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青空旅行記  作者: 秋月
五章 白き山マーダヴァ
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百五十四話 獣

「混沌の穴を、開ける? ……そんなことが出来るのか」

「理論上はな。だが、人間には到底無理だ」


 穴目掛けて杖を刺し、何かを探るマーガレットに、ディロックは静かに問いかける。


 混沌の穴とは、つまり神代からの負の遺産である。時折発見されては、災禍をもたらすか、あるいは新たな英雄譚の(いしずえ)となるかという規模の話なのだ。当然、そうそう見つかるようなものではない。


 それに、人間が容易に開けられるようなものであれば、混沌の信奉者――"混沌の炎(ケイオスブレイズ)"たちの活動ももっと活発だったろう。神代の光あってこそ、現代は残酷で理不尽なれど、まだ明るいのだ。


「だが魔力の痕跡というものは正直だ。木の年輪のようなものでな。エルフの様に年を誤魔化す事は出来ん」

「その"年輪"とやらが新しいと?」

「そうだ。ここ一週間、あるいは二週間。もし推測が外れていても、一か月以内だ。間違いない」


 つまり、ごく最近の事だ。ディロックは顔をしかめた。


「ま、出来る限りさっさと閉じるとも。数分貰うがね。その間は見張りを……ん?」


 言葉が途切れる。マーガレットが外を向いたまま黙り込んだのだ。彼もそれに追従して外を見た。外はもう、ほとんど夜に差し掛かっており、ゆるやかな雪の白に閉ざされて音もない。だが、かすかな風がディロックの耳に何かを告げていた。


 何か、来る。


「調査隊、出来る限り奥へ行って伏せてくれ。混沌の穴には触れるなよ! マーガレット、解除を急げ! ……オヴァト、何か分かるか?」

「分からん。だが真っ当な気配ではないぞ」


 となると。彼はちらりと後方、混沌の穴を見た。"ただ穴が開いているだけ"という事態は考えにくい以上、混沌に関わる存在であると考えた方がいいだろう。柄に手をかけながら、洞窟から頭を出し、ゆったりと降る雪の中をじっと見た。


 いる。何かいる。こちらを見る灰色の瞳。雪に溶け込むような白い体。強靭な四本足は、雪をものともせずのしのしと歩き、かすかに光を反射したのは、おそらく牙だろう。四つ足で立つ姿はディロックより少し低いが、それでもとびきり大きい。もし二本足で立てば、彼の二倍近いだろう。そんな獣が複数体。


 唸り声一つ上げず近づいてくる姿は明らかに尋常なそれではない。鞘からサーベルを抜くと、オヴァトに向かって叫んだ


「援護を頼む!」


 マーガレットは穴を閉じなければならない。民間人もいるのだ。ディロックは一人、洞窟の外へと躍り出た。


 踏みしめる雪。跳ね飛ぶ白い粉の向こう側で、影が動く。


 その瞬間、彼は剣を右後方へ薙ぎ払った。確かな手ごたえと重い感触。目の端で弾かれていく獣。洞窟へ向かおうとしたのだろう。弾かれて体勢を崩し、獣は山を滑り落ちて消えていった。だが――鳴き声は出なかった。


 雲が薄まる。月明りがするりと糸の様に届く。


 獣は、狼であった。瞳のない、真っ白な目をした、狼である。爪は異様に伸び、牙は奇妙に鋭く、毛は鉛の様に鈍い光を宿す。そして、白一色の毛色の中、額にだけ一筋の黒。光を反射しない深い黒。かすかな刺激臭。


 炎の霊薬(フラーマ)だ。混沌の手先どもに流れる血。あれを媒介にして、獣を手先としたのだろうか。だが炎の霊薬など、混沌そのものでなければ、そうそう手に入るような品ではない。たしかな混沌の気配がそこにはあった。


 飛び込んでくる三つの影。ディロックはその場を動かず腕を、足を前に突き出し、剣を振るう。ひゅう、と風を切る音がして、一刀のもとに獣の首が一つ舞う。だが残り二匹はそうはいかない。


 牙が来る。彼は身構え、グッと一瞬に力を込めた。鎧を歪ませ、めり込む牙。鋭く走る痛み。だが、それだけだ。腕も、足も、まだそこにある。


 一匹はそのまま、岩にたたきつけられて頭を粉々にされ、足をかみ切らんと力を込めたもう片方は、オヴァトの矢に脳天を貫かれて息絶えた。幸い、膂力も耐久力もそこまでではない、とディロックは断じる。


 だがディロックから流れた僅かな血にひかれたのか、狼が何匹も月光の影から這い出して来た。一匹、二匹、三匹――否、十数匹はいる。しかも、崖のような壁面を上ってきているのである。


 こちらは非戦闘員を大勢抱え、すぐさま撤退出来ないが、向こうはどこからでも攻める事が出来る。こういう時こそ魔法の力に頼りたいが、そうもいっていられない。ジリジリと下がりながら剣を構え直す。


「……魔法使いを呼び戻した方がいいんじゃないか」


 すぐ隣まで来たオヴァトが矢をつがえながらつぶやく。それに対し、ディロックは小さく首を横に振る。相手が"混沌"なら、なおさら穴はすぐに閉じるべきだと、彼は確信していた。


 人には生活がある。今日だけしのげれば良いのではなく、明日も、そのまた明日も生きていく必要がある。しかし攻撃側はお構いなしに、今日一日を崩せればいい。たったそれだけで安定というものは脆くも崩れ去ってしまう。城を奪われれば、もう"防御側"ではいられないのだから。


 それと同じだ。混沌の手勢が増える機会は、可及的速やかに破壊する。戦いに立つのであれば、倒すべき敵はことごとく滅ぼさねばならない。それも、適切なタイミングで。


 とびかかってくる無数の牙の波に、ディロックは雄たけびを上げながら飛び込んだ。

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