ふたりの距離を測る
ノルド城本館の二階、窓の外に広がる中庭を見下ろす位置に、エマは静かに立っていた。
手には書類。
けれど、それを読むでもなく、彼女の視線はただ一点に注がれている。
庭の片隅。
咲き誇る薔薇の前に並ぶ、ふたりの若い影。
ユウと、シュリ――。
並んで座るふたりの姿は、ひどく近く、そして親密だった。
寄り添うようにユウが身体を預け、シュリは硬直しながらも、それを受け止めている。
「・・・また、あの距離」
エマは息をついた。
懸念は、ここ最近ずっと抱き続けているものだった。
型破りなシリを姫らしく育てることに苦労した。
けれど、ユウはシリとは違う何かがある。
――あの子に、ゼンシ様の影が宿っている。
ユウの目には、ゼンシにあった“孤独な炎”がある。
誰も信じず、すべてを支配しようとするあの光。
エマは思う。
ユウがこのまま歳を重ねれば、姫として政略の対象となる。
近い未来、どこかに嫁ぐかもしれない。
だが――
ーーあの子が、誰かに身も心も明け渡す未来が・・・いまは想像できない。
そのくらいに、シュリとの関係は異様に近く、切実だった。
「・・・どうして、あの子はあんな顔をするのかしら」
頬を預けるユウの表情は、子供のようなあどけなさもあり、
誰にも渡したくないと願う女のようでもあった。
あれは甘えだろうか。
それとも、恋だろうか。
それとも、何かもっと複雑な、名付けがたい感情だろうか。
エマは目を細める。
ーーあの子をコントロールできるのは、もうシュリしかいないのかもしれない。
それが何よりの不安だった。
シュリはまじめで、誠実で、優しい子だ。
けれど、ユウにとって“唯一無二”の相手になってしまった今、
その距離を保ち続けることは、容易ではない。
このままでは、
あの子の「感情」が、誰かを飲み込んでしまうのではないか――。
ふと、ユウが顔をあげ、シュリに何かを語りかけた。
シュリの肩にそっと手を置く。
その仕草に、エマの手の中の書類がカサリと音を立てて震えた。
エマの眉が陰る。
二人を引き離すのは簡単だ。
けれど、そうなった時に、ユウを自分たちで抑えきれるだろうか。
ーーこんな事を思っているのは自分だけだろうか。
「ヨシノに聞いてみましょう」
日が少し傾き、窓からやわらかな光が射していた。
エマは椅子に腰掛け、そっと湯気の立つカップを口元に運んだ。
向かいには、乳母のヨシノ。
シュリの母親であり、ユウの乳母である。
「あの子たち・・・シュリとユウ様の関係、どう思う?」
エマが目を逸らさずに問いかけると、ヨシノはほんのわずかに眉を寄せた。
「・・・親密ですね。兄姉というより・・・もっと強く、深いものを感じます」
エマは静かにうなずいた。
「ユウ様は、姫として特別に育てられました。でも、心を開いたのは、同じ部屋で育ったシュリだけ。
彼女にとってシュリは、居場所だったのかもしれません」
エマは目を伏せた。
「シュリにとっても・・・あの子が、“心の支え”だったと思います。
特に、シン様を亡くしてからは・・・」
ヨシノは言葉を続ける。
「依存とも、違うのです。今は大丈夫です。
ただ・・・一線を越えてしまう日が来るのではないかと、少し怖いのです」
「・・・私も、同じことを思っています」
エマはため息をつき、窓の外に視線を移した。
「・・・シリ様は、それに気づいているのかしら」
ヨシノは答えなかった。
その沈黙が、何よりも重かった。
夕方、ノルド城のシリの書斎。
シリは木像を見つめていた。
けれど、背後に立つエマの気配に気づき、振り返る。
「・・・エマ?」
「お話があります。少しだけ、お時間をいただけますか」
その声に、ただの報告ではないと察する。
「いいわ。座って」
エマは静かに椅子に腰かけ、少し間を置いてから口を開いた。
「・・・今朝、ユウ様とシュリが庭で寄り添っているのを見かけました」
「ええ、私も。最近、よく一緒にいますね」
「・・・それが、あまりに近すぎるように感じまして」
シリは眉をひそめた。
「近すぎる・・・というのは?」
「物理的にも、心情的にも、です」
エマの目が真剣だった。
「ユウ様は・・・あまりにシュリに頼りすぎているように思います。
姉妹にも私たちにも話せないことを、すべてシュリに預けているような・・・」
乳母だからわかる。
シリは恋愛面に関しては疎い。
かつてワスト領の重臣だったオーエンのわかりやすい想いにも気づいていなかった。
なので、ここはストレートな説明をしようとエマは決意した。
「その想いが、愛情なのか、執着なのか・・・それはまだ分かりません。
けれど、このままの距離では、どちらかが苦しくなるように思います」
シリはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「・・・私も、少し気になっていたの。
ユウの目には時折、兄上の影が見える。
けれど、あの子には、あの子なりの孤独がある。
その穴を、埋めてくれているのがシュリなら・・・私、ありがたいと思ってしまったのよ」
エマはうなずいた。
「・・・私も同じです。ですが・・・」
「・・・ええ。分かっているわ。
私たち大人が、見守るだけでいいのか・・・悩むところね」
「はい。ユウ様は嫁ぐ身、シュリは乳母子ですから」
エマの説明に、シリはため息をついて、木像を見つめた。
「もう、そんな話題が出るような年齢になったのね」
まだ幼いと思っていた娘たち、まさかこんな悩みを抱えるとは想像もしなかった。
「――あの子が誰かを想い、傷つく日が来たとき、私はどうしてやれるのかしら」
ゼンシの妹として、姫として、妃として、多くの場面を戦ってきた。
けれど――母として、子の心に向き合うことは、
そのどれよりも難しいことかもしれない。
次回ーー
亡き夫の面影と、今を共に生きる男――。
シリはその夜、静かな部屋で、過去と現在の狭間に立たされる。
妃として、母として、そしてひとりの女として――彼女の心が揺れ始めた。
明日の20時20分 妃としての夜
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この話の前の話 お陰様で10万PV突破しました。
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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