百二十五話 散財
その後も彼は、商店街をぼちぼちと歩き回った。割引に心惹かれて道具のテストだとかに巻き込まれ、髪が全部ピンク色になったときはよほど剣を抜こうかと思ったが、それ以外は平凡なものだった。
なにせ、この町は多くの魔法で守られている。あの巨大な芋虫でさえもそうやすやすとは侵入できない。だから怪物の類が町に入ってくることもないし、治安もかなり良いのだ。
さて日も傾いてきて、そろそろ帰るかなと考えた時、ディロックはふと足をとめ、二歩ほど道を戻った。そこには、一つの店があった。小さな露店だ。
そこに一つの鎧がおいてあった。
武骨な鎧だった。金属鎧には当たり前に施されている装飾の類は一切なく、いっそ地味すぎるほどに地味な鎧だ。だが、誂えは明らかに、戦いへ赴く者の為のそれであった。
「なあ、これは」
「あ? ……見ての通り、売りモンだよ。買うのか?」
店主はドワーフの男だった。背は小さく、ディロックの腰より少し高い程度だろうか。髭はぼうぼうに生えていて、地面にまで届きそうな長さのそれは、幾重にも編み込まれている。いかにもドワーフといった男であるが、顔は誇りを失って、髭も手入れを怠っているのかぼさぼさとあちこちに跳ねていて、少し動く度にぼろぼろと砂が落ちていった。
思いもしなかった店主の恰好に一瞬怯んだが、ディロックは何も言わずに、鎧に手を触れた。ドワーフは一瞬それを睨みつけたが、彼は気にせずに鎧のふちをなぞっていく。
曲面が滑らかだ。角度によっては、矢だって十二分に弾いてくれる。特別な金属は使われていないようだが、感触は軽く、されど硬い。
それに、装甲の部位も良い。関節ごと覆うような鎧はどれも鈍重で、それに曲げられる角度に制限がつく。ディロックの三次元戦闘にはついてこれない。だがこの鎧の関節部は、おそらく怪物――それも、虫かなにかの皮を使って作られているのだと予想できる。
ぶよぶよとした感触の皮だが、しっかりと伸び縮みする割に強靭だ。おそらくだが、彼の渾身の力を持っても引きちぎる事は困難だろう。攻撃は受け止めながら、動きは決して阻害しない。また、それ以外の隙間を鎖帷子で覆う事で、耐衝撃性も高められている。
「良い鎧だな」
ディロックがそう言うと、ドワーフはしばし沈黙した。それから、へんっ、得意気に声を発すと、鼻の下をこすっていった。
「あたぼうよ。俺がわざわざ、国を捨ててまで作った鎧なんだぜ。動きは柔らかく、されど堅固。虎がつけたって不自由しない鎧だ」
そう得意気に言い放つ顔には、苦労と、それから煤塗れの誇りがにじみ出ていた。
きっと、虫の素材を探して、あちこち旅したのだろう。そして、この国に来てこれを作っても、一部を虫の皮で作った鎧は売れなかったのだ。
なにせ、この国の主食は虫である。無論、主に出現する怪物も虫であるため、その脅威性を疑う者など居ないだろうが、だからこそ忌み嫌う。食物としてしか見ていないものにとっては、虫の皮は柔らかいものだし、敵として見ているものにとってそれを身に着けたいとは思えないのである。
だから、この男と男の作った鎧は捨て置かれた。自分が渾身の力を込めて作った鎧に、誰も見向きしなかった現実に、このドワーフは打ちのめされてしまったのだ。
けれど、ディロックはこの国の人間ではないし、流浪の身の旅人である。虫に対する固定概念など無いし、それを身に着けることに対してさしたる忌避というものはない。
「いくらだ?」
「……金貨で十五……いや、十二枚。それぐらいだろう」
それは恐らく、売れ残ったことを加味した、かなり安い値段だろう。見るからに生活に瀕していそうで、まして誇りさえも失いかけている彼にとって、売れれば良いのだ。その代わりに次の鎧は、どうしようもなく無難で、普通の、売れる品を作ればいいのだから。
ディロックは貨幣を入れている袋を開き、覗き込む。あれこれ散財したが、まだまだ金貨はある。だがコレを使ってしまうと、残りは金貨二枚と銅貨がいくらか。かなりの散財になってしまう。
けれど、一瞬の迷いを振り切って、彼はその手を突っ込んで金貨を握り、それをドワーフの方へ向けた。慌てて差し出された手に、金貨からからからと心地よい――あるいは、物惜し気な――音を立てる。その数、十五枚。
「! ……いいのか?」
「あぁ。その代わり、調整を頼んでいいか。長く使う鎧になりそうだから」
ドワーフは喜んでその仕事を請け負った。
短い採寸ののち、てきぱきと軽い手直しが行われていく鎧を見ながら、ディロックは少しだけ後悔していた。無論値段のことだ。
けれど、この諦めきった男が、次に何を作るのか少し気になる。その好奇心に、金貨を三枚余分に払う価値があるとも、考えていたのである。
この鎧は、着る人間の事をしっかりと考えた鎧だ。それでいて、かなり革新的でもある。広まるにしても時間がかかるだろうが、それでも良い物は使われていく。あるいは、特殊金属さえ。つまりミスリルの類でさえも超えるような鎧も、生まれるかもしれない。
魔法ならざる指で、時に世界をも揺るがす。そんなドワーフ達の職人気質というのは、彼にとって尊敬の対象だ。肌身離さず持っている、機械式の時計をちらりと見て、ディロックは目を閉じた。軽くなった懐については、極力考えないようにした。




