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あの人が倒れたら、困るの


「・・・そこまで、しなくてもいいのよ」


ユウはそっと声をかけた。


まだ朝の冷気が残る廊下の片隅。


訓練を終えたばかりのシュリが、息を乱しながら壁にもたれていた。


シュリは驚いたように顔を上げた。


額に汗が浮かび、頬はほんのりと紅潮している。


それでも、ユウを見上げるその瞳はまっすぐだった。


栗色にきらめく、やさしく深い茶色。


朝の光を受けて、その目は琥珀にも似た透明感を帯びていた。


「・・・訓練ですから。平気です」


息を整えながら答える声は、いつもより少しかすれていた。


「でも、疲れているわ・・・」


ユウは一歩、彼に近づいた。


整った顔立ちの中に、ふと陰るような翳りがあった。


端正な顔立ち、けれど額の汗と震える指先が、その努力の重さを物語っている。


「あなたに怪我してほしくないの」


その一言に、シュリは驚いたように目を見開いた。


「ユウ様・・・」


「シュリは乳母子なのよ。戦士じゃない。そこまで・・・しなくても」

言いながら、ユウは思わず手を伸ばしかけて、そっと引っ込めた。


何をどう触れれば、どんな言葉をかければ、

この真面目な彼を止められるのか、わからなかった。


「大丈夫です。・・・ご心配ありがとうございます」

言いながら、シュリはぎこちなく微笑んだ。


その笑顔の奥に、強がりと優しさが混ざっていることを、ユウはもう知っていた。


ーーどうして、あなたは、そんな顔をするの?


ユウは黙ってうなずいた。


けれどその胸の奥には、言いようのない不安と、なにか温かい痛みのような感情が広がっていた。


「・・・無理しすぎないでね」

ユウは少しだけ語気を弱めた。

強く言えば、彼が気を遣うのがわかっているから。


「はい。でも、心配してくださって・・・うれしかったです」

シュリは、小さく頭を下げた。


その動作がどこかぎこちなくて、けれど誠実で、ユウの胸に柔らかい波紋が広がった。


ふと、彼女の視線が、シュリの手元へと落ちた。


「・・・手、痛そう」


指の節々に、赤くなった痕が残っている。

素手で手綱を握り、弓を引き、何度も転びながら訓練した証だった。


「すぐに治ります」


そう言って、照れたように笑ったシュリに、ユウは一瞬、目を逸らした。


なんでもない笑顔なのに、なぜか胸がぎゅっと締めつけられた。


「痛いのが平気なんて、そんなの、強さじゃない」

ぽつりと、そう呟いた。


ユウ自身にも、どうしてそんなことを言ったのかはわからなかった。


「・・・強くないと、守れませんから」


「誰を?」


ユウの声は、少し震えていた。

問いながら、自分で答えがわかっていた気もする。


シュリは答えなかった。

けれど、その茶色の瞳はまっすぐユウを見つめていた。


「・・・あのね」


ユウは口を開きかけて、けれど、何を言おうとしたのか思い出せなくなった。


「それでは・・・行くわ」


それだけを言って、くるりと踵を返す。


けれど、背を向けたまま、ふいに一言だけ、残した。


「・・・シュリが倒れたら、困るわ」


言い終えて早足で去っていくユウの背中を、シュリはただ見送っていた。


風が吹いた。

ユウの金の髪が、軽やかに空を泳いだ。


その光に目を細めながら、シュリは唇の端を、ほんの少しだけ上げた。


ミンスタ領 ゴロクの宿舎


会議が終わった翌日も、ゴロクはシュドリー城にとどまっていた。

マサシと二人きりで、部屋に籠もり、今後の方策を語り合っていた。


キヨの暴走をどう抑えるか。

考えあぐねていたが、具体的な策は浮かばない。


それでも――マサシとの信頼は、確かに深まった。


「これからも、マサシ様をお支えする」

そう誓ったゴロクに、マサシもまた、静かにうなずいた。


夜になり、蝋燭の明かりだけが部屋を照らす。


ゴロクは深く息を吐き、手元のグラスを揺らす。


「・・・キヨ。あいつは剣は振るわぬが、頭が切れる。

 それに、口が・・・うまい。どうするべきか・・・」


独り言のように呟き、またひと口、ワインをあおった。

 

独り言のようにつぶやいたそのとき、部屋の隅に静かに座るドーラの気配に気づく。


その視線は、切なげに彼を見つめていた。



次回――

差し出された、ふたつの祈り。

抱かれたい女と、抱きしめられたい少女。

届かぬ想いは、灯の届かぬ場所から、ただ静かに揺れていた。


明日の20時20分 替えのきく女と輪に入れぬ子

更新予定です。

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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万五千PV突破

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

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