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まだ誰のものでもない少年


「まあ・・・あの子、毎朝あんなことしていたのね」


窓辺に立つドーラが、身を乗り出すようにして呟いた。


庭に面した妾たちの居室の一角。


上階からは馬場がよく見渡せた。


「毎朝って、あの年で? すごい根性ですね・・・あの子は?」


「可愛い顔しているわ。睫毛、長いし」


「品がある男の子だわ。家柄が良いのかしら」


ドーラとプリシアのささやきが重なっていく中、フィルが小さく笑った。


「・・・乳母子、ですってね」


フィルが話した。


他の妾たちよりも年若く、生意気そうな気配を纏う女。


涼やかな目を細め、馬場で稽古に励むシュリをじっと見つめている。


「シリ様は昨日もお疲れのようだったわ。今日も・・・お部屋で静かにされているんじゃないかしら」


「まあ・・・夜は随分、長かったみたいね」


ドーラが少し意味ありげに呟いた。


けれど誰も、それ以上言葉を重ねなかった。


「どこかの坊ちゃまかと思っていたけれど、姫様の――ユウ様の傍で育ったそうよ」


「えっ、じゃあ、使用人の子?」


「・・・乳母子よ。育ちは姫様と同じ。それだけで十分じゃない?」


どこかふわりとした言い方だったが、その言葉の裏にある関心は隠しきれていなかった。


ジャックと訓練を受けるシュリの顔は、汗に濡れて真剣そのものだった。


「あの歳で・・・あんなに必死になるって、誰かを守りたいからよね」


フィルはひとりごとのように言った。


誰を、とは言わない。


けれど、それが『姫様』であることは、見ていればわかる。


「・・・まんざらでもないわね」


小さく微笑んだ唇が、朝日を受けて艶やかに揺れた。


その声に、隣のプリシアが不思議そうに首をかしげた。


「え?」


「ううん、何でもないの」


そう言って、フィルは軽やかに振り返ると、窓辺を離れた。


けれどその背中には、確かにわずかな熱がこもっていた。




寒さが残る馬場で戦士たちの朝稽古が始まっていた。


青年兵の中で、あどけない顔立ちの少年がいる。


シュリだった。


ミンスタ領で稽古をしていた時、彼は少年兵として稽古をしていた。


けれど、シズル領では青年兵と共に稽古をしている。


シュリの身長は高かった。


少年兵としては優秀だったけれど、大人の戦士と共に練習をしていると、

筋力と技術は到底敵わない。


今朝も、またーージャックとの稽古で地面に吹っ飛ばされた。


再び立ち上がろうとした時――


「随分と、根性はあるようだな」


どこか懐かしい低い声が背後から届く。


「ゴロク様・・・!」


シュリが振り向いた時には、もうその巨躯がすぐそばに立っていた。


年を重ねた男の瞳には鋭い光が宿っており、朝の空気よりも厳しかった。


「ジャック、木剣を。少し貸してくれ」


「はっ」


シュリの肩が、ピクリと震える。


ーーまさか、領主自らが相手をするとは。


「構えろ」


それは命令だった。


反射的に木剣を握り直し、足を開く。


「ユウ様の乳母子なら、強くならねば」


その一言の後、ためらいのない打ち込みが始まった。


木剣が打ち合う音が朝靄の中に鋭く響く。


ゴロクの一撃は容赦なく、重たかった。


まるで「甘さを断ち切れ」と言わんばかりだった。


シュリは必死に食らいついた。


肩で息をしながら、それでも膝を折らず、剣を振るう。


だが、三合目の打ち合いで木剣が弾かれ、再び身体ごと飛ばされた。


「・・・くっ・・・はぁ、はぁ・・・」


顔を上げると、ゴロクは静かに言った。


「肘が甘い。今日のところはここまでだ。だが、またやるぞ」


その厳しい声の奥に、微かににじむ期待の色を、シュリは見逃さなかった。


「・・・はい!」


気力だけを振り絞って、シュリは深く頭を下げた。


朝はまだ始まったばかりだったが、シュリの全身はすでにクタクタだった。


しかし、その瞳にはかすかな炎が灯っていた。



ーーユウ様の傍にいるなら、あの方の盾になりたい。


その一心が、彼を立たせていた。



早朝の廊下、ユウが静かに窓辺に立っていた。


朝の光に透ける金の髪。張りつめた気配。


その視線の先にいるのは――馬場で木剣を振るう少年、シュリ。


足音を忍ばせて通りかかったフィルは、思わず立ち止まった。


視線をたどる。


ユウの瞳の奥にある、揺れる光を見て。


ーーああ、なるほど。


色恋沙汰に聡い彼女は気づいた。


姫が惹かれる相手を。


ーーそういうこと。好きなのね、あの子のこと。


フィルは思わず窓の外をのぞく。


汗に濡れた髪、凛々しい横顔、必死に剣を振るう姿。


ーー乳母子なのに。やるじゃない。ふふっ。まあ、あの顔ならね。


チラッとユウを見た後に、くるりと踵を返す。


歩き出した廊下の奥で、彼女はひとつ、口元を吊り上げた。


「これは面白くなってきたじゃない」


にやり、と笑うフィルの顔には、好奇心が混ざっていた。

次回ーー


朝の訓練後、冷水を浴びるシュリの前に現れたのは――妾のフィル。

白布で額を拭われ、戸惑う少年と、興味深げに微笑む女。


それを、窓辺からユウが見ていた。


――何を話していたの?


胸の奥に、名も知らぬ痛みが広がっていく。

姫としての理性が、それを「嫉妬」と呼ぶことを拒んでいた。


明日の20時20分 まだ知らない恋と知ってはいけない想い


✦登場人物紹介


ドーラ

年長の妾。穏やかで品があるが、観察眼が鋭い。何かとシリを気にかけている。


プリシア

穏やかで優しい妾。


フィル

若く野心的な妾。美貌と知性を武器にし、時に挑発的。姫・ユウへの複雑な感情を抱く。


シュリ

ユウの乳母子として育った少年。ひたむきに鍛錬を重ね、ユウを守る盾になろうとする。


ゴロク

領主。厳格だが、人を見る目は確か。若き者に期待を寄せている。


ユウ

シリの長女。気高く聡明だが、まだ少女らしい一面を残す。

馬場で稽古するシュリを見つめ、その姿に心を揺らす。



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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で十万五千PV突破

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

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