表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/267

替えのきく女と、輪に入れない子

シリの命でミンスタ領に同行してきたが、

この一週間、夜になっても、

ゴロクは一度も彼女の部屋を訪れなかった。


かつて、あれほど抱かれた日々があったというのに。


ーーもう、私には魅力がないのだろうか。



ドーラは、胸の奥で何度もその問いを繰り返していた。


答えはわかっている。


けれど、認めたくはなかった。


薄暗い蝋燭の火の中で、ゴロクはワインを傾けていた。


広い背中が、静かに息を吐くたびに上下している。


視線を向けても、彼はもうこちらを振り返らない。


若い頃のように、艶めいた笑みで口説かれることもない。


今では、すぐそばにいても、遠く離れているように感じる。


ーーあの方の心は、もう。


彼女の中で“シリ”という名が喉の奥でひっかかっていた。


美しく、凛としていて、誰よりも大切に扱われるあの妃。


妬ましいと思ったこともある。


でも、それだけではなかった。


あの方には、女としての気高さがある。


それを感じるたび、自分がいかに“替えのきく存在”であるかを思い知らされた。


それでも。


「・・・ゴロク様」


名を呼ぶ声は、かすかに震えていた。


涙ではない。


けれど、その声には、心の底から湧き上がる切実さがこもっていた。


ゴロクは、潤んだ瞳に気づき、ふと顔を向けた。


何かを言いかけたが、その言葉は喉の奥で止まった。


ドーラは、もう一歩だけ彼に近づく。


「シリ様の代わりでも・・・かまいません。

どうか、もう一度・・・わたくしを抱いてください」


哀願というより、祈りだった。


愛されたいとは言わない。


ただ、この空っぽの胸を、少しでも満たしたかった。


ゴロクはしばし黙り込んだのち、低くつぶやいた。


「・・・寂しい思いをさせてしまった。すまなかった」


その声は、かすかにかすれていた。


手を伸ばし、ドーラの頬に触れる。


その手は、触れることに迷いを抱えていた。


けれど、やがて唇が重なる。


ドーラは、嬉しそうに目を閉じ、彼の背に腕を回した。


ーーシリ様のようになれなくても。


私が・・・この方の寂しさを、少しでも埋めてさしあげたい。


その夜、彼女はただ、それだけを願っていた。




シズル領 ノルド城 中庭


晩秋の風が肌を刺すようになってきた夕暮れ。


それでもシリは、子供たちと中庭で食卓を囲むことを選んだ。


「こんな寒い日に外でなんて、正気の沙汰ではありません」


エマは湯気の立つ大鍋を運びながら、憤慨していた。



「でも、屋内で静かに食べるより、外の空気を吸いながら――楽しいほうが、消化にもいいわ」


「絶対、悪いです!」


シリは笑って肩をすくめた。


「じゃあ今日は、消化に悪いものをたくさん食べて、楽しみましょう」


厚手のマントに、毛布と湯たんぽ。


子供たちは耳当てをして、スープの湯気に顔をほころばせていた。


焼きたてのパイ、こってり煮込んだ肉料理、

甘く煮た干し果物。


今日の献立は、ひとつひとつが“日常から少し逸れた楽しみ”だった。


「美味しい・・・」

レイは、ポツリと話す。


「ご馳走だわ」

ユウは、好物の干したあんずを口にする。


「明日も外で食べたい!」

ウイが瞳をキラキラさせながら話す。



小さな声が飛び交い、火のそばには笑いと湯気が舞っていた。


その中心で、シリはただ静かに微笑んでいた。


たった今だけは、妃でも母でもなく――“家族”でいたかった。



妾たちの部屋 二階の窓辺


同じ時間。


プリシアとファルは窓のそばに椅子を寄せ合い、下の様子を眺めていた。


部屋にも同じ料理が運ばれている。


皿に盛られたパイとスープは、中庭と変わらないはずだった。


けれど。


「・・・あんなに楽しそうに、笑ってる」


ぽつりとプリシアがつぶやいた。


火を囲む輪の中で、シリと子供たちが身を寄せ合って食べている。


言葉はなくとも、温かな空気がそこにあった。


ファルは無言のまま、窓ガラスの曇りに指先で小さな輪を描いていた。


その指の動きは幼く、どこか寂しげだった。


「ファル、寒くない?」


「・・・ううん。大丈夫」


答える声はかすかに震えていたが、目は下の光景から離れなかった。


ふと、シリが笑いながら、レイの肩に手を置く仕草が見えた。


その瞬間、ファルの瞳に何かがきらりと光った。


それは――母を知らぬ子が、無意識に向ける、憧れにも似た視線だった。


火のまわりには入れない。


でも、あの輪の中に、ほんの少しだけでも触れてみたい。



同じ夜、誰かを想って差し出されたふたつの祈りがあった。


ひとつは、身体を求める大人の祈り。


ひとつは、心のぬくもりに手を伸ばす、まだ幼い祈り。


それはどちらも、灯の届かぬ場所から――ただ見つめていた。


次回――

姫と乳母子の親しげな距離に、笑みを装いながら心がざわめく。

「ふさわしい振る舞いかしら?」

その言葉の裏に滲むのは、嫉妬、それとも・・・憧れ。


明日の20時20分更新

===================

このお話は続編です。前編はこちら お陰様で10万5千PV突破

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

===================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