任務を受けたアリシアが、悪い虫が剣一に付かないように警戒しているのだ。
「まったく、あのアメリカの犬のせいでこっちは商売あがったりヨ! 周辺物件も全部借りられててご近所挨拶大作戦もできないし……本当に困ったネ」
そうしてミンミンが割と途方に暮れていると、ふとミンミンの目に、近くの通路をフラフラと往復している一人の少女の姿が目に入った。
「……オマエ、何やってるネ?」
「っ……余計なお世話」
ダンジョン内部では場違いな法衣……それを言ったらアピール用に着ている自分のチャイナドレスもそうだが……を纏った少女にミンミンが声をかけると、少女は素っ気なくそう言い放つ。
全く以てその通りであったのだが、ミンミンはこれで意外と面倒見のいい性格であり、少女が明らかに幼いことが気になって、更に言葉を続けてしまう。
「ひょっとして迷子カ? あ、それともトイレ? それならさっさとダンジョンを出るネ。その辺で漏らされたら困るネ」
排泄抑制ポーションは、そこそこ高い。少なくとも子供の小遣いで買うにはかなりの高額だ。なのでこういう浅層だとポーション代をケチった挙げ句、その辺でモジモジしている子供の姿は稀にある。
ならばこの子もそうなのかとミンミンが訝しげな声をかけると、その子供……クサナは実に不満げな仏頂面をミンミンに向ける。
「クサナは漏らさない。そんな子供じゃない」
「クサナ? それがオマエの名前カ?」
「……そう」
「そうカ。まあ漏らさないならどうでもいいネ。ワタシは今忙しいから、さっさとどっか行くネ」
「それは駄目。クサナも用事が――」
「……ん? 誰かいるのか?」
「っ!?」
と、その時。通路の奥でスライムを狩っていた剣一の声が聞こえてきて、ミンミンは思わず息を飲んだ。体に染みついた習慣に従って素早く身を隠そうとし……目の前にいるクサナの顔が真っ青になり、その体がブルブルと震えていることに気づく。
「あーもう!」
故にミンミンはクサナを抱きかかえ、そのまま二人で剣一から身を隠す。すると剣一が通路から顔を出したが、そこに誰もいないことを確認すると、再び通路の奥へと戻っていった。
「…………ふーっ、バレなかったネ。というか、よく考えると別に隠れる必要なかった気がするネ。いやでも、やっぱり出会いはもっと……うん?」
ミンミンが視線を下げると、そこではクサナが自分に抱きついていた。しかも自分の腹の辺りに、じんわりと温かいものが滲んできている。
「オマエ、やっぱり漏らしたカ!? さっさと離れる…………えぇ?」
「ヒック……ヒック…………」
無理矢理引き剥がしたクサナは、目に大粒の涙を浮かべて泣いていた。これにはミンミンも困り果て、だがすぐに諦めを込めたため息を吐く。
「はぁ……オマエ、外に送ってやるから、もう家に帰るネ」
「……駄目。クサナは会わないといけない」
「会う? 会うって、誰にネ?」
「……………………」
ミンミンに問われ、クサナは剣一が消えた通路の方に視線を動かす。
「ひょっとして、あの男の子と会いたいネ?」
「うん……」
「でも、オマエ泣いてるヨ? 泣くほど嫌なのに会いたいネ?」
「…………」
無言で、クサナがこくりと頷く。明らかに訳ありなクサナの態度に、ミンミンは脳内で思考を巡らせる。
(泣くほど嫌だけど会いたいなんて、ひょっとしてこの子はターゲットの関係者ネ? だったらこの子に協力したら、自然な形でターゲットに近づけるかも……?)
「わかったヨ。ならこのワタシが、オマエがアイツの会うのを手伝ってやるヨ!」
「……何で?」
「そ、それは……あれヨ! ワタシは困ってる子供を見捨てたりしないネ! 凄く面倒見のいいお姉さんなんだヨ!」
「ふーん……?」
クサナがハイライトの消えた目で、ジッとミンミンを見つめる。その妙なプレッシャーにミンミンが微妙に「これは早まったかな?」と後悔を感じ始めると、程なくしてクサナがそっとミンミンの手を取った。
「……わかった。ありがとう」
「あー、いや、困った時はお互い様ネ。アハハハハ……」
こうして二人は互いに何だかわからないうちに協力関係を結び、こっそり剣一を眺めては「どうやって声をかけるか」を考えるようになったのだった。





