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泣いてなど、ない。それでも手を離せなかった


その身を、シュリは静かに抱きしめる。

抵抗はなかった。

しばらくのあいだ、バラの葉が揺れる音だけがふたりを包んでいた。


「・・・泣いてもいいのですよ」


静かにかけられた言葉に、ユウはそっと目を伏せた。


「・・・泣いてない」

その声はかすれていた。

けれど次の瞬間、ユウは自分から、シュリの背を抱きしめ返す。


「・・・泣いているじゃないですか」


その囁きに、ユウの肩がぴくりと跳ねる。


「泣いてなんか・・・!」


振り向いた顔には、こらえきれなかった涙の跡があった。

それでも、顔をゆがめ、必死に叫ぶ。


「泣いてない!!」


その声には、怒りと痛み、自分への苛立ちが混ざっていた。


守りたかったのに、守れなかった。

何もできずに、ただ見ていただけの自分が、情けなくて仕方なかった。


「そうですね」


シュリはユウの瞳を見て、頷いた。


ユウは気づけば、その胸に顔を押しつけていた。

そこにはただ、やわらかくて温かい沈黙があった。


「泣いてもいいんですよ、ユウ様」


囁きは、炎のように揺れる心に、水を注ぐようだった。


ユウは、それでも「泣いていない」と呟き続けた。


けれどその手は、いつのまにかシュリの服をしっかりと握っていた。


その声に、ユウは堪えきれなくなった。


「母上は・・・あんな人と・・・あんな・・・!」


涙がぽろぽろと頬を伝う。


「母上は、誰よりも美しくて、強くて、誇り高いのに・・・」


「ええ。私も、そう思います」


「なのに、どうして?守れない・・・」


「・・・違います」


シュリの声は低く、しかし確かだった。


「ユウ様が、守ろうとされた。それで十分です」


ユウは声を殺して泣いた。


その胸の内にあふれるのは、母を思う気持ち。


そして、自分の力のなさへの絶望。


その涙は、やがて強さに変わる。


けれど今は――ただ、泣いてよかった。


「・・・なんで、あなたなの」


ぽつりと、ユウがつぶやいた。


「どうして・・・私、あなたの前でばかり泣いてしまうの?」


シュリは答えなかった。


けれど、腕の中の少女がどれほど傷つき、どれほどこの世界に抗おうとしているか――

そのすべてが、胸に伝わってきた。


それが、あまりにも愛しくて。

けれど、その感情に名前を与えることはできなかった。


「・・・誰にも知られたくないの。こんな気持ち」


ユウはようやく声を絞り出した。


「母上にも・・・妹たちにも・・・あなたにさえ、本当は・・・知られたくなかった」


「・・・でも、私はユウ様の味方です」


その言葉に、ユウの身体がふるりと震えた。


「味方・・・?」


「ええ。ユウ様が怒るときも、泣くときも、黙っているときも。

どんなときも、私はユウ様のそばにおります。・・・それだけです」


シュリの声は、いつもと変わらず静かだった。

でも、その静けさが、ユウの心に沁み込んでいく。


やがて、抱きしめた少女の息が落ち着いたとき――


ーーしまった。


そう思ったのは、彼女の体温が腕に伝わってからだった。


ユウは、ただの姫ではない。

セン家の娘であり、ゼンシの姪であり、今やゴロクの養女でもある。


ーー触れてはいけない。

それもこんなふうに、衝動的に――。


ーー違う。これは慰めだ。恋情ではない。


そう言い聞かせながらも、胸の奥でひどく細い針のような痛みが刺さる。


その痛みは、自分が「抱いてはならない想い」を、すでに抱いてしまっている証だった。


「・・・すみません」


小さく呟いて、腕を離そうとした。


だが、袖を握る小さな手が、それを許さなかった。


「・・・もう少しだけ」

弱々しい声だった。


こんなユウの声は初めてだった。


シュリは静かに目を伏せた。


「・・・わかりました」


その言葉とともに、シュリは再びユウを抱きしめた。

今だけは、受け止めることが、自分にできるすべてだと思った。


けれど――この温もりを知ってしまった心は、もう二度と元には戻らない。

そのことを、どこかで、もう悟っていた。




その日の朝から、シリと娘たちは「客人」から「家族」になった。


ノルド城には、三姉妹のための立派な部屋が用意されていた。

並んだ三つの個室には、それぞれ異なる趣の調度品がそろえられている。


寝台も、書き机も、窓辺の花瓶さえも――

少女たちの年齢と好みに合わせて、美しく整えられていた。


けれど。


どれほど豪華な部屋であっても、心の奥にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。


母は本館に移り、娘たちは離れに住む。

それが、この城での新たな生活だった。


朝になれば、隣室から聞こえていた母の声もない。

眠る前に、母の気配を感じることもない。



ウイはひとり、静かにベッドに腰掛けていた。

どれほど整えられた部屋でも――

母と離れることが、こんなにも寂しいとは思わなかった。



「やっぱり・・・寂しい。母上」


ぽつりと漏らしたウイの目に、ひとすじの涙がこぼれた。


そのとき、扉がそっと開いた。


「ウイ、泣いてるの?」


現れたのはユウだった。


ウイが慌てて顔を隠すと、ユウの手がそっと肩に触れる。


「大丈夫。私がいるわ」


ユウの声は静かで、芯があった。


「・・・ありがとう、姉上」


ふたたび扉が開く。


レイが、少しむくれたような顔で入ってきた。


「姉上、姉様・・・ずるい。私も・・・一緒に」


小さな声が震えていた。


ユウとウイは顔を見合わせ、ふっと微笑む。


「おいで、レイ。こっち」


ユウの差し出した手に、レイが小走りで駆け寄る。


三人は、自然と身を寄せあった。


「母上と離れていても、私たちは姉妹よ。・・・何があっても、つながってる」


ユウの言葉に、ウイは笑みを返し、レイはこくりと頷いた。


そのとき、乳母たちが入ってくる。


「今日はゴロク様と面会です。正装をしましょう」


新しい朝が、ゆっくりと始まっていた。


次回ーー


次回ーー


ノルド城での再婚の挨拶。

シリと三人の娘は、初めてゴロクの前に立った。


幼いレイの凛とした一礼。

ウイの明るい笑顔。

そして――ユウの瞳は炎だった。


「セン家の長女、ユウと申します」

その声は、「わたしはあなたの娘ではない」と告げているように響いた。


明日20時20分 あなたの娘ではないーーと言われても

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この話の前の話 お陰様で10万PV突破しました。

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

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