三十七話 黒曜石の左手
「なあ……なんか、寒くないか?」
ふと、隣の男がそう呟いたのを聞いて、ディロックもはたと気付いた。確かに寒い。ユノーグも気付いたのか足を止め、周囲の空気を確かめた。
「なんだいこりゃ。日が当たらないっても、こんなに寒くなるかい?」
「いやあ姉さん、これはおかしい。ここいらじゃ、夜が続いたってこんな寒さにゃなら――」
その瞬間、ディロックの首から下げられた木片のネックレスが淡く光る。それと同時、うなじの辺りに氷でも押し付けられたかのような寒気を感じ、彼は咄嗟に身を投げ出しながら叫んだ。
「伏せろッ!」
すぐさま反応できたのは四割ほどか。近場の二人ほどを巻き込んで倒れたディロックだったが、その更に後ろから、複数の打撃音と悲鳴が聞こえた。
気付くのに遅れた事に気付いて歯を食いしばりながら、ディロックは闇に目を凝らして、何が襲ってきたのかを確認しようした。だが、ヒュンっと風を切る音が聞こえて、彼はすんでの所で首を傾けて避けた。
「なにか飛んできているぞ!」
「『閃光』と光玉を出しな! 敵襲だよ!」
彼がするどく叫び、ユノーグもまたかなりの速度で反応した。無事だった者たちもやはり手練、指令にすぐ反応して魔法使いは杖を掲げ、そうでない者たちも懐から不思議な光を宿した球を地面にたたきつけた。
転がされた球から、魔法使いの杖先から、まばゆい光が解き放たれる。その光は深い暗闇の中を切り裂くように広がり、同時に飛んできたものの正体を明らかにする。
それは奇妙な形をしていた。冒険者達を襲った飛来物は、一種の宝石のような光を宿した、赤黒い八面体であった。倒れた者たちのほとんどは、後頭部から血を流しており、単純な物理攻撃でやられた事は確かだ。
不自然なタイミングで凄まじい加速を持って、そのうちの一つが打ち出される。ディロックは自分の方へ飛んで来たそれは曲刀で切り裂こうとしたが、あまりの速さに押し切られ受け流す事しか出来なかった。
しかし、今の感触は切れる。ディロックの達人の勘がそう囁いていた。お前の腕なら切れると。なら切れるのだろうなと思いながらも、打撃の方が効果的か、とひとりごちた。
「見た目よりは少し柔らかいが、打撃の方が効きそうだぞ」
「打撃武器がある奴はそっちを使いな! 無い奴は石でも投げるんだよ!」
曲刀を鞘にしまいこみ、彼は背嚢にくくりつけていたメイスを取り出した。その一本の棒の先端にはほぼ三角に近い形状をした突起が先端を取り囲むように生え、確かな打撃力を感じるものである。
とはいえ、それは数打ちの安物だ。自分の腕前では切れないものが出た時のために、普段から持ち歩いてこそいるものの、その機会は滅多に訪れなかった。
故にその扱いも荒く、勘に頼って適当に振りぬくだけだ。しかし、剣士の身体能力を持って放たれたそれは、充分に脅威足りえる。
相手が突進してくるのだから、そのコースに攻撃を載せてやればいい。こちらが押し負けさえしなければ、相手のスピードが自らを殺す武器になる。
ぶんと振り回されたそれが、再び彼へ向かって突っ込んできた八面体を打ち据える。凄まじい抵抗も一瞬、ディロックのメイスは八面体を見事に砕いて見せた。
やってやれない事は無い。破片が地面へ落ちていくのを見ながら、一つ、また一つと打ち出される赤黒の八面体を打ち落としてく。
最初こそ奇襲を受けたが、何処から来るかわかってしまえば、冒険者達も次第になれてきたのか、高い連携力をもってして次々に八面体を叩き砕く。森にひしめいていた結晶を打ち砕くのにそう時間は掛からない。
だが、砕いた数が数十を越えても、八面体は無数に現れては何処からとも無く突撃してくる。長時間の戦闘が単調な作業と化して来たころになって、変化は訪れた。
「うがッ!?」
「急に、ぐげッ!」
突然、冒険者のうち何名かが悲鳴をあげて倒れる。ディロックが何が起こったのかと確認しようと注意がそれた瞬間、彼に向かって八面体が打ち出された。
