予想外の呼び出し
「…………What?」
ピシッとしたグレイのスーツに身を包む、五〇代の女性。アメリカ合衆国国防長官キャサリン・ベイカーは、テーブルに置いたスマホが揺れる様に思わず声を漏らした。仕事用でもプライベート用でもないそれが呼び出しを受けるのは、極めて稀なことであったからだ。
手に取れば、表示された番号に見覚えはない。しかしそれは些細なことだ。この直通回線を使う相手が同じ番号を使い回さないなど、むしろ当然ですらある。
だがそれが誰であろうと、出ないという選択肢はない。振動を続けるスマホを手に取ると、キャサリンは徐に顔の見えない相手に問いかけた。
『ハロー、どちら様かしら?』
『初めまして、ミズ・キャサリン。私は白鷺 清秋という者だ』
『シラサギセイシュウ……』
流暢な英語での名乗りに、キャサリンはわずかに考えこむ。するとその知識の端から、黒巣 弦斎に隠れるようにほとんど名前の挙がってこない……だが確実に存在する、もう一人の日本のフィクサーのことが浮かび上がってきた。
『へぇ、貴方がそうなのね。私のような表の人間には、ミスター・クロスが声をかけてくるものだと思っていたのだけれど』
『どうせ掴んでいるのだろう? あの男はもういない』
『……それを認めると?』
『無論だ。死した我が友の名に縋らねばならぬほど、今の日本は弱くない。とはいえあの男が死んだことで抜けが生まれたのも事実。だからこそそちらも、諜報部隊などというものを送り込んできたのだろう?』
『さて、何の話かしら?』
『別に認めなくても構わんが、彼らは全員保護している。彼らの愛国心に期待して口を閉ざさせるより、まずは交渉を……っと、そうだ。この場には英語のわからない者もいてね。悪いが日本語で話させてもらえないかね?』
「ええ、構いませんよ」
清秋の申し出に、キャサリンは日本語で答える。現代の世界において、日本の地位はかなり高い。これは弦斎と清秋という二人の傑物の存在もあるが、何より大きいのは世界唯一の「魔法技術輸出国」であるアトランディアが、極めて親日的な立場を取っているからだ。
ただでさえ未知の技術だというのに、それを学ぶのに通訳まで挟んでは学習効率が極めて悪い。そのため各国の最先端を行く技術者や冒険者の多くは日本語を学んでおり、国防長官であるキャサリンもまた、日本語は堪能であった。
ちなみに何故アトランディア語ではなく日本語を学ぶ者が圧倒的に多いかというと、五〇年前にやってきたばかりで数十年後にいなくなる国の言葉より、この世界の一員である日本の言葉の方が学びやすく、将来的にも活用できると考えられているからである……閑話休題。
「配慮、感謝する。では本題だが……こちらの要求はただ一つだ。貴方に直接、彼らを迎えに来て欲しい」
「それは無理な相談ですね。国防長官である私が、そんなに気軽に訪日などできるはずがありません」
「いやいや、そんなことはない。移動手段はこちらで用意するから、キャサリン殿の時間を三〇分ほどいただければいいのだ」
「……三〇分?」
清秋の言葉に、キャサリンが顔をしかめる。当然の話だが、アメリカから日本に三〇分で移動する手段などない。だがもし本当にそんな手段が存在するなら、それは是非とも知っておかなければならない。
「一応確認しますが、私の体を弾道ミサイルにくくりつけろ、などというものではないのですよね?」
「ははは、当然だ。黒巣の名で荷物を送ったはずだが、それを手元に持ってこられるかね?」
「……少々お待ちください」
そう断るとキャサリンはスマホを置いて席を立ち、部屋に設置された金庫を開く。そこに入っていたのは黒光りする爬虫類のものと思われる鱗だ。普通ならこんなもの自分の手元に届く前に処分されるが、差出人の名前が名前だっただけに、念のため保管しておいたものである。
「手に取りましたが、これは何なのですか? 専門機関に分析をお願いしましたが、地球上には存在しない物質だという結果が出て大騒ぎになったのですが」
「それもすぐにわかる。では次は……そうだな、スマホのカメラで周囲の景色を見せてくれるか?」
