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青空旅行記  作者: 秋月
四章 見捨てられた国ウルツ
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幕間 旅人の唄

遅れました。

「ここより西、人の足で一ヶ月、馬の脚で半月の場所に、本の国と呼ばれるものありき……」


 歌い上げる声。聞き覚えのある国名に、ディロックはふと顔を上げた。


 吟遊詩人の唄だ。北方出身であろう、毛皮を多用したあたたかそうな服に、白い肌、尖った目。手にしたリュートがポロロンポロロンと、軽快に音を立てていた。


「どうした、ディー?」

「……ん、ああ。お前の国の歌らしい」


 くいと顎で吟遊詩人の方を示せば、上等な飯を頬張っているマーガレットの目に、好奇心の光が宿る。ほう、と口に出そうとしたのか、モゴモゴという音だけが響いた。彼女の口の端からは吸い込まれて行くパスタが見えた。


「あの本の虫(ビブリオフィリア)の巣窟のかね。本との恋愛話でも?」

「お前もその一人だろうに……」


「かの国、叡智束ねしものたちの都、学徒たちに動乱のきざし。皆知恵を捨て、言葉の術を忘れ、血と肉に訴えるなり――」


 澄んだ歌声の内容は、どこかで聞いたような話だった。おいおい、と顔を見合わせた二人だったが、そういえば国を出てそれなりに経っている。国の中枢一つが揺らぐような事件だったのだから、歌にされてもおかしくはない。


 とはいえ、大した情報は出ないはずだ。いきなり始まり、いきなり終わる。誰が終わらせたのか、誰も名乗り出てはいない。そんな事件の内容をどう語るというのだろう? 二人は好奇心に満ちた顔で、耳を澄ましながら飯を頬張った。


「かの難事見過ごせはせぬ、かくして三人の者立ち上がりし。名をば"石の杖"なり」


 頬張った飯を吹き出しそうになって、ディロックはむせた。上等なサラダを死守せんとして、マーガレットが皿を引く。いや待て、それは俺のだと伸ばしたディロックの手が辛うじてその皿を掴んだ。


 冒険者も旅人も、歩く仕事は体が資本、戦士も僧侶も歌人でさえもどっかりと飯を食う。いくら路銀が膨れ上がったとはいえ彼らは宿無しの旅人であり、二人はたびたびこうして下らない争いに興じていた。


「かの者ら、古の災禍に立ち向かいたり。忘れ去られしもの、名を失いし賢者、かの怨霊に刃をば振るいたり――」


 何故知っているのだろう、どうにか奪い返したサラダを口に運び、マーガレットの恨みがまし気な視線を無視しつつ、彼は思った。二人はすくなくとも、そうした勲功に興味はあまりなく、それゆえ口にしたこともない。


 唯一可能性があるとするなら、臨時パーティ"石の杖"の一人、この度に同行しなかった飯屋のガイロブスだろうか。店に現れた客にでもポロリと漏らしたのかもしれない。


「ついに古の災禍は立ち消え、勇者たちそろいて帰りたり。誰もその誉語ることなく、されど本の国に再び安穏おとずれ、続くこととなった……」


 ぱちぱちぱち。時間は昼を少しすぎたほど、それゆえ人は少なく、拍手もまばらだ。だが、いくらかのおひねりが飛んできて、彼女の楽器入れに投げ込まれていく。


「……なつかしいな」

「うん? 君も、ああいう芸をしていたことがあるのかね?」

「まぁ、な。まだ剣を振り回せる程度の、へなちょこだった時期に、ああいうことをしていた」


 腕は下手の横好きどまりだったが、と心の中で続ける。しかし、そんな程度の歌や楽器でも案外おひねりはもらえるのだ。路銀稼ぎにはちょうどいい。


 これが何故かといえば簡単な話で、辺境の村には娯楽が少ないし、そうでなくても吟遊詩人の歌というのは、数少ない情報収集の手段となるのである。


 一般の町人にとって情報屋は縁遠い存在であり、遠くの町の事情や国の政情を知るには、彼らの話を聞くのが一番てっとり早く簡単なのである。そしておひねりの代わりに、次回への期待をかける。だからへたくそでも極論問題はない。


「……何か歌ってくれないか? 聞いてみたいのだがね」

「俺がか? いや、まぁ、誰も歌ってはいないが……」


 まともに歌ったのはもう何年も前だ。どうにかして断ろうかと思ったが、マーガレットはキラキラとした――つまり、好奇心を発揮している時の目を――していて、どうにも断りがたい。どこから聞きつけたのか、酔客たちもそろそろとこちらを覗くものがある。


 次第に少しずつ静かになりつつある店の中で、ディロックは大きくため息を一つつき――立ち上がった。


「……おお、遥か西の最果て。黄金の園、ぶどうの庭、(ぎょく)持ちて生まれたる者よ――」


 歌う。産声を上げるように。滔々と語り聞かせるかのように。歴戦を踏み越えてきた男の喉は深くしみいるような声を、酒場中に響かせた。昔よりは上手くなっているな、とディロックは苦笑いを浮かべた。


 歩き出す。吟遊詩人の座る場所に向かって。女も彼がなにを歌っているか分かったのか、楽器を持ち、弦をはじき始める。


 それはどこの国でも語られるきわめて有名な歌。遥か西の果てにうまれ、東の果てへと冒険し歩きとおした"玉持ちて生まれたる者"、"最果てに名を刻む手"、"冒険者の王"ジャン・フールの歌である。


 夜が歌とともに更けていく。

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