祝福という名の戦場
「――母上!」
扉が開いた瞬間、真っ先に声を上げたのはウイだった。
青いドレスを見に纏ったシリが静かに立っていた。
そのドレスは、彼女の瞳と同じ、深く澄んだ青。
裾には銀の花が舞い、柔らかな生地が秋風に揺れている。
その姿を見た三姉妹は、息を呑んだようだった。
「・・・きれい」
ウイが思わずつぶやく。
両手を胸の前で組み、うっとりとその姿を見上げていた。
レイは、じっと母を見つめながら袖にすり寄った。
シリは、ふっと笑って膝を折りレイの頭をなでる。
「ありがとう、ウイ、レイどうかしら?」
「・・・うん。うん、とっても」
ウイは何かを言いかけて、ことばを飲み込んだ。
その目が、ほんの一瞬だけ、母の目元の陰りに気づいたように揺れた。
けれどすぐに笑顔に戻る。
ウイは空気を読むことができる子だった。
嫁ぎゆく母は、まるで誰かの衣を借りているようだった。
あまりにも美しく、あまりにも遠く感じた。
少し離れたところで、ユウはその様子を黙って見つめていた。
妹たちが「きれい」とはしゃぐ声が、耳の奥でひどく反響する。
ーーこれは、祝福の衣じゃない。母上は、戦っているのよ。
拳を握りしめた。
声にはしなかったが、胸の奥で何度も繰り返していた。
ユウにはわかっていた。
父を失ったあの夏、泣かない母の背中を何度も見た。
それは、決して弱さではなく、誰にも見せぬ強さだった。
婚礼衣装を着た母の指先は、微かに震えていた。
その手を握るレイは、もちろん気づいていない。
シリはそんな三人の娘たちを見つめながら、ゆっくりと立ち上がる。
「さあ、行きましょうか。時間です」
その声には、母としての静けさが宿っていた。
けれど、ユウだけは知っていた。
そのドレスの下に、女としての苦さと覚悟が隠されていることを。
そして、妹たちはまだ知らない。
「美しい」という言葉が、どれほど人を縛るものなのかを――。
◇
婚礼の場。
青いドレスの袖を引いて、ゆっくりと歩んでくる女。
祭壇に佇むゴロクは誰が見ても緊張している。
凛とした背筋、伏し目がちな睫毛の陰、無駄のない歩幅。
装束の青が彼女の気品を際立たせている。
ゴロクは、その姿を見つめたまま、静かに息を呑んだ。
心の底から、見惚れた。
政略であれ、命令であれ――
彼女がいま、自分の妻としてこの場にいる。
その事実が、にわかに現実味を帯びて胸を熱くした。
だが――
顔は誤魔化せても、瞳を見ればわかる。
シリの強い眼差しの奥に、ふと気配があった。
ーーグユウ殿か。
ゴロクは、己の中で小さくうめくようにその名を呟いた。
誰にも言わない。
言えるはずもない。
だが、男というものは、かつて愛された者の影に敏感だ。
彼女の眼差しの奥には、まだ過去の夫が宿っていた。
自分には向けられていない微笑。
そのことを、ゴロクは悟ってしまった。
それでも、思ってしまう。
ーー私の方に・・・向かせたい
それは若者の恋ではない。
妻に先立たれ、戦場に生きてきた六十路の男が抱えた、遅すぎた恋だった。
青いドレスをまとった女が、自分の隣に並ぶ――。
彼女の心がこちらを向く日が来るかどうかなど、わからない。
だが、振り向かせたいと思ってしまった。
この歳になって、そんなことを願ってしまった。
◇
ゴロクの元に歩みながら、シリは深い悲しみを胸に秘めていた。
グユウとの日々が胸によみがえる。
微笑み、語り合い、やがて別れたあの夏の日。
シリはまぶたを閉じた。
涙は、もう流さないと決めたはずだった。
ーーこれは政略結婚。家を守るため、娘たちを守るためのもの。
目を開けば、隣にはゴロクがいる。
威厳はある。
だが、年老いたその横顔にときめきはなかった。
ーーこれからは・・・この人と一緒に歩むのだ。
グユウと比べてしまう自分がいる。
そのことに、自己嫌悪を覚える。
けれど、ふと視線を感じて、ちらりと横を見ると――
ゴロクは、シリのことをまっすぐに見ていた。
驚くほど真摯なまなざし。
色気でも情熱でもなく、まるで信仰のような、静かな眼差しだった。
ーーこの人は私に恋をしているのではない。私の背負っているものすべてを受け入れようとしているのだ。
シリは少しだけ、唇の端を上げた。
笑顔というには遠いけれど、自分にできる精一杯の微笑み。
夢や希望を抱くような結婚ではない。
そんな想いは、9年前に捨てた。
けれど、失うばかりだった人生のなかで、
受け入れることを選ぶ強さがある。
どんな未来が待っているのかは、まだ知らない。
けれど今、私はこの場所に立っている。
次回ーー
ノルド城で行われた婚礼。
青のドレスを纏ったシリの美しさに、人々は息を呑んだ。
だが、その隣に立つゴロクの老いた姿は、どうしても釣り合わない。
三姉妹は胸の奥で、言葉にできない痛みを覚えていた。
ーー母上は、もっとふさわしい人と並ぶべきだったのに。
明日の20時20分 失望
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このお話は続編です。前編はこちら お陰様で10万PV突破
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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