百十二話 尊敬、嫉妬
さて、ジェームズ王とカルロ公爵の戦いはと言えば、カルロの方がやや押され気味であった。
理由は簡単で、建国王の剣が強いのである。竜の鱗をも断ったその鋭く重い刃は、たとえ鎧のもっとも厚い部分でもろくなことにはなるまい。加えて、王と公爵の剣技は甲乙つけがたいほど拮抗しており、そうなれば装備の差でジェームズが優位を取るのは当然と言えた。
剣が交差する。竜断の剣を真正面から受けることはできず、防戦一方のまま、公爵は少しずつ傷ついていた。
魔法の支援はない。それは、カルロ自身がそれを断ったからである。それがロザリアの法なればと。いくら大きく助力をいただいたとて、最後はこの手で付けねばならぬと。
無論、カルロが王に勝てないのであればすぐさま撃つようにも頼んだ。意地と、国の民を天秤にかけるようなことはしない。だからそれは、生身の彼が吐き出した、数少ないわがままだ。マーガレットはそれを、困ったような顔で受け止めて、言ったのだ。
「良いとも。もっと無茶な依頼は、いくらでも見て来たしな」
血走ったジェームズ王の目の中に、カルロは居ない。かつて共に学び、競い、そして笑いあった弟の姿など、もはや彼の脳裏には残って居ない。その事を知って、彼は物憂げな顔をして目を細めた。
嫉妬。カルロの才に抱いた嫉妬。
それは実の所、彼自身感じていた。王宮で共に過ごしている間、背中にずっと妬みのこもった兄の視線を受けて育ってきたのだ。それを分からないほど鈍くはなかった。
しかし、ジェームズはその嫉妬をバネにしていた。そのドロドロとした感情を、なにくそと壁を打ち砕くだけの力にし、常に鍛錬を怠らなかった。だからこそ、弟の高い素質を差し置いて王に選ばれるほどの人物となっていったのだ。けれど彼は狂った。何故かは分からなかった。
全てに祝福されて生まれたカルロとは違う。それでも、王となるにふさわしいと選ばれた兄が、どうしてこれほどまでに嫉妬の鬼に染まったのか。
そう考えて、黒い剣に目をやる。元々は、銀に輝く美しい刃であったはずのそれは、しかし今や艶の無い黒に染まって、奥底で何かが笑っているような声が聞こえた。これが、兄を狂わせたのだ。確信に近い何かがあった。
雄たけびとともに、ジェームズが踏み込んでくる。一撃一撃、途方もない殺意と怨念のこもった刃が、床を削り、鎧を削り、カルロの命を削っていく。だが彼とてやられっぱなしではない。攻撃の隙間を縫うように、鎧の間へと剣を突き込んでいく。
彼の剣もなまくらと言う訳ではないが、王の守りを貫けるほどの鋭さはない。王のみが着る事を許された鎧は、幾重にも魔法の防御が張り巡らされた名品なのだ。余程の剣でなければ切り裂くことなど出来はしない。だからこその突き主体であった。
鮮血が舞う。そのうち、互いに疲れが出始めて、技の鋭さは衰えつつあった。
段々と力任せに振るわれる剣は、幼いころの剣比べの事を思い出させる。だが、状況はまるで違い、互いに殺すために剣を振るっている。そのせいか、打ち込む度に、心が軋むような思いをカルロは感じていた。
だからこそ、それを吐き出すために口を開いた。
「……兄上。私は、あなたを尊敬していました」
返答は、剣の一振り。身をよじってなんとか交わしながら、カルロはずんと、一歩前へ。
「私は幼い頃から色々な事が初めから出来た。けれど、努力するのは苦手で、出来ない事は出来ないままだった」
何時も才ある部分だけが認められたが、彼に出来ない事もまた、同じぐらい多かった。剣術とてその一つだった。ある程度はできても、ある程度以上から進歩することが出来なかったのだ。また剣が振るわれる。加速がつくよりも先に、鎧で受け止めながら、さらに一歩前へ。
「貴方は努力で補えた。気づけば、私よりも先に立っていた」
ジェームズの口から、苦し気な唸り声。首を狙った斬撃、兜で逸らして、もう一歩、前へ。
至近。これ以上、詰められる距離はない。剣も振ることが出来ない、狭い空間。目と目が合う。初めて、"兄"の目を再び見た気がした。
「それが、ひたすら――悔しかった」
一つ、ジェームズは勘違いをしていた。嫉妬を抱えていたのが、自分だけだと思っていたことだ。隣で才気を振るっていた弟が、ジェームズに抱えていた妬み、羨み、その類に気づかなかったのである。才あるが故の思い。届かない兄へ、伸ばしていた手に。
もう届かない。分かっていても、吐き出したかった。ずっと、ずっと、抱えて来た思いを。互いに立場を得て、距離が離れて言えなかった言葉。今なら言える。
「兄上、あなたを尊敬していました」
「ガアアアッ!」
絶叫。王が剣を引いて、必殺の刺突が放たれた。詰めすぎた距離、もはや回避など不可能。ゆえに――カルロも同じく、剣を引き、突きだした。胴と腰、鎧のわずかな隙間めがけて。
金属音。血しぶき。それを最後に、視界が暗転した。