「は? ここは私の執務室ですよ?」
国防長官の執務室のデータなど、外部に出す訳がない。咎めるような声を出すキャサリンに、清秋は苦笑して言葉を続ける。
「いやいや、別に窓に向けろとは言っていない。だがまあ無理だというのなら、部屋の中心にでも立ってくれればいい。ただしその場合、周囲にあるものが壊れる可能性がある。どうするかね?」
「…………わかりました。ではこれでどうです?」
自分が何をされるのか、おおよその見当がついてきた。だからこそキャサリンは、執務机の前にある空間を写真に撮って送る。
「ほう、これは……ディア殿、どうですかな?」
「ふむ、まあいけるじゃろ。で? もう行くのか?」
「ええ、お願いします。ではキャサリン殿――」
「ワシ、参上なのじゃ!」
清秋の言葉が終わるのを待たず、不意にキャサリンの目の前に黒い渦が出現すると、そこから下腹のたるんだ二足歩行の爬虫類が姿を現した。
「ヒッ!?」
「では行くのじゃ!」
「えっ!? ちょ、待――」
その爬虫類は怯むキャサリンの手を掴むと、そのまま黒い渦に引きずり込んでいく。そして次の瞬間、キャサリンが立っていたのは何処かの民家の庭先であった。
「……………………」
「あー…………ようこそ、キャサリン殿。さ、そちらにどうぞ」
「え、ええ……」
促され、キャサリンは手近にあったウッドチェアに腰を下ろす。丸いテーブルを挟んで正面に座り、穏やかな笑みを浮かべている清秋に、キャサリンは内心の動揺を悟られないように静かに問う。
「ミスター・シラサギ……今のはまさか、転移魔法ですか?」
「ええ、そうですな。といっても、残念ながら人が使える技術ではないようですが」
「それは一体――」
「おいセーシュウ! このワシを使いっ走りにしたのじゃ、ちゃんと約束の報酬を払うのじゃ!」
と、そこで腹のたるんだ着ぐるみドラゴンことディアが、清秋の肩を揺すって声をかけた。緊張感の欠片もないその言葉に、清秋は笑顔を絶やさず告げる。
「ははは、わかっておりますとも。では約束通り、バームクーヘンの原木を三本送らせましょう」
「やったのじゃ! あれを切らずに丸ごと食べるのがワシの夢だったのじゃ!」
「……貴方? が、転移魔法の使い手ですか?」
はしゃぐディアに、キャサリンがおずおずと声をかける。するとディアは特に隠したりすることもなく、普通に頷いて答えた。
「うむ、そうじゃが?」
「転移魔法を使用する報酬が、その……バームクーヘン三つなのですか?」
「そうじゃぞ。ケンイチはけち臭いから、高いと言って買ってくれなかったのじゃ!」
「当たり前だろ馬鹿! 高いし場所とるし日持ちしねーし、買うわけねーだろうが!」
「そんな事知らぬのじゃ! ワシならペロリと食べられるのじゃー!」
少し離れたところから剣一のツッコミが入ったら、ディアはふーんと顔を逸らして言う。その言葉に剣一が拳を握ったが、それを祐二とエルが左右から「まあまあ」と押さえ込む。
「それは、私が同じ……いえ、一〇倍、一〇〇倍でも構いません。いっそバームクーヘンの工場ごと進呈するといったら、同じように協力していただけるのですか?」
「うむ? いや、そんなにバームクーヘンばっかりあっても飽きるのじゃ。じゃが他に美味いものがあれば――」
「ディア? いい加減にしねーと、本当に怒るからな?」
「…………あー、まあ、あれじゃ。検討くらいはしてやってもいいのじゃ。あくまでも検討なのじゃ! そのくらい! 夢くらい見てもよいじゃろうが!」
剣一に睨まれ、ディアが駄々をこねる子供のように叫ぶ。そのやりとりで場の力関係を推測し、キャサリンの脳内で素早く組み上がっていくが……
「申し訳ないが、その交渉はこちらとの話が終わってからにしていただけるかね?」
「ああ、これは失礼しました」
清秋に声をかけられ、キャサリンが姿勢を正し意識を戻す。アメリカと日本、それぞれ国を背負う者同士の世界の趨勢を決めるかも知れない対話が、何てことのない日本の民家にて、今静かに始まりを告げた。





