惹かれてはいけない
厩の奥から、かすかに男女の話し声がした。
こんな場所で落ち合うとは――馬丁と女中だろうか。
声の先に足を向けながら、リオウは手綱を引いて馬を廓の中へ収めた。
「失礼」
そう声をかけた瞬間――
音に反応するように、少女がゆっくりと振り返った。
陽の光が、厩の隙間から差し込んでいた。
金色の髪が、まるで水面のようにゆらりと揺れ、
その髪の隙間から、透きとおるような青の瞳が覗いた。
そして、薄紅色の唇が、驚いたようにかすかに開かれる。
その瞬間、リオウは、ただ呆然と立ち尽くした。
ーー美しい
それは顔立ちの整い方ではなく、存在そのものが異質で、夢のようだった。
ーーなぜ・・・こんな場所に。
戦地を歩き、城を見て、泥と血にまみれた道を知るリオウにとって、
この光景はあまりにも異質だった。
その少女は、間違いなく『なにか』を持っている――
名も知らぬ少女の姿に、リオウは一瞬、息をするのを忘れていた。
「・・・何か?」
ユウの声に、リオウははっと我に返った。
「案内の者が、もうすぐここに来ると・・・」
掠れた声でようやく言葉を返す。
それでも黒い瞳は、ユウから離れない。
少女を、目で追い続けている。
それを、シュリは横目で見ていた。
まっすぐ見つめられたユウが、わずかに戸惑い、手の動きを止める。
そして、すぐに目をそらすように馬の首筋へ視線を移した。
ーー気づいたのだろう。
相手の視線の色に。
その反応が、胸に微かな棘となって刺さる。
言葉にできない感情が、喉の奥にせり上がってくる。
ユウ様は、美しい。
目を引く存在で、誰かに想われることに、何の不思議もない。
それでも。
こうして、また誰かに見つめられる姿を見るのは・・・苦しい。
この気持ちを打ち消したくて、シュリは声をかけた。
「案内ですか?」
その声に、リオウはようやく気づいた。
少女のすぐ背後に、もう一人――少年が立っていた。
年の頃は十五、六。
柔らかな茶色の瞳をした、穏やかな雰囲気の少年。
身につけている衣の質、立ち振る舞い――
少女と少年の間に、はっきりとした身分の差があることは一目で分かった。
ーーこの二人は・・・何者だ?
そんな疑問が浮かびかけたとき、背後から年老いた男の声が響いた。
「リオウ様、でございますね?」
振り向くと、そこにはハンスがいた。
「はい」
リオウが答えると、ハンスはユウとシュリの姿に気づき、慌てて深く頭を下げた。
「領主夫妻がお待ちです。ご案内いたします」
リオウは一礼し、ハンスの後について厩を後にした。
足音が遠ざかり、静けさが戻る。
ユウはしばらく無言で馬のたてがみを撫でていたが、ぽつりと呟いた。
「・・・母上に用があるなんて。客人かしら。服装は質素だったけれど」
その言葉に、隣のシュリがそっと答える。
「――あのお方」
言い淀むような声だった。
「亡くなった、シン様に・・・少し、似ていますね」
ユウはその言葉に、思わず横を向いた。
もう一度、さっきの横顔を思い出す。
まっすぐで、どこか脆くて。
けれど、確かに強い意志があった。
風が吹き抜ける厩で、シュリはふと、遠い日を思い出していた。
まだ皆が幼かった頃。
レーク城の西側の部屋の窓辺で、三人並んで座っていた日があった。
下の馬場では、グユウが馬に乗り、シリと話していた。
「いつか、あの馬に乗れるようになるかな」とシンが目を輝かせていて、
それを聞いたユウが「怖がりだから無理だよ」と茶化して――
シュリはただ、2人の背中を見て笑った。
また別の日には、隠し小部屋に忍び込んで、三人でかくれんぼをした。
じゃがいも畑の土に手を突っ込んで、泥だらけになって叱られた日もある。
あの頃は、まだ何も知らず、ただ毎日が楽しかった。
あの2人が笑えば、自分も嬉しかった。
それだけだったのに――
似ている。
横顔だけでなく、あの静かな瞳の奥に、なにかが。
風が吹き抜ける厩で、少女はほんの少しだけ眉をひそめた。
その横顔を見つめながら、シュリは自分の心に問いかけていた。
――守りたいと思う気持ちは、忠義なのか。それとも・・・
あの穏やかだった記憶さえ、今はどこか切なく、胸を締めつけてくる。
名も知らぬ青年の視線が、なぜあれほど苦しかったのか。
その答えは、まだ、うまく言葉にならなかった。
次回ーー
ノルド城に現れた一人の青年ーーそれは、亡きシンを彷彿とさせる少年だった。
哀しみを湛えた瞳が、静かに波紋を広げる。
その到来が、姫たちの運命に、微かな風を吹き込むことも知らずにーー。
◇
評価とブックマークを頂きました。
非テンプレ小説なのにありがとうございます。
嬉しいです。
今回の物語も「テンプレ要素ゼロ」で突っ走ってます。
前作が“僻地の魚屋”なら、今作は“僻地の下駄屋”。
しかも、雨日すら履かない下駄(笑)
でもやめません。なぜなら、ストックが68話もあるから!!
書き溜めないと落ち着かない病にかかっているので・・・どうか優しく見守ってくださいね。
エッセイはこちら↓
「テンプレ?何それ?ライトノベル未読の私が『小説家になろう』に飛び込んだ話」
Nコード:N2523KL
明日は2回更新します。1回目は9時20分です。




