選ばれた妾 光栄です、お供します
朝の光が、離れの食堂に差し込んでいた。
テーブルには、子どもたちの好きな甘いパンと、薄く焼いた卵、やさしい香りのスープが並ぶ。
「母上が一緒に食べるなんて、ひさしぶり!」
ウイが目を輝かせて言った。
スプーンを手に、すぐにスープをすくい始める。
レイも無言でパンをちぎりながら、ちらりとシリを見て、口元をほころばせた。
いつも通りの無愛想な顔だが、黒い瞳が少し潤んでいた。
ユウは椅子に座ったまま、手を膝に置き、じっと母を見つめていた。
その瞳に宿るのは、安堵とも、疑念ともつかない光。
「ユウ?」
声をかけると、ユウは一瞬まばたきし、それから小さく笑った。
「・・・ここのごはん、味は良いの。母上がいると・・・もっと美味しい」
その言葉に、シリは思わず笑った。
ーーそう、ここが私の居場所。
フォークの音、子どもたちの話し声。
シュドリーの朝とは違うけれど、確かにあの頃の続きのようだった。
レーク城では、グユウと向かい合った静かな朝。
シュドリーでは、子どもたちと囲んだにぎやかな朝。
そして今、ノルドの城で。
もう一度、心から食べられる朝が、始まろうとしていた。
◇
昼過ぎにシュドリー城からの使者が一通の文を届けた。
筆跡はマサシ。
封を切ったゴロクの表情が、わずかに硬くなる。
「重臣会議を10日後、ミンスタ領・シュドリー城にて開く。出席のこと」
文を読み終えたゴロクが、手紙をたたんだままシリに目を向けた。
「・・・妃として、シリ様はここに残る。良いでしょうか」
シリは力強く頷いた。
「ええ、承知しています。妃が留守を守るのは、当然の務めですから」
静かな声に、迷いはなかった。
けれど、その後の一言には、ほんの少しだけためらいが混じった。
「・・・道中、妾の方を一人、お連れください」
ゴロクは眉をひそめた。
「・・・誰かに言われたか?」
「いいえ、私からの申し出です」
シリはまっすぐゴロクを見て続けた。
「妾を連れての旅路は、もともと常のことです」
ゴロクは、シリの言葉に異を唱えなかった。
その判断と立場を、ひとりの妃として信頼していた。
領主が不在の間、妃は城を守る、
争いや遠征がある場合、妾を同行する。
これは昔からの習わしだった。
「同行させる妾はドーラが良いです」
シリが静かに告げると、ゴロクの眉がわずかに動いた。
「・・・ドーラ?」
「はい。年長者で落ち着いていますし、礼儀や作法にも通じています。粗相もありません」
シリの言い方はハキハキとして迷いがなかった。
心の底から、付き添いはドーラが相応しいと思っているようだ。
・・・実際、礼儀を知らないフィルには荷が重い。
「・・・気遣いか?」
「そう思われても、構いません」
正面からそう答えたシリに、ゴロクは一瞬だけ言葉を失った。
シリの視線は揺るぎないものだった。
領務を行う領主のような眼差しだった。
「・・・わかった。伝えておこう」
ゴロクはゆっくりと頷き、目を逸らさずにそう言った。
シリもまた、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。道中の無事を、お祈りします」
◇
出立の準備が始まった日の午後、ゴロクは離れの妾の間を訪れた。
「ドーラ」
名前を呼ばれ、年長の妾はそっと頭を下げた。
「お呼びでしょうか」
「ミンスタまでの道中、そなたに同行を頼みたい」
一瞬、ドーラの瞳が揺れる。
「・・・よろしいのですか。シリ様に、お許しは」
そう問いかけたその声音には、驚きと、どこか遠慮が混じっていた。
ゴロクは少しだけ目を伏せ、ほんのわずかに唇を緩めた。
「そのシリ様が、そなたを名指しで頼んだ。『適任です』と、はっきりと」
ドーラの胸の奥が、きゅっと痛んだ。
喜びでも嫉妬でもない、名もなき感情が走った。
それは、事実にすぎない言葉だった。
けれど、その言い方には、どこか寂しげな色が混じっていた。
それを見た瞬間、ドーラは気づいた。
――この方は、シリ様を好いておられるのだ。
無骨で、照れ屋で妾たちに分け隔てなく接してくれた男がーー
妃の名前を口にするたびに、微かに表情を曇らせている。
それが恋情であることに、疑いの余地はなかった。
ーーそう・・・そうなのね。
心の中でそっと呟く。
言葉には出さない。
それが妾という立場の矜持だった。
「光栄です。お供いたします」
ドーラは静かに頭を下げた。
10年以上に渡る妾生活。
妻を娶らないのは、自分に対しての思いやりだと思っていた。
複数いる妾の中でも、自分は特別な存在。
そう思っていた。
シリ様のようにはなれない。
けれど、選ばれた者として恥じぬよう、ふるまおう。
それが、年長の自分にできる唯一の務めだった。
次回ーー
その夜、妃の部屋をゴロクが訪れる。
扉の向こうで交わされるのは、愛ではなく義務のぬくもり。
抱きしめても届かない想い。
それでも、願わずにはいられなかった。
――いつか、この手の温もりが、あなたに届く日を。
明日の20時20分 妻でありながら他人
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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で10万PV突破
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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