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青空旅行記  作者: 秋月
二章 本の国ルィノカンド
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六十五話 友人

 更新が大変遅れ、申し訳ありませんでした。

暑さのあまり手が……というのは、言い訳ですね。

 人通りのない静かな大通りで、マーガレットが杖を掲げた。


 魔力の渦がその杖の先端へと集まり、そして彼女へと流れ込む。そうすることで、魔力の中から情報を読み取っているのだ。


 しかし、本来は集めた魔力を情報へと変換する手間が必要だ。彼女のやり方では、いつ術者が爆発しても可笑しくない。が、本人は何処吹く風といわんばかりに杖を降ろすと、大きく頷いて口を開く。


「さっき干渉した時、一部を大本へ戻るように捻じ曲げたのだが、成功していたらしい。これなら追えるぞ」


 ディロックはその出鱈目さに呆れながらも、しかし今考えることではないか、と小さく頷くと、は彼女に先導されて歩き出した。


 ――マーガレットが戦力になると申し出たとき、ガイロブスが激しく反対した。大柄なれど、その外見に合わぬ器用さと笑顔で食事を作っていた彼が、その背中を大きく震わせて怒鳴る姿を、ディロックは初めて目にした。


 当たり前といえば当たり前の事である。誰が好き好んで親友を死地へ追いやろうと言うのか。


 そう長い付き合いではないディロックが、一目見てそうと分かるほどに、二人は旧来の付き合いだ。ゆえに、彼はガイロブスが彼女を引き止めようとするのをやめさせなかった。


 しかし彼女はその制止を短い言葉で振り切ると、ディロックを押し出して外に出てきてしまった。


 その後ろ姿に後悔はないようにも見える。しかしディロックは、巻き込んでしまった身としては問い掛けないわけには行かなかった。


「……マーガレット、良かったのか? その……あれで」

「ガイロブスのことか? 思ったより繊細な奴だな、君は」


 くつくつと笑いながらとんがり帽子の位置を正すマーガレット。その青紫の瞳に淀みらしい淀みは少しも見当たらない。


 その瞳に、一種の懐かしさのようなものを覚えるディロックを尻目に、彼女は言葉を紡いだ。からっとした語り口ながらも、その声には、どこか寂しさにも似た感情が滲んでいた。


「"あれ"でいいのさ。むしろ、"あれ"が一番良いんだ」


 ふと、彼女は空を仰いだ。段々夜へと近づきつつある空は、すぐにでも夕焼けが来ることを知らせている。ディロックがそれにつられた様に空を見上げると、その時彼女は話を続けた。


「少なくとも、あいつは料理人だ。君は旅人で……そして、私は冒険者だ」


 古い付き合いだ、気の置けぬ友だ――だからこそ。


「あいつには、争いでは無縁であってほしい。私がうだうだと説得しようとしたが最後、無理やりについてこようとするのは目に見えていたのでね」


 勝手に断らせてもらった。彼女が話をそう締めくくると、ディロックもそれ以上問い掛けなかった。


 ――友情、というものが、彼には良く分からなかった。故郷に居た頃、腕白で排他的だった少年時代の彼に寄り付く者はあまり居なかったし、唯一他人へと得た思いは、しかし友情とは遠いものであった。


 だから、何も言えなかった。それが良いことなのか、悪いことなのか、判別付かなかったのである。


 肯定も否定もしない彼を、マーガレットが不思議そうに見た。薄く開かれた輝かしき金色の瞳は、しかしその時、何処かからっぽで、寂しげに見えた。


 それに気付いた彼がハッと頭を振る。そうすると、感情が露になっていた瞳はすぐに見えなくなり、いつもの旅人の目に戻った。マーガレットはしばし彼のことを見ていたが、すぐに前を向きなおした。


「まあ、負けると決まった訳でもあるまい。たった二人だが、勝機はあるんだろう?」

「ああ。勝ち目はある。後はそれを掴み取るだけだ……」


 ふとディロックは、手を愛用の剣にやった。


 ――本当に勝てるのか?


