59
「ふん、それなら試そうじゃないか。僕が世界の滅びを願うつもりと、君が世界を生かしたいと思う気持ち。どちらが強いのか!」
「受けて立つよ!」
そうして僕とアルバスは、互いに球体を解き放つ。
純白の光と、禍々しい黒が互いを吞み込もうとぶつかり合った。
「お、押されてる!?」
「当たり前だ。ノウノウと生きてる人間に復讐するため――僕はこの日のために、生きてきたんだから!」
アルバスが狂気じみた顔で叫ぶ。
その言葉に呼応するように、アルバスに付き従うバグが勢いを増した。
アルバスが世界を憎む気持。それが世界を滅ぼさんとするバグと呼応して、無限のエネルギーを得ていく。
「ウソよ、師匠は優しかった。師匠が本当に願っているのは、人間への復讐なんかじゃない。ましてや世界の滅びなわけがない! 魔族と人間がともに生きられる場所が――ただ静かに生きられる場所を、欲していただけよ!」
「知ったようなことを言うな!」
リーシャが、必死に声を届けようとする。
しかしアルバスは、苦しそうな声で怒鳴り返した。
その言葉はアルバスには届かない――否、届いた上で耳をふさいでいるのか。
「お兄ちゃん、頑張って。師匠を止めて――バグになんか負けないで!」
そうしてリーシャは両手を合わせて目を閉じた。
ただその気持ちが師匠に届くことを信じて。
信頼するアレスが、アルバスの復讐を止めてくれることを願って。
それは前世デバッガーの祈りだった。
たとえスキルという形でこの世界には現れずとも、そこに込められた祈りは何よりも尊いもので、
「どういうことだ!? 何故、そんなもので僕と渡り合える――!?」
「世界修復は、すべての祈りを取り込めるんだ。歴代のデバッガーの願いそのもので――リーシャが君を止めたいという願いも。みんなの気持ちを背負ってるんだ。負ける訳には行かない!」
ティアの祈りを感じる。
そして大災厄に立ち向かっている人々の願いを感じる。
それは、こんなところで終わりたくないという人々の強い意思。
その願いは、世界を滅ぼしたいという願いよりも強く――
「何故だ。この周辺のすべてのバグを取り込んだんだぞ!? どうして、押されるんだ!?」
徐々に押し返されていく黒い球体。
抗議するように、ざわざわと黒が蠢いた。
バグを使って世界を滅ぼそうとしているアルバス。
肝心の本人が、バグを制御しきれていないのだ。
「きっとリーシャの言う通りなんだよ。初代のデバッガーに選ばれるほどなんだ。君はきっと、誰よりも世界を愛してバグが世界から無くなることを願っていた」
「そんなことはない! 僕は――!」
「そんな君が、バグと手を組んでしまった理由。僕には、想像することも出来ないけど……。それでも本心では世界を滅ぼすことなんて願ってなかった」
「そんなことはない! 黙れ、黙れええええ!」
アルバスの気迫と反比例するように。
すべてを吞み込まんとする黒は、勢いを失っていく。
対して純白の光は、みるみるうちにバグを、世界の歪みを修復していく。
「行けえええ!」
操るのは互いに、この世の外側の法則。
最終的には意思と意思のぶつかり合い。
せめぎ合いは長くは続かなかった。
――拍子抜けするほど、あっさりと。
僕たちの『世界修復』は、アルバスごと『絶無領域』を喰らいつくすのだった。
◆◇◆◇◆
すべての力を使い果たしたのだろう。
世界修復に吞み込まれたアルバスは、バタリと仰向けに倒れ込んだ。
アルバス自身はバグではない。
ただバグを直すことのみを願った攻撃は、彼を消し去ることはなかったのだ。
そんなアルバスに、リーシャが険しい顔で駆け寄った。
「師匠――いいえ、アルバス。誓って。もう二度とこんなことはしないって」
「おいおい、リーシャは甘ちゃんだなあ。バグを潰すデバッガーでありながら、バグと手を取って世界を滅ぼそうとしたんだ」
空虚な笑みを浮かべるアルバス。
このまま止めを刺して欲しいと。
この世にはもう疲れたと、アルバスはそんなことを言った。
「許されるはずがない――おまえもそう思うよな?」