甲高い金属音と共に、ディロックがたたらを踏む。凄まじい衝撃が彼の腹部を襲ったが、しかしそれだけだ。内臓までダメージは届いていない。
「ディロック! 無事かい!?」
「金属鎧は伊達じゃない。この程度問題はないさ」
ディロックは、彼の腹部から木々の元へ戻ろうとした八面体を打ち砕き、ユノーグに向かって悠々と返事をした。痛みが無い訳ではなかったが、この程度で根を上げている暇はない。
「方陣を組みな、態勢を立て直すんだ! 急ぎなァ!」
ユノーグもまた少なからず打撃を受けながら、鋭く指示を叫んだ。無事な冒険者は怪我人を引きずってきたかと思うと、すぐさま武器を構えて方陣を組み始めた。
怪我人を中心として、穴の開いた四角形の陣形が組まれる。対突撃に優れ、全方向をカバーできる方陣だ。これなら奇襲の効果はない。
「くそ……やつら、急に死角から……」
「喋るな、傷にさわる!」
ディロックは深呼吸をはさんで痛みを無視し、意識を戦いに集中する。死角から襲ってこようと、方陣の中へ紛れていれば関係ない。何処から飛んでこようと、仲間が対応してくれる。
好き勝手に避けることこそできないが、不意打ちの可能性は無い。攻撃に専念できる。
ヒュンヒュンと風を切りながら、高速で飛びまわる八面体を打つ。砕いた事すら確認せず味方を襲いかけた八面体も破壊する。三つ、四つ、五つ、六つ。勢いは止まらない。
防御を気にしなくて良いのであれば、攻撃はより苛烈だ。むしろこの状況であれば、攻撃こそが最強無敵の防御と化す。
縦横無尽の乱打が舞い、八面体を鮮やかに打ち砕く。ディロックのもの、ユノーグのもの、冒険者のもの、全ての打撃が入り混じって飛ぶ。
「しかし、なんだって急に……まさか油断を誘ったわけでもあるまいし」
「油断を誘うなら、そもそも囮を使うだろう。奇襲の手は打たん」
誰かの呟きにディロックが答える。と同時ぶん、とメイスが再び宙を切り、また一つ結晶体が砕け散る。赤黒い破片が舞って雪のようだった。
そうなると、何故急に動きが変わったのか分からない。怪物は怪物らしく、多種多様かつ異様な能力を持ち合わせているのが基本だが、何の能力なのかさっぱり分からないのは不安だ。
モーリスの持っていた文献にも載っていなかった事だ。だとすれば、『黒曜石』の左手は何の能力を得たのか。
「おい、なんかくるぞ!」
物思いにふけりながらメイスを振るっていた彼は、大声にハッとして、すぐに指差された方を見た。
するとそこには、八面体が三角を描くように布陣して飛来して来ているのが見えた。一つや二つではない。五つ、六つと無数の編隊が群れを成す蜂のごとく漂っていた。
「あれは……隊列、か?」
誰かが呆然としたように呟く。そう、それはまるで、誰かの指揮にもとずいて組まれた隊列のように見えた。
すぐさま凄まじい速度で打ち出された編隊は、先ほどのように散発的に襲ってくるのではない。一つ一つ接合した八面体が三角の布陣をもって突撃してくるのだ。
一つ二つ砕いたところで、とても攻撃を防ぐには間に合わない。八面体による打撃が冒険者の何名かを襲い、その鎧ごと骨を叩き割った。速度も上昇しているようである。
ディロックもまた、八面体の波に弾き飛ばされ、あわや頭から墜落しかけた。しかし彼は空中でなんとか身を翻し、足からの着地に成功する。
だが、被害は甚大だ。最初の奇襲で受けた被害を遥かに上回る数の負傷者が出ているのは目に見えており、倒れて動かない者には、もしかすると、死者も混じっているかもしれない。
少し離れてみるだけで分かった。『黒曜石』の左手と思われる八面体群は、鏃のようにただ突撃して来ているのではない。右から、左から、タイミングをずらして次々に飛んで来ている。
これでは防御も攻撃もとうていままならない。効果的な突撃による波状攻撃を受けては、方陣とてもろい。そもそもが対人用の戦術であるのもあいまって、戦線は崩壊しかけていた。




