あの子には、あの人の面影
シズル領 ノルド城
ゴロクがミンスタ領へ発って、一週間が経った。
久しぶりに静かな夜を迎える日々の中で、シリは少しだけ、ほっとしていた。
この午後もそうだった。
風は冷たくなってきたが、陽だまりの中はまだ心地よい。
中庭の東屋では、シリとエマが湯気の立つお茶をゆっくりと味わっていた。
「ここの庭は見事だわ」
終わりかけの薔薇が、淡く花びらを揺らしている。
シリはほっとしたように息をついた。
そのとき――足音もなく、ひとつの影がすっと近づいてきた。
「レイ?」
声をかけると、レイは何も言わず、ただすっと母の膝の上に頭を乗せた。
「レイ・・・」
その小さな髪を、シリはそっと撫でた。
ーー甘えたいのだろう。
まだ十歳。
ふだんは気丈にしていても、こうして急に抱きしめたくなるような瞬間がある。
レイは黙ったまま、シリの顔を見つめている。
その瞳――あまりにも、グユウに似ていた。
まっすぐで、優しくて、どこか不器用な光を湛えたまなざし。
「そばにいたくなったの?」
シリがそう言うと、レイは小さく頷いた。
言葉ではなく、体温で伝えようとしているようだった。
このところ、再婚のことでバタバタとし、レイとゆっくり過ごす時間が減っていた。
何も言わないが、寂しさを感じていたのかもしれない。
「ごめんね」
小さく囁いて、シリはもう一度、髪にくちづけるように頬を寄せた。
ふと、エマの気配が消えていた。
いつの間にか静かに席を立っていたらしい。
東屋には、母と娘のぬくもりだけが残された。
レイは目を閉じた。
この膝にいるときだけは、姫ではない。
ただ「母の子」でいられる気がした。
ユウとウイは知っていた。
ーー母はレイに甘い――と。
だからこそ、時おり見せる二人の視線は、無言の不満と、どこか寂しさを孕んでいた。
けれど、シリがレイを抱きしめるとき、二人は言葉にしないまま納得するのだ。
ーーこの子には、父の面影があるのだから。
姉たちにはない、あのまなざし、あの表情。
それを見つめるシリの瞳は、誰かを恋しくて揺らいでいる。
この手の中で眠りそうなレイの頬を、もう一度そっと撫でながら、
シリはひとつ、目を閉じた。
このまま、ほんのしばらく、穏やかな午後が続いてほしい――そう願いながら。
◇
妾部屋の窓辺に立ち、フィルは黙って庭を見下ろしていた。
東屋の傍、レイがシリの膝に頭を預けている。
シリはその小さな頭を、優しく撫でていた。
静かで、満ち足りた親子の光景だった。
「・・・ふん」
鼻先で笑い、フィルはそっと目を逸らした。
けれど胸の奥には、微かなざわめきが広がっていた。
思い出したのだ。
まだ母が生きていた頃のことを。
フィルは、裕福な領民の家に生まれた。
母もフィルと同じように、美しい人だった。
けれど、病に倒れ、フィルがまだ幼いうちにこの世を去った。
その後、継母が家に入った。
だが新しい母は、フィルに微笑みかけることすらなかった。
抱きしめてくれることも、髪を撫でてくれることも。
家の中に居場所を失ったフィルに、やがて声がかかった。
あの子は、綺麗な子だと。
領主様のお目にかなうかもしれないと。
そうしてこの城に来た。
ーーあの姫たちは、母に愛されているのね。
不意に浮かんだ想いに戸惑う。
そして、あの膝枕の光景を前にして、気づいたのだ。
知らぬうちに、シリの姿に母を重ねていた自分に。
その事実に、フィル自身がいちばん驚いていた。
◇
東屋に残った陽だまりの余熱が、ゆっくりと消えていくころ。
城の片隅ではまた、新たな一日が始まろうとしていた。
その朝、シュリは訓練場でひとり、黙々と弓を引いていた。
次回――
ユウの想い、届かぬ背中。
すれ違う心、揺れるまなざし。
その夜、ゴロクの傍らには、もうひとつの静かな想いがあった。
今日の20時20分 更新します
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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万五千PV突破
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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