司令室での一幕
『予定時刻丁度にて、目標の発進を確認しました』
『わかりました。引き続き監視をお願いします』
「ふむ、どうやら蔓木君は、無事に出発したようだな」
オアフ島南方にある、別の軍事基地。司令室のなかでくつろぐ清秋の言葉に、キャサリンが笑顔で答える。
「ええ、そのようですね。彼らのお手並み拝見といきましょう」
「そうだな」
悠然と構える清秋の顔に、焦りは見られない。それは勿論、清秋が剣一の無事を……そして勝利を確信しているからだ。
対してキャサリンの方は、今回の戦闘で得られる情報をどんなものでも見逃すまいと気を張っている。それだけの価値が、この模擬戦という名の軍事演習にはあった。
「噂のインフィニティボーイとブラックドラゴンのタッグが、いよいよ見られるわけか……私も楽しみで仕方がないよ」
加えてもう一人、アメフトで鍛えた体をピッチリとしたスーツで包む男性が、そういって笑い声をあげる。彼こそが四三歳という若さで大国アメリカの頂点に上り詰めた男、マイケル・モーガン大統領その人である。
「まさか大統領閣下が直接いらっしゃるとは思いませんでしたな。ご覧になるとしても、ホワイトハウスの執務室からだと思っておりましたが」
「ハハハ、冗談を言うなミスター・シラサギ! こんな面白い催し、直接見なければ損というものだ。それにこれを行うに当たって、私も随分と骨を折ったのだ。このくらいの役得は問題ないだろう……キャサリン君、私の日本語は大丈夫かね?」
「はい、大統領。ネイティヴの方と比べても遜色ないかと」
その言葉に、マイケルが満足げに頷く。実際いくら国防長官だろうと、戦艦や戦闘機を持ち出しての軍事訓練など、独断で実行できるものではない。当然現大統領であるマイケルのところにも情報があがったし、公式な議会こそ開かれていないものの、ホワイトハウス内部では激しい議論が交わされた。
「それにあれがあれば、ワシントンからハワイまでわずか一〇秒だ。ならば直接場の空気を感じたいと思うのも、おかしくはないだろう?」
そう言ってニヤリと笑うマイケルが目を向けた先には、スーツ姿のボディガード三人と一緒に、アタッシュケースどころかキャリーバッグとしても明らかに巨大すぎる、厳重に鍵のかかった箱が置かれている。核ミサイルの発射装置でもここまではしないだろうという代物だが、中身の価値を考えれば当然だ。
「転移魔法の刻まれた金属板……まさか本当に実在するとは、この身で体験しなければ信じられなかったところだ。ダンジョンの床に刻まれているのは知っていたが、まさかそれを持ち出せる者がいたとはな」
それは清秋がこの模擬戦をやらせるために使った切り札。ディアに頼んで転移罠と同じ仕様の魔法陣を刻み込んだ一対の魔導具。それを渡したからこそアメリカは何億ドルもの費用を負担し、これだけの茶番を実行したのだ。
「……ところでミスター。タニガキ総理は本当に来ないのかね?」
「以前から申し上げておりますが、これはあくまで私の個人的な問題ですからな。日本政府は一切関係ありませんので」
「ふむ、そうか……」
声こそ朗らかだが目は一切笑っていない清秋の言葉に、マイケルは静かに考えを巡らせる。
(クロスの後を引き継いだというのは、どうやら本当らしいな。であれば今の政府の混乱も一時的なものか? これほどの技術を惜しげもなく提供することといい、今しばらく日本に対しては静観するのが得策だろう)
黒巣 弦斎という手綱が切れたことで、今日本政府は大きく揺れている。それは「一〇〇年先の国がどうあるべきかを見定め、そこに至るためにどのような道を辿るべきか」を論議する国会が揚げ足取りのお遊戯会になり、「どっちに進んだら何があるのかをわかりやすく説明し主張する」ための議員が自身の権力と名声を欲するだけの道化となり、「国が何処に力を入れるべきかを選ぶ」ための選挙が単なる人気投票と成り果てた、かつての日本だ。
もしこのまま日本の政治が再び腐敗していくならば、それこそほんの二、三〇年ほどで、アメリカは日本を支配下に置くことができると予想していた。そうなればこの世界に残ることになったらしいアトランディアから魔法技術を引きずり出すための便利な道具にできるはずだった。
だが今回の交渉を以て、マイケルのなかに「日本に手を出すのは時期尚早」という考えが生まれた。少なくとも「転移魔法」の技術を解析し、自国内で完全に同じものが作れるようにならなければ、対等な立場にすらなり得ない。