 不安が彼の体を蝕んでいる。それと気付かれぬようにぐっと抑えた右手は、小さく、けれど確かに震えていた。


 しばし歩き、門番さえも駆りだされているのか無人の門を抜け、二人はルィノカンド王都を出た。


「魔力の反応はまだ遠いか?」

「……このままの調子で行けば明日の早朝にはつけるだろう」


 案外最後の朝日ぐらいは拝めそうだ、と笑う彼女に、ディロックは答えられなかった。




 二人は仮眠を挟んで夜を歩きとおすと、気付けば山の向こうで日が昇っている時間になっていた。朝六時ほどか、薄い雲の向こうに蒼い空が少し透けて見えていた。


 杖を掲げ続けていたマーガレットも腕が疲れてきたのか、そっとその場に腰を下ろした。杖を投げた辺り、反応も近いのだろう。ディロックも近くに座り込んで鎧の止め具を緩め、一部を外して足を揉んだ。


「反応はすぐそこだ。近くだと思うんだがね」


 上体だけを起こして辺りを見回すマーガレット。彼もそれに追随して周囲を確認したが、近くには遺跡どころか、木立が幾らかある以外に目だった地形さえなかった。


 朝日に照らされて、ぼんやりと平野を覆う緑が光を反射している。草に付いた朝露で体がかすかに濡れる中、二人はすこし思案した。


「しかし、周りにそれらしき影は無いな」

「魔力の追跡も完全に正確とはいかんからな。近辺なのは確かだ、少し休んだら探そう」


 そう言って再び草原の中にマーガレットは身を沈めた。無防備にも見えるが、杖を手放していない辺り、熟練の冒険者らしい所は持っているようである。


 ディロックもまたそれに習うようにして胡坐をかき、頬杖をつく。生憎と寝る気分にはなれないらしかった。


 すると、彼女が寝転んだままディロックに問い掛けた。


「そういえば、君の事をあまり知らないな。なぜ旅をしているのか、聞いても良いかね?」


 旅の目的か。ディロックは口の中でその言葉を転がした。ずいぶん縁の遠い言葉だと思ったからだ。


 雲をぼうっと眺めていても答えが出ず、彼は結局、事実だけをぽつりとこぼした


「今の所は、ない」

「……ない?」


 思わずと言った風に彼女が問い返すと、ああ、と曖昧な返事が返る。ざざざ、と風が草原を薙いで行った。口を閉ざす雰囲気でもなく、横板に雨垂れといったふうに彼はぽつぽつ語り出した。


「昔、色々あって……故郷から逃げた。その延長線に居る。だから――」


 ――だから自分でも、何処にいって良いのか分からない。その言葉は、しかし彼の喉に食い込んで止まった。


 何処まで行けば逃げられるのか、その問いに明確な答えは無い。追い立てて来る訳でもなく、しかし確実に、彼の意識にするりと入り込んで来るのだから。


 彼はずっとずっと抱え込んでいた。少なくとも、背中の重みが背嚢のそれなのか、はたまた逃げ得ない過去の重さなのか、とんと検討が付かなくなるほどには。


 黙りこんだ彼に、マーガレットは目を向け、そして呟いた。


「どこも目指していないのかね。なら、死ぬまで旅を続けると?」

「それは……分からない。どこかで腰を落ち着けるかもしれないが」


 踏み込んだ質問に困惑を示しながら、彼は反論するように言葉を述べた。しかし、それはありえないと彼自身分かっていた為か、はたまた推察力故か、彼女の視線はディロックの方へ向いたままだった。


 居心地悪げに他へと視線を移したディロックは、そこでふと、風がざわめくのを感じた。


 普通の風ではない――何かを知らせる風だ。直感的に理解した彼は、咄嗟に立ち上がると、手を当てて耳をそばだてた。


 ザザザザザ……風が吹く。草原を吹き抜けていく一陣の風は、ディロックへその不穏な空気を送り届ける。姿の見えないそれは、しかしディロックへ明確な言葉を伝えていった。


「"こっち"……か。呼んで……いや、教えてくれているのか?」


 彼はそう言って立ち上がると、自分だけに伝わった声を頼りに歩き出す。その足取りは迷わず一方向へ向かっていて、マーガレットは慌ててその後を追った。


 茂みを押しのけ、木立を通り抜けた先。


 風の声がふっと途絶えたのを感じて立ち止まったディロックの目の前には、巨大な湖が広がっていた。

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