九十二話 強者
正騎士。
それは騎士の国ロザリアにおいて、もっとも強く、正しき騎士を指す名である。
ロザリアの騎士の全ては、この正騎士を目指して精進する。技を磨き、武を極め、そしてより正しく騎士たらんとするのである。
しかしここ二十年ほど、その名を持つ者は変わっていない。ローガン・テンダラス――ロザリア史上において類を見ないほどの達人であり、正騎士の名にふさわいと名高い男であった。
その姿は噂に聞く姿よりも随分戦士らしく見えた。浅黒い肌、並々ならぬ体格。くすんだ金の髪の間に光る眼が、じっとこちらを見ていた。
「フランソワ嬢。王命により、その首もらい受けます。何か言い残されますか?」
「語るような言葉など持ち合わせておりませんわ」
少女はそう言って一歩下がり、ディロックの方を見た。マーガレットは転移の疲労から未だ立ち直れておらず、ゴーンはあくまでも案内役であり戦闘要員ではない。必然、現状頼るべきは彼のみである。
加えて、先の一瞬のこともあった。矢を打ち払い、自らの身を盾として守ったディロックに対し、ある種の信頼を置いていたのである。
彼はいまだ剣を抜かないローガンに対する評価を決めあぐねながらも、兜をはめて背嚢を落とすと、少女に代わって一歩前へ出る。その姿に、正騎士はかすかに目を細めた。
黒騎士たちはディロックたちの周りを取り囲んだまま動かない。転移直後でマーガレットの魔力に余裕がない現状、瞬間移動で逃げ出すことは難しいだろう。
この包囲を抜け出すのは至難の業である以上、勝利条件は一つ。彼女が転移、そうでなくても逃げ出す手段さえ使えるようになるまで、時間を稼ぐこと。
「護衛と言う訳ですか。今すぐ剣を下すのであれば、騎士道にのっとって命は保証しますが」
「断る。……約束は、破らない主義でね」
彼が剣を肩に担ぐようにして構える。打ち破るなどとは考えない。今を生きれればそれで良かった。
ローガンはそれを見て一度瞑目すると、背負った大剣に手を伸ばす。そして洗練された仕草で留め具を外し抜き放つと、顔の横半分を覆うようにして剣を構えた。それは決闘を行う際の、儀礼的な構えであった。
両手剣ゆえに盾はない。儀礼用ゆえに、戦闘に向いていない構えだ。だがディロックは、どこから打ち込んでも刃を食いこませられると思えないほどの、完成された構えに思えた。
「その覚悟と勇気。いずこの勇士かは存じませんが、賞賛に値します」
汗が一筋、頬を流れて行く。青と金の目が、暗闇の中で交差した
「……剣士、ディロック」
覚えておきましょう、とローガンが小さく呟いた。
一瞬の静寂。
衝突。
闇夜の中で、剣と剣がぶつかり合い、激しく火花が散る。その度、かすかに戦う剣士二人の影が闇より浮かび上がっては消えていった。
戦況はと言えば、圧倒的不利である。ディロックは防戦一方に押し込められていた。
両手剣は、その威力の代償に、重さと取り回しの悪さを抱えている。加えて、威力では斧や槌に劣り、取り回しでは片手で扱える武器に負け、射程では槍に及ばない。どれをとっても中途半端だ。
だが、使い手の類まれなる技量があれば、話は別である。ローガンは、その最たる例といっても過言ではなかった。
重厚な刃が、恐るべき加速をもって迫る。なんとか刃を滑らせて受け流し、身をかわし続けてこそいたが、限界はすぐに見えていた。
――早すぎる。重すぎる。
身に剣を添え、回転を加えて加速する。いわば、自らを剣とするような戦い方は、両手剣の不利をおよそ相殺していると言っていい。
武器を持った時、取り回しの良し悪しを決めるのは重心の位置である。槍や斧であれば刃部分、剣であれば手元に近い刀身にある。そして、武器の重心位置が体や腕に近ければ近いほど、取り回しは良くなっていくものだ。
全身を一本の剣とせんばかりの戦い方は、まさにその重心を操る術である。
回転のままに剣を打ち付け、反撃に出ようものなら素早く回された剣が反対方向から襲い来る。その勢いを止める事が出来ず、ディロックは暴風にもまれる木々のようにただ耐え忍ぶばかりだ。
曲刀に折れる兆候がないのは不幸中の幸いであったが、持ち手たるディロックが押され気味では意味がない。戦いが始まって、まだ五分も経過していないというのに、彼は勝利の糸口すら掴めないでいた。
それほどに、純粋な技量の差というものは埋めがたい。
一合、二合、三合。その尋常ならざる威力のあまり、打ち合うたびに、ディロックの足が一歩ずつ下がっていく。受け流しきれなかった衝撃が腕を苛んでいく。限界は、そう遠くない。
「が、ァっ!」
何時までも受け止めている訳にも行かない。せめて態勢を立て直さねばと、大きく地面を蹴って離れる――が、ローガンはそれを知っていたかのように前へと跳んでいた。
ディロックは振り下ろされる剣を、今度はあえて受け止めた。衝撃とともに、ディロックの体が宙を舞う。
空中でくるりと身をひねり、なんとか着地する。
確かに受け止めた。自ら吹き飛んだ事で、ダメージも最小限だ。だというのに、右腕は正騎士の剣を受けて、かすかに震えていた。
勝てない。うすうすと感じ始めたその予感を振り払うように、彼は森に響き渡るほどの声量で吠えた。