(大丈夫だ。こうして交渉を持ちかけてくるというのなら、まだ致命的な差があるわけではないはず。最後に勝つのは、いつだって我々なのだ)
『ターゲットがカエナ岬を越えました。そろそろ接敵すると思われます』
と、そんなことを考えていると、室内にレーダーをチェックしていたオペレーターの声が響いた。それを聞いたマイケルが思考を切り替え、一転して子供のようにはしゃいだ声をあげる。
「おお、そうか! キャサリン君、彼らの移動経路はどうなっていたかな?」
「はい。彼らはディリンガム基地を出た後、反時計回りに大きく旋回してオアフ島の外周海上を南下、島を通り過ぎたところでUターンして北上し、ヒッカム基地に到着する予定です」
「なるほどなるほど。では最初の接敵は海上ということだね。こちらが出した戦闘機は、F22かね?」
「いえ、今回はFA18です」
「FA18? 何故最新鋭機ではないのかね?」
「今回は対象が対象なので、ステルス性能に何の意味もありません。であればF18で十分であると判断しました」
「……む、そうか」
キャサリンの「十分」というところに若干のためを含んだ物言いに、マイケルはそれ以上は言わずに納得する。
(そうか、そうだな。確かにあまり性能のいい戦闘機を出して対象を圧倒し過ぎてしまっては困るからな)
無限に成長するスキルを持っているらしい子供と、転移魔法を使いこなすドラゴン。それらは確かに強いのだろうが、それでもマイケルもキャサリンも、彼らが戦闘機より強いとは思っていなかった。
当然だ。人は音速を超える速さで移動などできないし、ミサイルが当たれば死ぬ。それはスキルという超常の力を得ても変わらない真理であり、だからこそ銃で武装した警察機構や軍隊によってこの世界の平和は維持できているのだ。
『こちらバルチャー1。ターゲットのビーコンを確認した。最終確認だが……本当に撃ってもいいんだな?』
室内に再び無線が響く。それは相手が人間……しかも成人すらしていない子供だと知っているからこその確認。軍人が攻撃命令に躊躇いを覚えるのは良いことではないが、流石に事が事なのでそれを咎める空気はない。
「……ミスター、宜しいですね?」
「無論だ。一切の手加減は必要ない」
「わかりました……『国防長官として許可します。直ちに攻撃を開始しなさい』」
『バルチャー1、了解。これより攻撃に入る。ターゲットロック……ファイア!』
(さあ、どう出る?)
今回用いた弾頭は接触爆発。つまり上手く回避してくれれば、ミサイルは爆発しない。そしてキャサリンの読みでは、剣一達は転移魔法を用いて攻撃を回避すると思われた。
なにせ高速機動中に一切減衰せずに数メートル移動できるなら、それだけでミサイルなど簡単に回避できる。あるいはもっと応用が利くなら、ミサイルそのものを転移させ、撃ってきた戦闘機を攻撃することすら可能かも知れない。
(貴方達の使う転移魔法は、どれほどの速度で、どれほどの精度で、どれほどのものを転移できるのかしら? さあ、私達にそれを見せて頂戴)
剣一が身につけたGPSには、当然それ以外の各種センサーもてんこ盛りだ。加えてありとあらゆるセンサーやレーダーが、今も剣一達の一挙手一投足を見逃さないように情報を収集し続けている。
解き放たれたミサイルが剣一達の元に届くまで数秒。誰もが剣一がどんな対応をするのかを見守っていると……
『…………不発? いや、何か落下物が…………はぁ!?』
『こちらバルチャー1。着弾した様子がないんだが、どうなった?』
『それが……いやでも、こんなことあり得るはずが……』
『どうしたのですか? ちゃんと報告しなさい』
言い淀むオペレーターに、キャサリンが少し強い口調で問いかける。すると届いた情報を五回ほど確認したオペレーターが、困り果てた表情で振り向く。
『着弾予想地点にて、複数の金属片が落下する反応がありました。つまりその……み、ミサイルがバラバラに斬られたのではないかと……』
『……斬られた? キャサリン君、戦闘機はボーイの背後からミサイルを撃ったのかね?』
『いえ、違います。正面から撃っています』
『つまり何かね? 例のボーイとドラゴンは転移してミサイルをかわすのではなく、音速で飛来するミサイルに自身もまた高速で突っ込み、コンマ数秒でそれを斬り裂いたと?
……どうやら私は、君にエミー賞の推薦状を書かなければならないようだな』
『……………………』
「ふっ、はっはっはっはっは! 流石は蔓木君だ!」
頭を抱える大統領と国防長官の隣で、ただ一人清秋だけが腹を抱えて大笑いした。





