開戦前のひととき
「いよいよか……」
七月二八日。その日剣一の姿は、オアフ島の北側にあるアメリカ軍基地にあった。滑走路の中央にて「お金持ちの旅行先」というイメージがあるハワイに来たことに若干浮かれている剣一の隣には、いつもより幾分か腹が引き締まって見えるディアの姿もある。
「カッカッカ、腕がなるのじゃ! 久しぶりの大暴れなのじゃ!」
「おいディア、わかってると思うけど、やり過ぎるなよ? てかちゃんと俺の言うこと聞けよな?」
「わかっておる。如何に弱体化しておるとはいえ、ワシが普通に暴れたら勝負にもならぬからな。じゃがそれはケンイチ、お主も同じじゃぞ?」
「わ、わかってるよ!」
逆にディアに指摘され、剣一は若干言葉を詰まらせつつも答える。するとそんな剣一の耳に、賑やかな友の声が届いた。
『アンタ、本当に気をつけなさいよ? アトランディアと違って、そこは結界とかないんだからね!』
『そうだねー。剣ちゃんは昔から、夢中になるとちょっとやり過ぎることがあったから、気をつけないとねー』
『いや、そもそも僕は、未だに剣ちゃんがアメリカ軍と戦うっていうのが理解できないんだけど』
『ふふふ、剣一様ならきっと勝てますわ』
『頑張ってください、剣一さん!』
「おう! 頑張ってくるぜ!」
耳に付けたイヤフォンから響くのは、遠く日本に残した親友達。今はまだ普通に地上なので、音声通話には何の問題もない。
『ウェーイ! 俺ちゃんとレヴィで、イッチーの勇姿はバッチリと映してやるから、思いっきり暴れてくるといいぜ!』
『ワタクシの力を以てすれば、毛穴の一つ一つまでクッキリハッキリですわ! 光の速さで動こうとも残像一つ生まぬようにしますから、存分にご活躍なさいな! ウオーッホッホッホッホ!』
「お、おぅ……まあ、ほどほどにな」
剣一宅のリビングでは、今現在レヴィの張った水の膜にニオブが光を投射することで、剣一の姿がまるで映画か何かのように綺麗に映し出されている。祐二や愛、エル達はポップコーン片手にそれを見ながら、剣一を応援する手筈なのだ。
『……ねえ、剣ちゃん。これは言おうかどうしようか迷ってたんだけど』
「ん? 何だよ祐二」
『あのね。僕は剣ちゃんが世の中に認められないことを、ずっと悔しいと思ってたんだ。だから……うん。この際だから、思いっきり見せつけてやればいいよ!』
「祐二…………ああ、任せろ! でもそれで面倒なことになったら、ちゃーんと祐二が助けてくれよな?」
『っ……ははは、当たり前じゃないか。だって僕達は――』
「『友達なんだから!」』
剣一が認められないのは悔しい。だがあの図抜けた強さが認められれば、きっと剣一は自分の手の届かないところに行ってしまう。言葉と共に飲み込んだ祐二の不安を、剣一が笑顔で斬り裂く。「じゃあ、頑張ってね」という言葉と共に通話が終わると、俯く剣一にディアが話しかけてきた。
「どうしたケンイチよ、そのように顔を伏せるなど、お主らしくもない」
「いや、何かさ……正直ちょっと不安なところはあったんだよ。俺の知らないところであっという間に事態が大きくなっちゃったって言うか、本当にこんなことして大丈夫なのかって」
これは清秋が自分のためにしてくれたことだというのを、剣一はちゃんと理解している。そのためにとんでもなく無理や無茶を重ねたのだろうということも、ぼんやりとだがわかっている。
だがそれでも、自分の意思とは無関係に大きな流れに流されていくことに、剣一は言い知れない不安を感じていた。だが……
「でもさ、祐二が思いっきりやってやれって言ったんだ。だったら迷う必要なんてないのかなって。
ああ、そうだ。あいつはいつだってそうだった。そりゃ戦えば俺の方が強いんだろうけど……でも祐二は、いつだって俺を助けて、背中を押してくれるんだ」
