木のうた トントン
まよい森の奥。
深く、静かで、永い時間が流れる場所に、ひときわ大きな木が立っていました。
その木は「森の心」と呼ばれ、幾千もの枝を広げて、空と地をつないでいます。
その根元には、小さなおばけたちが、ひとりの仲間を囲んでいました。
その名は、トントン。
木の幹や枝を叩くと、不思議な音を鳴らすことができるおばけです。
トントンが木の根をやさしく叩くと……
トン、トン、トン……。
その音は、まるで森の心臓がゆっくり鼓動するように、深く、あたたかく、森じゅうにひろがっていきました。
木々がふるえ、葉がさざめき、鳥たちの寝息がそっと重なります。
音は、風に乗って遠くの枝まで届き、やがて森じゅうが、そのリズムに合わせて呼吸をはじめました。
それは、森の歌。
言葉をもたない者たちが交わす、静かな語りあいのうたでした。
その日、ポンポンやポコ、ユラリ、ホシオたちがトントンのもとに集まりました。
夜の森を照らす月が、枝の隙間から淡く差しこみます。
ポンポンはふわふわと浮かびながら、わくわくした声で聞きました。
「ねえ、トントン。今日は何の歌を教えてくれるの?」
トントンは木の幹にそっと手を置き、やわらかく微笑みながら、低くやさしい音を響かせました。
トン……トン……トン……。
「森はね、声なき声でいっぱいなんだよ。葉っぱのざわめき、風のささやき、水の流れ……どれもみんな、森のうただ」
仲間たちは、はっとして耳をすませました。
すると、森が息づく音が聴こえてきます。
木々がささやく。
苔がひそやかに光る。
遠くの水音が、ゆっくりと重なっていく。
ポコはそっと木の根元に手をあて、
その響きをからだいっぱいに感じました。
「……森って、本当に歌っているんだ」
初めて知る感覚に、ポコの心はゆっくりとひらいていきます。
トントンはうなずき、木をもう一度、やさしく叩きました。
トン、トン、トトン。
その音に呼応するように、風がそよぎました。
木の葉がこすれ、遠くの枝から、かすかな笑い声のような響きが返ってきます。
「この枝を軽く叩くとね、昔の雨の音が聴こえるんだ」
トントンが言いました。
「昔の雨?」
「そう。森がまだ若かったころ、初めて降った雨の音だよ。
木の奥には、みんなの記憶が眠ってるんだ」
ポンポンは目をまんまるにしました。
ホシオは小さな光をゆらめかせ、枝の影をやさしく照らします。
ミズキは池の水面を揺らし、光がトントンの音に合わせてきらめきました。
ユラリは霧をまとって、静かにリズムに寄り添います。
みんなでひとつの音を感じる。それは不思議な瞬間でした。
「この葉っぱの間を風が通るとね、むかしの笑い声が重なって聞こえるんだ」
トントンの言葉に合わせて、ヒューの風がそっと吹き抜けました。
すると、森のあちこちから、やわらかな笑い声がこだまします。
それは森の思い出の声。
かつて遊んだ小さな動物たち、芽吹いた木々、雨を喜んだ土の歌。
みんなの笑い声が、夜空にきらめく星のように散っていきました。
ポンポンとポコはふわふわと浮かび、リズムに合わせて踊りました。
光の粒が舞い、風がまわり、森がまるごと楽器のように鳴りはじめます。
「ぼくたち、森の一部になってるみたいだね」
ポコがつぶやくと、トントンはうれしそうに笑いました。
「そうだよ。森の心はね、ぼくたちみんなで作るものなんだ」
夜がさらに深まると、トントンはゆっくりと立ち上がり、
両手で木の幹を包みこむようにして、静かに目を閉じました。
トン……トントン……トン……
その音は、森じゅうをひとつに結びます。
木の音、風のささやき、雨のしずく、仲間たちの笑い声。
すべてが溶けあい、やさしいハーモニーになりました。
それはもう、音ではなく、「森の呼吸」そのものでした。
葉の上のしずくが光をはね返し、遠くの池がそっと波紋を描き、枝の影が月の光に重なります。
森が――生きている。
森が――話している。
トントンは目を開け、静かに言いました。
「森の心は、だれかひとりのものじゃない。みんなで響かせるものなんだ」
その声は、木々や葉っぱ、風や水と溶けあい、森の記憶に、新しい章を刻みこみました。
仲間たちは、そのまま木の根元に寄り添い、夜のうたに包まれて、静かに眠りにつきました。
ポンポンのふわふわした体、ポコのつぼみの心、ユラリの霧、ホシオの光、ミズキの水面……
そして、トントンのリズム。
小さな命たちが、森の大きな歌に混ざって、「生きている」ことを、そっと確かめ合うように眠りました。
そして、翌朝。
森は少しだけ音を変え、朝の光にきらめきながら、枝を揺らして、仲間たちにささやきました。
「今日も、また森の歌を聞かせておくれ」
トントンはにっこり笑い、仲間たちに手を振りました。
そして、木の奥深くへと帰っていきます。
森は静かに息を整え、今日もまた、新しい歌を生み出す準備をしていました。




