あなたを埋めるために、私は来た
あくる日、シリは早くに起きた。
窓をそっと眺める。
9年前は、その窓からはレーク城が見えた。
今は見えない。
ただ、草が生い茂る小高い山だった。
レーク城は数年前に、キヨの新たな城を築くために取り壊された。
「シリ様、乗馬服はどれにします」
エマが声をかける。
シリは乗馬服を3着あった。
それは女性としては珍しいことだった。
2着はゼンシが送ったもの。
もう1着はグユウがプレゼントをしたものだった。
「グユウさんからもらった服が良いわ」
ためらいなく、シリはそう答えた。
エマは、そうなることが事前にわかっていたようで、
すぐに取り出した。
紺色の乗馬服は色褪せていた。
りんごの花の刺繍が裾に控えめにしてる。
少し色褪せたその布地を、シリは懐かしそうに手に取った。
シリは金色に輝く髪をキリリと一つに縛り、
玄関から出ると軽快な日光を全身に浴びる。
もう、すでにカツイとマナトが馬の準備をしていた。
「行きましょうか」
カツイがフニャリと独特な笑顔を見せる。
「どこに行くの?」
馬に乗りながら、シリの黄金の髪の毛は陽を弾くように踊る。
「すぐに着きます」
カツイの言葉どうり、5分ほどで目的地に着いた。
何もない草の原にしか見えない。
「ここは・・・」
マナトの瞳が揺らめく。
「はい。ボイル家の屋敷跡です」
カツイは目を伏せながら話す。
そして、シリとマナトに優しい目で話す。
「ここでグユウ様とジムは亡くなりました」
思いがけない言葉に、シリの背筋が凍る。
シリはジムの屋敷の場所を知らなかった。
ここが・・・
ここがグユウが果てた場所。
風が凪いでいた。
屋敷の跡地は朽木で囲まれている。
カツイは目の前の大きな岩を指差した。
「グユウ様の首はここに置いてありました」
驚いたように顔を上げたシリに、カツイは優しく話す。
「推測ですが・・・グユウ様は自分の首を早く見つけてほしかったのだと思います。
我々・・・家臣やシリ様を助けるためにも」
「その首を運んだのは・・・」
マナトの声も震えていた。
「ジムです。グユウ様が指示をしたはずです。・・・辛かったでしょうね」
カツイは涙を堪えるように大きく息を吸った。
シリはその岩の前で膝が崩れた。
グユウが、全てを悟り、全てを背負って、命を絶った場所。
どんな想いでここにいたのだろうか。
最後の夜に『終わりたくない』とグユウは泣きそうな声で感情の雫をこぼした。
それは死を選ぶ者の声ではなかったはずなのに。
彼は――すべてをわかっていたのだ。
自分の死で、誰かを守れることを。
「グユウさん・・・」
声は自ずと震えた。
この地に、まだグユウのぬくもりが残っている気がして――
抱きしめるように岩を抱えて、嗚咽を漏らす。
指先が、苔むした縁側をなぞる。
血を流しながら、静かに目を閉じたと伝えられるその岩。
グユウさん
グユウさん!!
シリは何度もその名を呼ぶ。
逢いたい。
逢いたい。
・・・逢えない。
泣き崩れるシリ、そして、静かに涙を流すマナトの顔を見ながら、カツイは優しく佇んでいた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
「そろそろ・・・宿に戻らないといけません」
名残惜しそうにマナトが話す。
シリは岩に伏せっていた顔を上げた。
どうしても・・・どうしても行きたい場所があった。
「りんごの木が見たい」
シリがそっとつぶやく。
「りんごの木?」
マナトが不思議そうな顔をする。
「行きましょうか。そう遠くないです」
カツイが静かに話した。
場所はわかっている。
グユウと初めて一緒に出かけ、恋に落ちた場所。
その時から・・・もう14年も経っている。
手綱を握る手は細くとも、そこには迷いがなかった。
馬の気を逸らすこともなく、一定の速さで、静かに、しかし確かに前を見据える。
カツイとマナトは遠巻きにその背を見守ってくれる。
シリに追いつこうとはしない。
「風が、やさしい・・・」
シリがつぶやいた。
かつてグユウと共にこの道を駆けた日々。
あの頃の笑い声が、ふと耳の奥に蘇る。
昔は・・・シリの後ろにカツイとジムがいて。
隣にグユウがいた。
ひとり、馬に乗り、過ぎた時間を追いかけるように走る。
目の奥に滲んだ涙を、風がさらっていく。
寂しさに胸が疼く。
曲がり角を曲がると、りんごの木々が見えた。
鬱蒼と生い茂る葉の中に、小さな青いりんごの実がちらほらと見える。
今から14年前、結婚したばかりの頃、グユウと初めて出かけたのはこの場所だった。
恋に落ちる。
そんな言葉があるけれど、おとぎ話の世界の話だと思っていた。
家と家を繋ぐ政略結婚では無味乾燥した日々を過ごすだけ。
嫁ぐ前のシリはそう思っていた。
けれど、この場所でシリはグユウと恋に落ちた。
結婚してから恋が始まることもある。
春が来るたびに、2人でりんごの花を見た。
その5年間は、シリとグユウを取り囲む戦況は悪くなっていく一方だった。
・・・それでも幸せだった。
満開の白いりんごの下でグユウがシリを優しく見つめてくれた。
『シリ』
低くて落ち着いてかすれた甘い声で名前を呼んで、
黒く美しい切れ長の瞳は、見つめ合うと凪いだ瞳が水面のように煌めいていた。
シリは黙って、りんごの木の下に膝をつく。
端正な顔をしたグユウが不器用に『美しい』と口にした場所。
このりんごの木の下で、グユウを見つめ、想いをささやき、唇を重ねた。
シリは、木の根元の土を少しだけ掘り返した。
土はそれほど硬くない。
深く掘る必要がないから、10センチ程度掘って、土まみれになった手を払う。
「何を・・・されているのですか」
カツイが戸惑いながら質問をした。
シリは震える手で左手の薬指から指輪を抜いた。
結婚して5年。
グユウを失って9年。
ずっとシリの左手の薬指にはめてあった。
その指輪を、りんごの木の根元に優しく埋める。
「いつまでも・・・していたらダメよね」
手元に置いておけば未練が残るから、こうして埋めるのだ。
「グユウさん・・・許して・・・」
シリは思わず口にする。
グユウ以外の誰にも触れてほしくなかったのに。
「また嫁ぐの・・・」
シリの呟きにマナトは切なさそうに顔を歪めた。
「忘れた日は・・・1日もなかったわ」
涙が頬を伝い、手の甲を濡らした。
あの日と同じ風が、そっとシリの髪を揺らした。
それは、まるでグユウが彼女の頬に手を添えているようで――
できれば、ずっとここにいたい。
でも、できない。
シリは名残惜しそうに立ち上がり、りんごの木を振り返った。
「行きましょう」
風がシリの背をそっと押した。
今日の原稿は書きながら泣いていました・・・
次回ーー
別れの朝、母娘を送り出すカツイ。
シリが向かうのは、愛ではなく義務の婚礼。
果たして彼女を待つのは、安寧か、それとも新たな苦難か――。
明日の20時20分 「再会」
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テンプレ0の処女作
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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