表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/267

見つめる目と気づいた横顔

シズル領 ノルド城


朝の光が、稽古場の砂を淡く照らしていた。


木刀を握る手に、じんわりと汗がにじむ。

構えを崩さぬよう意識を集中しながら、シュリは前へと踏み込んだ。


――打ち込む。


思いのままに、雑念を払うように何度も。


だが、何かが引っかかる。


視線。背後に、誰かの気配。


ひと息ついたところで、ちらりと横目で振り返る。


離れの廊下に、ユウが立っていた。


柱の影から、まっすぐにこちらを見つめている。

けれどその目は、どこか遠くを見ているようにも思えた。


ーーまた・・・見ている。


最近、気づくようになっていた。

稽古をしているとき、あの娘の視線がどこかから刺さってくること。


胸の奥が、もぞもぞと落ち着かない。


稽古場には若い男がたくさんいる。


ーーあの人は、誰を見ているんだ。


自分以外の誰かだとしたら。


そう思うだけで、なぜこんなにもざらつくのだろう。


肩の奥がじんと熱い。


もう一度構えなおしながら、そっと目を伏せた。


ーー稽古に集中するのだ。


だが、胸の奥ではまるで逆の感情が芽を出していた。


ーーあの人の隣にいたいなら――強くならねば。


シュリは、唇をきゅっと結び直した。



・・・その日の午後、城内にはまた違った静けさが流れていた。


ハンカチを抱えて、ウイはリネン室へ向かっていた。

白地の布には、まだ針の跡はない。


昨夜、母の手元にあった古びた布の縁が少しほつれていた。

言葉にはしなかったけれど、気になって仕方がなかったのだ。

だから今日、こっそり刺繍をして贈るつもりだった。


――母のために。


ふと、向こうから人の気配がした。

曲がり角をゆっくりと現れたのは、シリだった。


「あら、ウイ。どこへ?」


声をかけられて、ウイは小さくはにかんだ。

「・・・リネン室へ。刺繍を少し・・・」


ふっとシリが微笑んだ。


「ついて行ってもいいかしら」


シリが並ぶように歩き出す。


ウイも自然にその歩調に合わせた。


特に会話はない。


けれど、その沈黙は心地よかった。


「・・・母上」


少し歩いて、ウイがふいに呼びかけた。


「どうしたの?」


「なんでもない」


それだけ。


けれど、シリはふと微笑み、そっと娘の髪を撫でた。



シリがふとウイの髪に目を留めた。


淡い紫のリボンに、白い小花の刺繍が施されている。


繊細で、けれど確かな手仕事だった。


「ウイ、そのリボンの刺繍は自分でしたの?」


「はい」

ウイは嬉しそうに微笑んだ。


うれしそうに微笑む娘を見て、シリもまた目を細めた。


「見事ね。私は裁縫が本当に苦手だから・・・ウイはすごいわ」


その言葉に、ウイは照れたように頬を染めた。



ちょうどそのとき、リネン室の扉を開けると――

そこにはひとり、白い布を手にした女性がいた。


プリシアだった。


妾のひとり。


白い布を手にしていたプリシアは、ふたりの姿を見て目を見開き、すぐに頭を下げた。


「シリ様、ウイ様・・・失礼をいたしました」


その肩が、緊張で強張っているのがわかった。


「どうぞお気になさらず」

シリは穏やかに応じた。


「布が必要でしたか?」


「はい・・・ほんの少し、刺繍の練習を・・・」


プリシアの声はかすかに震えていた。


シリは一瞬だけ彼女を見つめ、目を伏せた。


「私たちも同じ用で来ました。終わったら声をかけてちょうだい。時間はたっぷりありますから」


「・・・ありがとうございます」


プリシアは頭を下げたまま、そっと糸と針を片づけ始めた。


――こんな風に、誰かに『共にいてもいい』と感じたのは、久しぶりだった。


そしてふと、ウイのほうに目をやる。

迷いがあった。

けれど、その迷いごと、小さな勇気に変えるように声をかけた。


「そのリボン・・・とても、素敵ですね」


控えめながら、どこか親しみのこもったまなざしだった。


驚いたように振り返ったウイに、プリシアはポケットから小さな布を取り出す。


「私も・・・刺繍が好きなんです」


そう言って差し出したのは、端に小さな百合の花が刺繍された白いハンカチだった。


手慣れた糸運びで、静かな時間の積み重ねを感じさせる仕上がり。


「このリボン、ずっと気になっていました。とても丁寧で、優しい針の跡ですね」


柔らかな口調でそう話しながら、プリシアは微笑んだ。


褒めるでもなく、媚びるでもなく――ただ、心からの感嘆を滲ませるように。


ウイは目を瞬かせ、小さく頭を下げた。


「・・・ありがとうございます。これは、わたしが縫ったんです」


声は控えめだったが、その奥に誇らしさがあった。


「そうでしたか。やっぱり、と思いました」


プリシアは、ほっとしたように微笑んだ。


ウイは何も言わなかったが、母の袖のあたりをそっと掴んだ。


その小さな仕草を、シリはそっと受け止める。


三人のあいだに流れる空気は少し重たく、けれどどこか穏やかでもあった。


ドアの隙間から差し込む光の中で、ハンカチの白が静かにきらめいていた。


リネン室を出た後に、ウイはシリにそっと話した。


「妾の女性は・・・もっと怖い人だと思っていました。

プリシアさんは・・・優しそうな方ですね」


シリはウイの群青色の瞳を見つめながら、微笑んだ。


「ウイは、人の心を和ませる力があるわ。私だけだったら、プリシアは話しかけなかったと思うわ」


華やかでも、気丈でもない。

けれど――ウイがそこにいるだけで、空気がやさしくなる。


「ウイ、あなたは光の子ね」


そう言ってシリが微笑むと、ウイは恥ずかしそうに頬を染めた。


あの日のことを、ウイはきっと忘れない。


白い布の温もりと、静かな光を思い出しながら――。



けれど。

その静かなひとときの裏で、ミンスタ領では、別の布が刺繍されようとしていた。


それは、和解ではなく、対立を縫い付ける布だった――



次回――


ゴロクの頬に浮かんだ微笑みが、キヨの胸に得体の知れぬ苛立ちを芽生えさせる。

そして翌朝――彼は「ゼンシの告別式」を自ら仕切ると宣言した。

その計画の裏に潜むのは、ただ一つの野望。

「ゴロクを滅ぼす」――不穏な言葉が、冬の空気を震わせた


本日の20時20分 骨抜きの微笑


ブックマークありがとうございます。

応援、とても励みになっています。


===================

このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万五千PV突破

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

===================

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