顔を上げ、空を見上げる。快晴の空に眩しく輝く太陽は、まるで親友の眼鏡のようにキラキラと輝いている。
「だったらやるしかねーだろ! ははは、ヤベーな、負ける気がしねーぜ」
「何を言うかと思えば。ワシやニオブに勝ったお主からすれば、人の軍勢など塵芥と変わらぬじゃろうに」
「いやいや、そこはほら、心理的な色々があるんだよ! 知ってるか? 普通の人間ってのは、ミサイルに当たると死ぬんだぜ?」
「カッカッカ! 知っておるとも。ワシの相棒は、鉄の棒きれなぞ意にも介さぬ最強のオスじゃとな!」
「ハッハッハ! じゃあその期待にも応えねーとだな!」
楽しげに笑うディアに対し、剣一もニヤリと笑って返す。何となく浮ついていた体に力が漲り、今なら太陽だって斬れる気がする……まあ本当に斬れてしまった場合世界が終わるので斬らないが。
「ミスター・ツルギ。そろそろ時間になりますが……」
と、そこで遠くから駆け寄ってきた軍人が、剣一に声をかけてくる。その言葉に剣一が腕時計を確認すると、確かに予定の開始時刻までもう少しだった。
「あ、はい。ありがとうございます。こっちは大丈夫です。んじゃ行くか、ディア」
「うむ!」
ディアが首を下げると、その上に剣一が跨がる。その状態で下を見ると、剣一は微妙に顔をしかめた。
「……なあ、ディア。スゲー今更だけど、これサイズ感的に大丈夫か?」
「うむ? ワシは別に平気じゃが?」
「いやまあ、そうなんだろうけどさ……」
ディアの大きさは、人間の大人とそう変わらない。そして剣一も小柄とはいえ、決して幼い子供のような体躯ではない。
つまり、差がそれほどない。ニオブの時は足場だったので気にならなかったが、ディアに肩車された剣一の存在は、猛烈にバランスが悪かった。
「これはなんか……なんか違わねーか? 思ったより格好よくないっていうか、むしろ格好悪い気がするんだが」
「むう、我が儘な奴じゃのぅ。ならばこれならどうじゃ?」
「お、お? おぉぉ!?」
ディアの体が、ムクムクと大きくなっていく。そうして三メートルほどまで巨大化すると、ようやく剣一のイメージする「竜を駆る戦士」という感じになった。
「スゲースゲー! これだよこれ! 何だよディア、でかくなれたのかよ!」
「そりゃなれるのじゃ。というか、以前にもあの小ささを維持するのが大変だと言ったじゃろうが!」
「あー、そういえばそうだったな。ならでかくなる分には幾らでもいけるのか?」
「無限に巨大化できるとは言わぬが、極限まで力を薄めるならば太陽系を腹に収められる程度にまでは大きくなれるぞ? それなりに力の密度を維持するならば、惑星一つ分くらいまでじゃろうか」
「へー。まあそこまででかいと逆にわけわかんねーけど。うっし、これなら祐二達にからかわれなくてすみそうだ。ってわけで…………あの、これ早めに出たりしたらマズいですかね?」
いい感じにテンションがあがったのに、予定時刻までまだ三分ほどある。なのでさっき声をかけてくれた軍人に問うと、軍人は困ったように顔をしかめる。
「えっ!? えっと、出発時刻を変更する権限は、自分にはありませんので……その、できれば待っていただければと思うのですが……」
目の前でドラゴンが巨大化し、そこから感じられる圧力のようなものが急激に増した。それに当てられた軍人がおずおずとそう告げると、剣一は小さくため息を吐く。
「はぁ、じゃあまあ仕方ないですね」
機嫌を損ねて暴れ出したらどうしよう、という軍人の危惧など知らず、剣一は普通に時を待つ。何かしていればあっという間なのに、何もせず待つ三分は妙に長かったが……それでも三分は三分。
「五……四……三……二……一……どうぞ!」
「おっしゃ! 飛べ、ディア!」
「行くのじゃあ!」
滑走路脇で赤い旗が振られるのと同時に、剣一を乗せたディアが滑走路など無用とばかりに、その場から斜めに空へと飛び上がった。





