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初恋が終わった部屋 あの人は姉ばかりを見ていた

ノルド城の離れ――

薄いカーテン越しに午後の光が差し込み、三姉妹の部屋は静かな温もりに包まれていた。


ウイは刺繍の手を止めて窓辺に立ち、レイはその背中を見ながら本を読んでいた。


そのとき、廊下の先で足音が止まった。


扉が、静かにノックもなく開いた。


「・・・母上? ゴロク様」


思わず立ち上がったウイの声に、レイも顔を上げた。


シリとゴロクが、並んで部屋に入ってきた。


ふだん離れにまで訪れることは、滅多にない二人の突然の来訪に、姉妹は驚き、言葉を失う。


「ユウは?」


シリが問いかけると、レイが首を横に振った。


「いません。さっき外に出ていきました。たぶん・・・馬場のほうだと思います」


レイの答えに、シリはそっと頷いた。


「そう」


「すぐに呼んで参ります」

乳母のヨシノが走り出した。


少しだけ視線を落とし、また顔を上げると、ふたりの娘の表情を見つめた。


「実は・・・会わせたい人がいるの」


シリの柔らかな声音に、ウイもレイも目を見張った。


ゴロクが扉の外に視線を送る。


廊下の先には、ひとりの青年が立っていた。



深く頭を垂れたその青年が顔を上げたとき、


ウイは、思わず声なき声を上げた。


ーー素敵な人。


彼は、すっと背筋の伸びた立ち姿で立っていた。

陽の光を背に受けたその輪郭は、まるで物語の中の騎士のように美しかった。


淡く茶色の髪がさらりと額にかかり、凛とした眉と整った鼻筋。

なにより、黒曜石のような瞳が静かに輝いていて、見る者の心を射抜くようだった。


その瞳がふとこちらを向いた瞬間、ウイの心臓が大きく跳ねた。

顔が熱くなる。息が浅くなる。


彼の表情を見るたびに、胸が不思議と高鳴ってしまう。


ーーこれが、恋というものなのだろうか?


ウイは、自分の内側に芽生えた感情にただ戸惑うばかりだった。


頭ではどうにもならない心の動き。

それが何なのか、まだうまく言葉にはできないけれど、


ーーただ、もっと長く見ていたい。


そんな想いが、胸の奥でそっと息づいていた。


「初めまして」


リオウは柔らかく微笑んだ。

その笑みは人の心を和らげる、不思議な温かさを帯びていた。


「あなたたちにとって従兄弟にあたる方です」


シリが説明を添えようとしたそのとき――

廊下の奥から、急ぎ足の音と共に声が響いた。


「ユウ様、どうかお静かに。ゴロク様もご一緒ですから」


ヨシノの焦ったような声が聞こえる。


「わかっているわ・・・ただ、馬を見たかっただけなのに」


不満げなその声音は、廊下に響き渡り、部屋の中まで筒抜けだった。


そして次の瞬間、勢いよく扉が開かれた。


風が舞い込むように、ユウが部屋に入ってきた。


ーー空気が変わった。


その場にいた誰もが、それを感じた。


カーテンがふわりと舞い、光が一段と差し込む。


その光の中に、ユウがいた。


ユウが扉を開けた瞬間、リオウの胸が高鳴った。


先ほど厩で出会った少女――いや、少女ではない。

その立ち姿、その目の光、その声の余韻。

すべてが、忘れられなかった。


そして今、再び目の前に現れた彼女は、やはり――美しかった。


柔らかい金の髪が風に揺れ、青い瞳には芯の強さと好奇心が同居している。


戸惑いながらも真っ直ぐに向けられる視線に、息をするのも忘れそうになる。


その瞬間、ユウが小さく目を見開き、呟いた。


「・・・あなたは、さっき」


あのときの声が、夢じゃなかったと教えてくれた。


ただの偶然だったはずの出会いが、再びこうして巡ってきた。


ーーまた会えた。


リオウの心は、その喜びに満たされていた。


――この城で、もう一度会えるとは思わなかった。


リオウは心の奥底で、密かにその偶然に感謝していた。


恍惚とした眼差しが、彼の本心を雄弁に語っていた。


リオウは、まっすぐにユウを見つめた。


「ええ。先ほど・・・厩でお逢いしましたね」


その声は、抑えているつもりでも、どこか熱を帯びていた。


まるで、ユウとの出会いが彼にとってどれほど特別だったかを、隠しきれずに滲ませてしまったかのようだった。



その一言が、ウイの胸に突き刺さった。


ーーそんな声で、自分には話しかけなかった


リオウの視線が、微塵の迷いもなく姉を捉えている。

まるで、部屋の中に自分とレイが存在していないかのように。


ユウは戸惑った表情を浮かべながらも、自然にリオウに向き合っていた。

ふたりの間に流れる、言葉にできない気配。


ウイには、それが何よりも堪えた。


ついさっきまで、彼の姿を見て胸が高鳴っていたのに。

その鼓動が、今は痛みのように響いてくる。


ーーあのひとは、姉上を見ている。


そう理解してしまった瞬間、ウイは小さく肩をすくめた。

息を潜めるようにして、その場に立ち尽くす。


それでも、視線を逸らせなかった。

見つめるほどに、どうしようもない現実が胸に刺さる。


ウイはただ、静かに――

自分の初恋が終わった音を、

心の中で、確かに、聞いていた。


それは、誰にも聞こえない、小さな終わりの音だった。



ーー次回


ノルド城に、新たな訪問者。父の血を引く青年――リオウ。


三姉妹との対面、交わされるまなざし、そして誰もが気づかぬうちに、物語は静かに動き出す。


少女はまだ知らない。

その出会いが、自らの運命に影を落とすことを。


――扉の向こうへ歩み出す、その足音が、冬の気配を連れてくる。


明日の20時20分更新予定


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この物語は続編です。前編はこちら ▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/


おかげさまで累計10万7千PV突破!

兄の命で政略結婚させられた姫・シリと、無愛想な夫・グユウ。

すれ違いから始まったふたりの関係は、やがて切なくも温かな愛へと変わっていく――

そんな物語です。

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