月影の水おばけ　ミズル

　まよい森の奥深く。

　木々の枝が夜の風にゆらぎ、月の光が葉のすき間からこぼれ落ちて、その光を静かに受け止めるように、ひとつの小さな池がありました。

　昼の森ではただの水たまりのように見えるその池も、夜になると、まるで空の一部が落ちてきたかのように、青白く光を宿します。

　水面に映る月と星が、森の影をゆらめかせ、風の音や虫の声と混ざって、森全体がやわらかく息づいていました。

　その池のほとりに、夜だけ現れるおばけがいます。

　名前はミズル。

　ミズルの体は水のように透きとおり、動くたびに小さな波紋が足もとから広がります。

　まるで水そのものが形を取って生きているような存在でした。

　昼間、ミズルは池の底で眠っています。

　そして夜になると、月の光を合図にゆっくりと目を覚まし、森じゅうの池や小川をめぐりながら、“水の鏡”を磨いていくのです。

　ミズルの仕事は、ただ水を守ることではありません。

　水に映る光を使って、森の小さな命たちを照らすこと。

　月の光や星の瞬きを集め、それを水面で跳ね返しながら、森の暗がりのすみずみまで、やさしい光を届けていました。

　水が光を運ぶ夜。

　森は眠りながら、静かに息をしているのです。

　ある夜のこと。

　ミズルが池のほとりで光の鏡を磨いていると、

　水面の向こうから、かすかなすすり泣きが聞こえてきました。

　波紋の間から、ぴょこんと小さな頭がのぞきます。

「……どうしたの？」

　ミズルの声は、水面をやさしく震わせながら届きました。

　それは、雨上がりの風のように静かな声。

「ぼく……迷子になっちゃったの……」

　声の主は、小さなカエルの子でした。

　森の奥のぬかるみで遊んでいるうちに道を失い、いつのまにか帰れなくなってしまったのです。

　体は冷たく、目には涙が浮かんでいました。

　ミズルは少しだけ考えてから、水面をそっとゆらし、光の筋を描きました。

「だいじょうぶ。こわくないよ。ぼくが道をつくるから、ついておいで」

　水面の上に浮かぶ光が、やさしく森の小道を照らします。

　その光は月の光と重なり、やわらかな道となって森の奥へと続きました。

　カエルの子は、おそるおそる光の上を歩きだしました。

　ミズルの体が進むたび、水がきらりと光を散らし、まるで夜空の星が足もとで瞬いているようです。

「きれい……」

　カエルの子は思わずつぶやきました。

　すると、上空からふわりと風が降りてきます。

　それは、ヒュー。風のおばけ。

　ヒューは空からやさしく森をなで、木々の葉をざわめかせながら言いました。

「ミズル、また小さな子を見つけたんだね。ぼくも手伝うよ」

　その風にのって、葉っぱのおばけのパリィたちもやってきました。

　彼らは小さな光をまといながら、木々の間をひらひら舞い、

　ミズルの作る光の道をさらに明るくしました。

　まよい森の暗闇が、少しずつやさしい緑と青の光に染まっていきます。

　池の水面には、無数の星々が映り、それが風と共にきらめきながら、森じゅうを照らしました。

「ほら、もうすぐだよ」

　ミズルが言うと、カエルの子はもう怖くありませんでした。

　足もとで光が優しく波打ち、森のすべてが「だいじょうぶ」と囁いているように感じたのです。

　やがて、小川の向こうにカエルの家が見えました。

　家族の声が聞こえた瞬間、カエルの子は嬉しそうにぴょんと跳ねました。

「ありがとう、ミズル！」

　その声を聞いて、ミズルは静かに微笑みました。

　水の体がきらりと輝き、光の粒が森の中に溶けていきます。

「夜の森は、こわくなんかないよ。みんなが安心して眠れるように、ぼくがいるから」

　カエルの子が池に戻ると、ミズルは再び水面を漂い、森全体をやさしく見渡しました。

　星の光も、月の光も、仲間たちの笑い声も、すべて水に映して、森を包みこむ。

　夜が更けて、森が深い眠りに入るころ、ミズルは水の中にゆっくり沈んでいきました。

　静かな波紋がひとつ、ふたつ……

　やがてその姿は見えなくなりました。

　けれど、森のどこかで水がかすかに揺れるとき、そこにはかならず、ミズルのやさしい気配が残っています。

　森の命を見守る、水のこころ。

　それが、ミズルの眠る場所なのです。