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父じゃない誰かの隣に立つ母を見て

ノルド城の大広間には、厳かに婚礼のしつらえが整えられていた。


三姉妹は家族席に並んで座り、扉の向こうから母が現れるのを待っている。


やがて、ゆっくりと扉が開いた。


青いドレスの裾が床を滑るたびに、陽の光が反射して、まるで湖面に揺れる月光のようだった。


シリ――青の装束を纏った母の姿に、その場の誰もが息を呑んだ。


「キレイ・・・」

ウイが小さな声でつぶやく。


ユウはその様子を、じっと見つめていた。


長い睫毛の奥に湛えたまなざし、白磁のような肌、陽の光を受けて揺れる金の髪。


年齢をまったく感じさせない、気品と艶やかさ。


母は、式の空気そのものを支配していた。


その美しい母の隣に立つのがゴロクだった。


ゴロクは、威厳ある重臣として知られてはいたが、この場では妙にぎこちなかった。


緊張からか、わずかに震える手。

濃い皺を刻んだ顔に、どこか硬直した笑みを浮かべている。


ユウはその姿を見て、思わず眉をひそめた。


ーーやっぱり、年寄りすぎる。


ユウは口を引き結んだまま言葉を飲み込んだ。


ーー母上にはもっと若くて、堂々とした人がふさわしいのに。


ウイも目をぱちぱちと瞬かせていた。


「立派な方」と聞かされてきたはずだったが、現実は想像とあまりに違っていた。


レイは、母の横顔と、狼狽えるゴロクを交互に見比べていた。


ーー母上は、こんな人の妻になるの?


母の横に並ぶには、どうしても釣り合いが取れていない。

見れば見るほど、落胆の念が広がっていった。


それは、母があまりにも美しかったからだ。


婚礼の場で、母・シリの美しさは群を抜いていた。


だからこそ、隣に立つ男のぎこちなさと老いが、より鮮明に際立っていた。


母が受け入れた再婚の相手――

三姉妹はそれぞれに受け入れようと努力していた。

けれど目の前の現実に、どこか心の奥が冷めていくのを感じていた。


その違和感を口に出すことはできなかった。

なぜなら、母の横顔があまりにも静かだったから。


誇り高く、揺るがぬ決意を秘めた母のまなざし。

それがかえって、三人の胸に重く響いた。


その横顔が、何かを諦め、何かを守る決意に満ちているように見えた。


三姉妹の胸に、名もなき痛みが広がっていく。




式が進み、指輪の交換へと移る。


彼女の左手をとるとき、ゴロクの瞳に一瞬だけ、深い憧憬の色が浮かんだ。


若さはとうに失った男が、誇り高き姫君の手を取る。


その震えに宿っていたのは、老いではなく、ひたむきな想いだったのかもしれない。


ゴロクが一歩前に出て、シリの左手を取り、指輪をはめようとしたその瞬間――


ほんのわずかに、シリの眉が動いた。


ほんの小さな揺らぎ。


次の瞬間には、すでにいつもの微笑みに戻っていた。


だが、ユウにはわかった。


ーーあれは、嫌だったんだ。


母は今、女としての葛藤を押し殺している。

誰にも見せられない思いを、一瞬だけ、ユウにだけ見せてしまったのだ。



婚儀がひと段落し、控室へと戻った三姉妹。

まだ衣擦れの音が落ち着かぬうちに、ウイが噴き出した。


「やっぱり、似合わないわ・・・!」


立ったまま声を上げるウイに、レイも続く。


「うん、母上が綺麗すぎて、ゴロク殿がますますおじいさんに見えたもの」


緊張から解き放たれた二人の声は、少し高ぶっていた。

ユウは静かに妹たちを見た。


思い出すのは、かつての父・グユウの姿。


若く、凛々しく、背が高かった。


黒い髪をなびかせ、いつも母を優しく見つめていた。


父と母が並ぶ姿は、気高く、理想そのものだった。


けれど今、母の隣に立つ男は年老いた領主。


白い髭、緊張にこわばる顔、そして――母より背が低い。


母の身長が高いのだ。


それはわかっていける。


けれどーー


「母上は、まるで女神様みたいに綺麗なのに・・・」

思わず、ユウの口から言葉が漏れた。


ウイも無言で頷く。


母の美しさを誇らしく思い、その隣にふさわしい存在を期待していた。


それなのに――


「こんなの、まるで・・・」


ユウは言葉を飲み込む。


妹の前だ。


この場で声を荒げるわけにはいかない。

でも、胸の内では悔しさとやるせなさが渦巻いていた。



「・・・姉上泣いてるの?」


ウイがそっと覗きこむ。


「泣いてないわ」


けれど、ユウの瞳の奥は、確かに光っていた。


それは、母への切ない愛と、自分ではどうにもできない現実への怒りだった。


「・・・仕方がないわ。上手に付き合うしかないのよ」

ユウはため息をつきながら話す。


「姉上は平気なの?」

ウイがすぐに聞く。


「さっきだって、ゴロク殿、歩きながら手が震えてたわ。そんな人が母上の隣に立つなんて・・・」


「もちろん、平気じゃない」

ユウははっきり言った。


ウイが言葉を止めた。


ユウの言葉の奥に、怒りと憤りが含まれていたからだ。


「・・・でも、母上はもっと辛いはずよ」

ユウは膝の上で指を重ね、そっと言葉を選んだ。


「母上は、父上のことを今も大切に思ってる。わかってるわ。

でも、それでも――再婚という道を選んだの。私たちのために」


沈黙が落ちた。


「母上は頑張ってる。だから、私も大人にならなくていけないわ・・・」

自分に言い聞かせるように、ユウはつぶやいた。


ーーでも、本当は嫌だ。母上はあんな風に笑うべきじゃない。


心の奥の小さな声が、まだ静かに揺れていた。


「・・・姉上、かっこいい」


ユウは、目を伏せ、苦笑いを浮かべた。


胸の奥には言いたいことがたくさんある。


けれど、自分は長女。


感情を抑えて、妹たちの前では模範となるように努めなければいけない。


「でも、少しずつ慣れていくしかない。きっと、あの人も悪い人じゃない。・・・たぶんね」


控室の静けさに、三姉妹の吐息が溶けていく。


それはまだ幼い少女たちが、大人の理不尽に少しずつ慣れていく、その始まりだった。






ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

最初は政略結婚から始まったシリの物語ですが、今では娘たちや周囲の人々の視点も加わり、小さな世界が少しずつ広がってきたように感じます。


今回のエピソードは、娘たちの視点から見た「美しすぎる母と、受け入れきれない再婚相手」がテーマです。

シリの静かな決意と、それを見つめる子どもたちの胸の痛み――これは、雨日自身が書きながらも胸が詰まる思いをしたシーンです。


物語は、まだ続いていきます。

小さな傷が癒えるまでの時間、そしてそれぞれが選び取っていく未来を、これからも静かに描いていけたらと思います。


どうかこれからも、見守っていただけますように。

次回も、心を込めて書きます。

 

次回ーー

シズル領の浴室。香草の湯に浸かりながら、シリは小さくつぶやいた。


「・・・やっぱり、嫌だわ」


今夜は初夜。

娘の前では決して言えない弱音を、エマだけに打ち明ける。


豪奢な寝室、整えられた寝台。

けれど待っているのは、愛ではなく務めだった。


明日の20時20分 「初夜という名の務め」


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この小説の前の話し。 おかげさまで10万PV達成

兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。


▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/

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