巨人の足音
「ねえねえアリシア。君は今日は何をしていたんだい?」
「今日? いつもと変わらないわね」
七月四日、夜。いつものホテルの一室にてスマホを片手に聞いてくるジミーに、アリシアは何気ない口調で答える。ちなみにロイは本部からの連絡があるとかで、現在は離席中だ。
「昼間はケンイチ君と一緒に剣の訓練とかをして、夕方からはダンジョン上がりの冒険者に声をかけて情報収集よ。まあ今日も目新しい情報はなかったけど」
「『何の成果も得られませんでしたー!』って?」
「そうだけど……何、その言い方? それだと私が凄く無能みたいじゃない?」
「あー、ごめん、通じないか。いつものスラングだから気にしないで」
ムッとするアリシアに、ジミーがすぐに謝罪する。するとアリシアの方も慣れたものなので、べーっと舌を出すだけで済ませた。
「あ、でもケンイチ君の方は進展があったわよ。今度友達を紹介するから、一緒に秘密の稼ぎ場所に行かないかって誘われたわ」
「うわー、何だよそれ、超楽しそうじゃん! いいなー、僕と代わってよー」
「代われるわけないでしょ。まあ私の知り合いってことで紹介することはできるけど、それだとジミーが仕事できなくなっちゃわない?」
「へーきへーき! っていうか、こっちはほんっとうにやることなくて暇なんだよ」
アリシアの言葉に、ジミーがうへぇと顔をしかめて言う。現在のジミーの仕事は次元震の痕跡が残る賃貸アパートの調査だが、それが全く進展していない。というのも、ジミーの本領はコンピューターへの侵入による情報収集だからだ。
だが情報端末どころか監視カメラの一つすらないのでは、ジミーが磨き上げた技術は何一つ役に立たない。電子ロックのかかった金庫なら五秒で開けられると豪語していようと、オールドタイプのシリンダーキーの扉を前にすれば、途方に暮れるしかないのだ。
「今の僕にできるのは、不審に思われない程度の頻度でアパートの側を通りかかったり、遠くから住人の出入りを眺めるくらいだからね。アンパンとミルクの差し入れくらいじゃとっても割に合わないよ」
「あはははは……まあ頑張って」
「待たせたな。本部からの通達だ」
と、そこで部屋に戻ってきたロイが、真剣な表情でそう告げる。それを受けてアリシアとジミーが軍人の顔つきになると、ロイが徐にその口を開く。
「色々と新情報があるんだが……まずはこれだな。どうもアトランディアの活動方針に大きな変化があったらしい。具体的には協定の見直しを要求されたようだ」
「見直し? そう言えば、今って結構えげつないレートで技術交換してるんだっけ?」
「え、そうなの?」
「そうだよ。こっちが一渡すのに、向こうから三もらってるって感じかな?」
「何それ? そんな不平等条約、文句言われて当然じゃない」
一般には知られていない情報をさも当然のように語るジミーに、アリシアが露骨に顔をしかめて言う。するとロイがそこに補足を入れた。
「確かにそうだが、実際には違う。これはアトランディア側が提示してきた条件だからな。しかし今回、それを撤回して通常の状態に戻したいという申し出があったそうだ」
「ふーん。政府はそれを飲んだの?」
「ああ、その予定だ。ここで無理を押し通したら、向こう一〇〇年、我が国が他国の尻を追う羽目になるのが見えているからな」
「そりゃまあ、確かに」
アトランディアと技術交換をしている国は、何もアメリカだけではない。となればこの要求もまた、アメリカにだけというのは考えづらい。
つまり、欲をかいて突っぱねると、アメリカだけが魔法技術の供与を止められてしまうということだ。そんな事態は到底受け入れられないので、政府としては飲む以外の選択肢はない。
「でもそれ、別に悪い話じゃないわよね? それがどうかしたの?」
「確かに、得ができなくなるだけで損をしているわけじゃないんだから、僕達の任務とは関係ないよね。ロイ、どういうこと?」
「うむ。確かにこの内容そのものはそうだが……問題はタイミングだ。そもそもアトランディアが不平等な取引を自ら持ち出してきたのは、彼の国が長くても一〇〇年でこの世界から別の世界に旅立ってしまうからだ。
