見つめる目と気づいた横顔
シズル領 ノルド城
朝の光が、稽古場の砂を淡く照らしていた。
木刀を握る手に、じんわりと汗がにじむ。
構えを崩さぬよう意識を集中しながら、シュリは前へと踏み込んだ。
――打ち込む。
思いのままに、雑念を払うように何度も。
だが、何かが引っかかる。
視線。背後に、誰かの気配。
ひと息ついたところで、ちらりと横目で振り返る。
離れの廊下に、ユウが立っていた。
柱の影から、まっすぐにこちらを見つめている。
けれどその目は、どこか遠くを見ているようにも思えた。
ーーまた・・・見ている。
最近、気づくようになっていた。
稽古をしているとき、あの娘の視線がどこかから刺さってくること。
胸の奥が、もぞもぞと落ち着かない。
稽古場には若い男がたくさんいる。
ーーあの人は、誰を見ているんだ。
自分以外の誰かだとしたら。
そう思うだけで、なぜこんなにもざらつくのだろう。
肩の奥がじんと熱い。
もう一度構えなおしながら、そっと目を伏せた。
ーー稽古に集中するのだ。
だが、胸の奥ではまるで逆の感情が芽を出していた。
ーーあの人の隣にいたいなら――強くならねば。
シュリは、唇をきゅっと結び直した。
◇
・・・その日の午後、城内にはまた違った静けさが流れていた。
ハンカチを抱えて、ウイはリネン室へ向かっていた。
白地の布には、まだ針の跡はない。
昨夜、母の手元にあった古びた布の縁が少しほつれていた。
言葉にはしなかったけれど、気になって仕方がなかったのだ。
だから今日、こっそり刺繍をして贈るつもりだった。
――母のために。
ふと、向こうから人の気配がした。
曲がり角をゆっくりと現れたのは、シリだった。
「あら、ウイ。どこへ?」
声をかけられて、ウイは小さくはにかんだ。
「・・・リネン室へ。刺繍を少し・・・」
ふっとシリが微笑んだ。
「ついて行ってもいいかしら」
シリが並ぶように歩き出す。
ウイも自然にその歩調に合わせた。
特に会話はない。
けれど、その沈黙は心地よかった。
「・・・母上」
少し歩いて、ウイがふいに呼びかけた。
「どうしたの?」
「なんでもない」
それだけ。
けれど、シリはふと微笑み、そっと娘の髪を撫でた。
シリがふとウイの髪に目を留めた。
淡い紫のリボンに、白い小花の刺繍が施されている。
繊細で、けれど確かな手仕事だった。
「ウイ、そのリボンの刺繍は自分でしたの?」
「はい」
ウイは嬉しそうに微笑んだ。
うれしそうに微笑む娘を見て、シリもまた目を細めた。
「見事ね。私は裁縫が本当に苦手だから・・・ウイはすごいわ」
その言葉に、ウイは照れたように頬を染めた。
ちょうどそのとき、リネン室の扉を開けると――
そこにはひとり、白い布を手にした女性がいた。
プリシアだった。
妾のひとり。
白い布を手にしていたプリシアは、ふたりの姿を見て目を見開き、すぐに頭を下げた。
「シリ様、ウイ様・・・失礼をいたしました」
その肩が、緊張で強張っているのがわかった。
「どうぞお気になさらず」
シリは穏やかに応じた。
「布が必要でしたか?」
「はい・・・ほんの少し、刺繍の練習を・・・」
プリシアの声はかすかに震えていた。
シリは一瞬だけ彼女を見つめ、目を伏せた。
「私たちも同じ用で来ました。終わったら声をかけてちょうだい。時間はたっぷりありますから」
「・・・ありがとうございます」
プリシアは頭を下げたまま、そっと糸と針を片づけ始めた。
――こんな風に、誰かに『共にいてもいい』と感じたのは、久しぶりだった。
そしてふと、ウイのほうに目をやる。
迷いがあった。
けれど、その迷いごと、小さな勇気に変えるように声をかけた。
「そのリボン・・・とても、素敵ですね」
控えめながら、どこか親しみのこもったまなざしだった。
驚いたように振り返ったウイに、プリシアはポケットから小さな布を取り出す。
「私も・・・刺繍が好きなんです」
そう言って差し出したのは、端に小さな百合の花が刺繍された白いハンカチだった。
手慣れた糸運びで、静かな時間の積み重ねを感じさせる仕上がり。
「このリボン、ずっと気になっていました。とても丁寧で、優しい針の跡ですね」
柔らかな口調でそう話しながら、プリシアは微笑んだ。
褒めるでもなく、媚びるでもなく――ただ、心からの感嘆を滲ませるように。
ウイは目を瞬かせ、小さく頭を下げた。
「・・・ありがとうございます。これは、わたしが縫ったんです」
声は控えめだったが、その奥に誇らしさがあった。
「そうでしたか。やっぱり、と思いました」
プリシアは、ほっとしたように微笑んだ。
ウイは何も言わなかったが、母の袖のあたりをそっと掴んだ。
その小さな仕草を、シリはそっと受け止める。
三人のあいだに流れる空気は少し重たく、けれどどこか穏やかでもあった。
ドアの隙間から差し込む光の中で、ハンカチの白が静かにきらめいていた。
リネン室を出た後に、ウイはシリにそっと話した。
「妾の女性は・・・もっと怖い人だと思っていました。
プリシアさんは・・・優しそうな方ですね」
シリはウイの群青色の瞳を見つめながら、微笑んだ。
「ウイは、人の心を和ませる力があるわ。私だけだったら、プリシアは話しかけなかったと思うわ」
華やかでも、気丈でもない。
けれど――ウイがそこにいるだけで、空気がやさしくなる。
「ウイ、あなたは光の子ね」
そう言ってシリが微笑むと、ウイは恥ずかしそうに頬を染めた。
あの日のことを、ウイはきっと忘れない。
白い布の温もりと、静かな光を思い出しながら――。
けれど。
その静かなひとときの裏で、ミンスタ領では、別の布が刺繍されようとしていた。
それは、和解ではなく、対立を縫い付ける布だった――
次回――
ゴロクの頬に浮かんだ微笑みが、キヨの胸に得体の知れぬ苛立ちを芽生えさせる。
そして翌朝――彼は「ゼンシの告別式」を自ら仕切ると宣言した。
その計画の裏に潜むのは、ただ一つの野望。
「ゴロクを滅ぼす」――不穏な言葉が、冬の空気を震わせた
本日の20時20分 骨抜きの微笑
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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万五千PV突破
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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