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青空旅行記  作者: 秋月
三章 騎士の国ロザリア
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百十一話 到達

 その重い衝撃に、体が跳ね飛んで、壁に激突する。肺の空気が一気に押し出され、潰された臓器が凄まじい痛みを訴えて、彼はしばらく声を発せなかった。


「か、は……っ」


 骨が折れた。内臓も少し危ないか。息が苦しい、酸素が足りない。ぼんやりとした思考の中で、ただ鉄の足音だけがゆっくりと近づいてきているのが聞こえた。


 必死に立ち上がろうとするディロックだったが、受け身が取れなかったこともあり、腹部への衝撃が収まらない。膝が震えて、踵が無為に地面を掻く。目を上げると、滲んだ視界の中、数歩離れた所に正騎士らしき影が見えた。何か言っている。ここまでだとか、そんな事を言っているのだろう。


「……一つ、聞きたい事がある」


 曖昧に聞こえてくる正騎士の声を無視して、彼は口を開いた。問いかけに、ローガンの口が閉じて、それから、何か、小さく返答。


「あんた、今の王を、どう思ってる……? 本当に、仕えるべき主だと思うのか?」


 呼吸が整ってきて、肺が大きく息を吸いこむたびに、下腹部が鋭い痛みを訴える。内臓破裂とまでは行かないが、それでもかなり痛手を負った。このままでは、そうは長くはないだろう。酷くやられたものだと、かすれた笑いがこぼれる。


 正騎士からの返事はない。肯定も、否定も。


 きっと、最初から迷っていたのだろうと、彼は思った。王は明らかに狂っている。次々に栄ある近衛を追い出し、腕は立たず見込みもない者ばかりを迎え入れ、忠臣を捨て、自ら滅びへとひた走る。その姿を見て、きっと悩んでいたのだ。正しく騎士たるは何かと。


 騎士は、王に仕えるべきものだ。ゆえに正騎士も、近衛を率いて王に忠誠を誓い、その命を守らんとする。だが、そうしながらも、心の奥では疑っていたのだ。本当に"これ"は今、仕えるべき王かと。


 言葉はない。しかし、状況からそれは感じ取れた。


 疑っていなかったのであれば、すぐさまそうだと返答すればいいだけなのだ。真に正しい騎士であれば、王へ誓う忠誠を語ることに、何ら支障はない。だが肯定も否定もしなかった。それが全てだ。


 沈黙を保った正騎士を見て、ディロックは笑った。かすれた声で、肺と腹の痛みを無視して、しばらく笑っていた。


「ああ、良かった。あんたも迷ってたんだな。安心したよ」


 ひとしきり笑い声をあげ切ってから、底冷えするような声で、告げた。


「あんたが絶対的な正しさとかいうやつを持ってなくて、良かったよ」


 ――もしそうなら、俺に勝ち目はなかっただろうから。


 彼がそう言い放つや否や、ローガンは両手剣を大きく振り上げた。有無を言わさぬ攻撃は、死に体のディロックの言葉を侮辱と感じたのか、はたまた信念の揺らぎを問いかけの中に見つけたのか。どちらにせよ、その攻撃は彼に残った命を全て刈り取る気の一撃であった。


 その刹那、ディロックは左手とそれで握った短杖(ワンド)を振り上げ――そして唱えた。


「『光明(ライト)』!」

「な、ぁっ!?」


 それは、攻撃呪文でさえない、普遍的な補助呪文だった。だが、詠唱の言葉一つもなく放たれたそれは、()()()()()()()()()発現する。


 目の前に突如現れたすさまじい光に、ローガンは怯んで立ち止まる。魔法には詠唱が必要、その前提を捨てきれなかったこともまた、彼の驚きを加速させた。なにせ彼は、魔法の知識がほとんどない。故に、短杖には魔法を込められる事を知らなかった。そして、込めた魔法は術の名を告げるだけで発動できることも。


 そして動きが止まった瞬間、彼は迷うことなく杖を捨てて立ち上がり、最後の力を振り絞って強く強く踏み込んだ。土がみしりと音を立てるほどの、力強い踏み込みだった。


 ――風よ! 風よ、俺に力を貸してくれ!


 心の中で叫ぶ声に応えるように、剣が風の渦を纏う。それは、刃よりも尚鋭い、風の剣である。渾身の"愚剣"、その向こう側。


 だがローガンもさるもの、すぐに硬直から抜け出し、目前で剣を振り上げたディロックを見るや否や振り上げていた剣を脳天めがけて一気に振り下ろした。風纏う剣など見向きもしなかった。先に打ち込まねば負けると、分かっていた。


 互いの剣が、打ち合う事なくすれ違う。


 キンッ、と静かな金属音。それから、一瞬の静寂。




 ディロックの兜が、剣を真正面から受けて二つに割れる。


「……お見事、です」


 そう告げたローガンの鎧は、彼の剣を受けて深い深い斬撃痕が残っていた。


 先に倒れ伏したのは、正騎士の方だった。


「あんたも見事だったよ。あそこから反撃してくるなんてな」


 彼の兜が支えを失って地に落下する。しかし、頭から多少の出血はあれど、致命傷には至っていなかった。正騎士の振るった剣が加速しきるよりも先に、彼自身で頭をぶつけにいったのだ。威力は軽減され、彼の頭を叩き割るには至らなかったのである。


 風の残滓がかすかに残った剣を見る。精霊の笑い声が聞こえた。祝福にも聞こえる、かすかな笑い声だった。手助けしてくれたのか。それとも、願いに応えてくれたのか。気まぐれな精霊は、もう言葉を返さないが、ディロックはありがとうと呟いて踵を返した。


 剣聖と呼ばれる技量に至った、かすかな喜びを携えながら。震える足で一歩一歩、玉座の間へ。

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