そしてそうであれば、不平等条約で問題なかったのだろう。自分達がいなくなる世界に対する技術の漏洩などどうでもいいし、であれば自分達が滞在している間にできるだけこちらの技術を吸い上げたいだろうからな」
「そうだね。でもその条約をこのタイミングで撤回してきたってことは……まさか、アトランディアの滞在期間が延びた?」
ジミーの漏らした言葉に、ロイが静かに頷く。
「上層部はその可能性が一番高いと見ている。他にはこの世界に植民地を残すつもりだという意見もあるようだが……こちらは後で纏めて説明しよう。
で、だ。もしアトランディアの滞在期間が延びるなら、その原因は何だと思う?」
「えぇ? そんなのわかるわけないじゃない。そもそも世界を旅する国の存在自体が未知の塊なんだし」
「違うよアリシア、そういうことじゃない。このタイミングで滞在期間が延びたなら、原因は明白だろ?」
「このタイミング……あっ、次元震!?」
「そうだ。あれによってアトランディアの滞在期間が延びた……ひょっとしたら転移能力を失った可能性すらありうる。まあそんなのは絶対に認めないだろうが」
「そりゃそうだよね。いざとなったらこの世界を出て行けるって、最強のアドバンテージだし」
たとえこの世界が破滅しても、自分達だけは他に逃げられる。そんな相手に進んで喧嘩を売ろうとする者は、余程の馬鹿だけだろう。
「更にここで追加情報だ。ついさっきの話だが、アトランディアから正式に、王太子ニキアスの病気療養が発表された。それに伴い王女エルピーゾが暫定的に王位継承第一位となるとのことだ」
「それはまた、タブロイド紙が喜びそうな話ね」
「王太子の療養……ああ、植民地ってそういうことか」
「そうだ。エルピーゾを女王にし、ニキアスをこの世界に残す決断をしたという可能性がある。ただ他にも気になる情報があってな……」
「まだ何かあるの!? うちの諜報部、いきなり有能になりすぎじゃない?」
驚きすぎて目が飛び出そうになっているジミーに、ロイがわずかに思案するような顔をして答える。
「どうも日本の防諜能力が、急に二段階ほど下がったらしい。それで得た情報によると、どうやらエルピーゾ王女は本国におらず、二年前から日本に……しかもこの町に滞在していたようだ。
そのうえで非公式に帰国したのが六月五日。帰国したのが一九日。その意味がわかるか?」
「え? 六月五日って、確か最初の『次元震』があった日よね?」
「で、お姫様の滞在中に超巨大な次元震があって、日本に戻って少ししたらまたこっちで次元震? つまり一連の事件は王女様が何かしたってこと?」
「かも知れん。何せエルピーゾ王女は、日本で冒険者をやっていたようだからな。日本の法律の問題で活動を開始したのは今年の四月だったから、まだまだ新人のはずだが」
「なるほど、ロイの言いたいことがわかったよ。つまりお姫様はたった二ヶ月の活動機関の間にダンジョンの奥で指輪を見つけて、その力で国を乗っ取った可能性があるってわけだね。
あーあ、嫌だ嫌だ。それを火山に捨てに行くのは、僕達じゃなくFBIにやらせてよ」
「そうはいかん。ダンジョンに関連することなら、我々地軍の管轄だからな。ということだからアリシア、お前の任務にエルピーゾ王女の調査も加える。新人として活動していたなら、何か情報があるかも知れん」
「わかったわ。でも、情報が錯綜し過ぎててちょっと混乱してるかも」
「だよねー。四クールのアニメを無理矢理二時間の劇場版にしたみたいな感じだよ。しかも確定情報が何一つないって!」
「文句を言いたい気持ちはわかるが、奴らは調べるまでが仕事で、裏付けを取るのは実働部隊である我々の仕事だからな。では明日からもしっかり調査を頼む」
「「了解」」
最後に軍人の顔でビシッと敬礼をして締めると、その日の報告会は終了となる。
様々な誤解や曲解を含みつつも、着実に忍び寄る巨人の足音。それが遂に限界を超えるのは……それから三日後のことであった。