当たり前だ。
大災厄なんて前代未聞の事態を引き起こし、世界の滅びを願う存在。
さらにはこうして、リーシャを悲しませる存在。
「ねえ、アルバス。君の本当の願いは――」
「ああ、そいつの言う通りだよ。見てのとおりだ。俺は人間と魔族のハーフ――どこにも居場所が無かった」
ちょんちょん、とアルバスは自らの角を指さす。
普段はフードで隠されたそれは、人間にとっては恐怖の象徴にほかならない。
静かに生きたいと願っても、それを許されない生まれ持っての呪いだ。
「それで居て、デバッガーに選ばれてな。女神のクソ野郎からは、永遠の命まで授かった。ありがたすぎて涙が出るね」
「アルバス……」
デバッガーとして、永遠に世界のバグと戦い続けろということか。
「それでも、後輩も出来た。最初は、誰かに必要とされると思うと、嬉しかったわけよ」
どこにも居場所は無くても。
感謝されなくても、それでも良いと。
ただ世界を守るために、バグと戦い続けた初代デバッガー。
彼はそれでも世界を愛していたのだ。
それが歪んでしまったのは――
「だけどなあ……。バグはあまりに強大なんだよ。あれは世界そのものを、必ず覆いつくすバケモノなんだよ。人間が抗えるようなものじゃないんだ。何人も弟子が呑み込まれて――それでも戦い続けるなんて……」
「そんなことが……」
アルバスは、何を見てきたのだろう。
僕がデバッガーとして行動を始めたのは最近だ。
僕では彼の絶望を想像することはできない。
「そうして弟子を失って命からがら逃げた先で、いったい何があったと思う?」
「ええっと……」
「俺を匿っていた町に、兵士が攻め込んできたんだよ。たちの悪い貴族の私兵だったさ。……あいつらは、モンスターと共存できないかと模索する変わり者の集まりだった」
それを見たとき、彼はデバッガーの力をフル活用したという。
襲い来る兵士たちを皆殺しにした。
それでもやりきれない気持ちが残り――
「俺たちはただ静かに生きたかっただけだ。それの何が悪い?」
誰よりも世界を愛し、こっぴどく裏切られ続けた初代デバッガー。
天を仰ぎながら、彼はただ悲しそうに微笑んだ。
「悪いとは思わないよ。それでも――」
「お兄ちゃん?」
すがるようなリーシャの瞳。
彼女にとって、師匠だったアルバスもまた大切な存在なのだ。
勝手に諦め、勝手に復讐を企み、勝手に満足して死のうというのか。
大切な弟子であるはずのリーシャに、こんなに悲しそうな顔をさせながら?
ふざけるなと思った。
別に僕は崇高な使命に従って、デバッガーになった訳ではない。
自分の夢を追いかけるがため――結局のところ、僕はどこまでも身勝手だ。
世界を守るために、誰かの大切な人に止めを刺すなんて行為。
出来るはずがないじゃないか。
「アルバス、見てなよ。僕はすべてのバグを叩き潰すよ」
「そんなこと、出来る訳が――」
「やるよ。だってそう決めたから」
それが世界の果てに繋がるのなら。
それにリーシャとも約束したのだ。
「アルバス、君も真っ直ぐに目指すべき場所を目指せば良い。もちろんそれが僕の道とぶつかるなら――今度こそ容赦しないけど」
「目指すべき場所か……」
人間と魔族のハーフ。
アルバスの抱える問題は大きい。
それでも本当の願いから目を背けて、世界を滅ぼさんと復讐心に身をゆだねるよりは明るい未来が待っている――そう思うのは、僕のエゴだろうか。
「ふん、言うじゃねえか。デバッガーに成り立ての素人が!」
空虚な笑みを浮かべていたアルバスが、獰猛に笑った。
そうして身を起こし、こちらを睨みつける。
「そこまで言うなら……見ててやろうじゃねえか! バグの強大さを。何も報われない空虚さを知ったとき。楽しみにしてるぜ――おまえがどんな反応をするかな!」
「アルバス……」
「――悪かったな、こんな師匠で」
アルバスは、リーシャとは視線を合わせようとはしない。
立ち去り際に、ただ小声で一言だけ言葉を交わすのみ。
――そんな言葉を残し。
アルバスは、静かに立ち去ったのだった。






