ねむりのうた ユラリ
夜が深くなると、まよい森はそっと息をひそめました。
木々のざわめきも、虫の羽音も、ヒューの風の名残も、すべてがひとつの静けさの中に溶けこんでいきます。
ぽとん……
どこかで、水の音がしました。
それは、ポタリの涙が苔の上に落ちる音。
光をまとったその涙は、夜の森を照らす小さな星のようでした。
ぽとん、ぽとん。
涙が落ちるたび、苔がしっとりとうるおい、眠っていた花のつぼみが、ひそやかにゆらぎます。
森の空気が、やさしく息をしました。
その呼吸に包まれて、木々が微かに震え、まるで「ありがとう」と言っているように葉を揺らしました。
ポタリは涙をぬぐいながら、ぽつりとつぶやきました。
「ふぅ……やっぱり、泣くのはいいね」
涙を知り、涙が森を生かすことを知った彼の声は、夜の空気に溶けるようにやわらかく響きました。
そのときです。
どこからともなく、ほそい歌声が聞こえてきました。
――ねむれ ねむれ
――月のひかりの ゆりかごで
森の奥で、やわらかな霧がゆらめきました。
霧のなかから、白く光る小さな影があらわれます。
髪のように揺れる霧をまとい、静かな微笑みをうかべて。
それが、夜の守り手ユラリでした。
ユラリの歌声は、まるで風と霧が混ざりあったような音。
ひとつひとつの音が森の葉に降りそそぎ、鳥もリスも虫たちも、少しずつまぶたを閉じていきます。
眠りの魔法のようなその歌に、ポタリは息をのみました。
「わぁ……これ、はじめて聴く歌だ……」
ポタリは声の方へ進み、霧のなかで足をとめました。
ユラリが振り向き、やわらかに光を揺らします。
「君が泣くから、森の夜があたたかくなったね」
「うん……涙って、森を動かせるんだね」
ポタリはうれしそうに微笑みました。
ユラリはその笑顔を見て、そっとうたを続けます。
――おやすみ 葉のこ おやすみ 風のこ
――星のかけらが 夢の舟をみちびくよ
その歌に合わせるように、森の空気がふくらみました。
パリィの葉がかすかに震え、ヒューの風が木々をなで、
ミルの霧が光のように漂います。
森のすべてが、ひとつの大きな呼吸になっていくようでした。
ポタリの涙は、まだぽとん、ぽとんと落ちています。
花びらのあいだに吸いこまれ、葉の上をすべり、夜のしじまの中で光を宿しました。
それはまるで、涙が「おやすみ」と語りかけているよう。
ユラリはその光景を見つめながら、静かに言いました。
「森の生きものたちが安心して眠れるのは、君の涙があるからだよ」
「え……ぼくの?」
ポタリは照れくさそうにうつむきます。
「そう。君の涙は森をあたため、夢を守る光になるんだ」
その言葉に、ポタリの胸がぎゅっとあたたかくなりました。
泣くことが、だれかを包み、守る力になる。
そんなこと、これまで考えたこともなかったのです。
ユラリは歌を続けながら、小さな手をのばしてポタリの胸の前に光を浮かべました。
それはポタリの涙のかけら。
夜露のように透明で、けれど触れると、心がふわりとあたたまる不思議な光でした。
「これは君の涙の記憶。明日の森でも、この光がみんなを見守るだろう」
ポタリはその光をそっと受け取り、胸に抱きました。
「ありがとう、ユラリ。ぼく……これからも泣くよ。うれしいときも、かなしいときも。森が笑ってくれるなら、それでいいから」
ユラリはうなずきました。
「泣くことも歌うことも、どちらも“いのちの音”だよ」
森を包む霧が、ゆるやかに動きました。
木々が眠りにつき、花が閉じ、虫たちが夢を見る。
まよい森が、まるごとひとつの“ゆりかご”になる。
ポタリは宙に浮かび、光のしずくを胸に、月の光の中へとゆっくり舞い上がりました。
その姿は、夜空に消える小さな星のようでした。
ユラリは静かに歌を終え、その星のような光を見送りました。
森は深く息をつきました。
夜の闇は、やさしい夢で満たされていきます。
ミルの霧が微笑み、ヒューの風がそっと頬をなで、パリィの葉が、静かに揺れながら囁きます。
――おやすみ、ポタリ。
――おやすみ、森のこどもたち。
その夜、まよい森にはじめて、“涙のやさしさ”が芽吹きました。
そしてポタリは知ったのです。
泣くことは、悲しみのしるしではなく、やさしさと愛を世界に届けるための音なのだと。




