母の婚礼 父の記憶と共に
子供部屋に戻るなり、ウイは悲痛な声を上げた。
「信じられないわ・・・母上が再婚をするなんて」
頭を振りながら嘆く。
「どうして・・・どうして母上は、ゴロクさんのところへ嫁がれるの?父上のことを想っているのに・・・」
嗚咽混じりに膝に顔を伏せる。
レイはその様子をじっと眺めていた。
末っ子のレイにとって、父グユウは物心つく前にこの世を去っていた。
父の顔は記憶にない。
けれど、姉たちがこうして取り乱す姿を見れば、
母の再婚がどれほど重い意味を持つのかは、なんとなく察せられた。
少し離れたところで、静かに座っていたユウが絞り出すような声で口を開いた。
「母上は・・・私達以上に辛いはずだわ」
ウイはしゃくり上げながらうなずいた。
ユウはそっと隣に座り、ウイの背に手を添えた。
「母上は・・・父上を忘れたわけではないわ。
忘れたふりをして生きていくと・・・決めたのだと思う」
「でも・・・でも、そんなの・・・寂しい・・・っ!」
ウイは駄々をこねる子供のように泣き続ける。
ユウは黙って背中をさすった。
父と母の様子を思い出していた。
ーー昔の母は、今より勝気で、その瞳は青く美しく輝いていた。
その母を、父は優しげに見守っていた。
父と母が交わす視線は、想いあったものだった。
「生きていかないと・・・生きていかないといけない。
母上が選んだ道は間違ってないのよ」
ユウの瞳は、少しだけ涙がにじむ。
ウイとレイは、ユウの顔を見つめた。
「母上だけはないの。
私たちはーー父上の記憶を背負って生きていくのよ」
ウイは、そっとユウの胸に顔を埋めた。
レイは、黙って立ち上がりユウの背中にもたれた。
「姉上・・・やっぱり姉上は強い」
ウイが涙ながらに呟き、レイは静かにうなずいた。
波乱に満ちた午前中だった。
午後になると、ユウは中庭の隅にひっそりと座り込み、深いため息をついた。
その隣にはシュリが静かに立っている。
「ベンチに座らないのですか」
シュリは控えめに声をかける。
「ここで良いのよ」
ユウは膝に顎をのせたまま、ゆっくりと首を振った。
チラッとシュリを見て、草葉をポンポンと叩いた。
座れという合図だった。
「シュリ、どうしても納得できないの」
ユウは目を閉じ、強い言葉を吐き出す。
シュリは黙ってうなずいた。
ユウは、シリの再婚に対して複雑な想いを抱えている。
それは、妹達には言えないことだった。
「あんな年寄りが・・・母上の相手だなんて!!ふさわしくないわ!」
シュリは穏やかな目でユウを見つめる。
ユウの心情を理解しているからこそ、何も言わずに黙って隣に座っている。
「私は・・・怖い」
ユウの瞳は揺れていた。
「母上は・・・争いのために嫁ぐわ・・・」
『そんなことないです』
シュリはそう言えなかった。
シュドリー城の混沌とした雰囲気を見ればわかる。
キヨとゴロクの派閥ができている。
モザ家は分断し始めている。
「もし・・・ゴロク殿が争いに負けたら母上は死んでしまうの?」
ユウはつぶやいた。
「そんなことは・・・」
シュリは返事を言おうとしたけれど、言葉に詰まった。
「生き残ったとしても・・・また再婚させられるのかしら。
辛いわ・・・好いてもない人に身体を触れられるなんて」
ユウは手のひらをギュッと握った。
その眼差しは、ただ母の再婚に反発しているのではなかった。
ミンスタ領のこれから、そして――自分自身の未来をも見据えていた。
ーー相変わらず、聡い子だ。
その聡さが・・・生きにくさの理由でもある。
ユウ様が男に生まれていたら、きっと・・・。
シュリは、そっと目を伏せた。
誰にも見せたことのない、密やかな表情でユウを見つめる。
――立派な領主になっていたはずだ。
それでも、いま目の前にいるのは「嫁がねばならぬ」少女。
「どうして、どうして・・・!女ばかりがこんなに辛い目にあうの?」
細い肩が震えていた。
「シリ様は・・・望まぬ道を静かに受け入れる強い方です」
それが、いまの自分に言える――精一杯の慰めだった。
「私も・・・いつかそうなる日が来るだろう」
ユウが話す声は震え、頬を伝う涙は、怒りと悔しさが混ざり合った色をしていた。
シュリは黙って頷く。
泣いている顔など、見られたくない。
それを知っているからこそ、気づかぬふりを貫いた
ユウの横顔を見つめながら、
シュリの胸にはどうしようもない痛みが走っていた。
――この方も、いつかどこかの領主のもとに嫁ぐのだろう。
そして、自分は・・・何者でもない。
乳母子にすぎない、ただの男。
わきまえろ。身分を、立場を、想いを。
それでも、ユウを見るたびに心が浮き上がる。
いけない、と沈めても、また浮かんでくる。
「ユウ様」
その名を呼ぶ声に、揺れはなかった。
ユウが顔を上げる。
シュリの瞳はまっすぐにユウを見つめて
「乱れる気持ちは当然のこと。私の前では・・・怒って、泣いて、叫んでください」
その言葉は、主従の距離をわきまえながらも、どこか懇願に近かった。
ユウは、しばらく黙ってその手を見つめた。
指先が少し震えている。
「シュリ、私は大人なのよ。長女なのよ。泣いたりするなんて・・・みっともないわ」
そのユウの声は、いつもより少し高く、少し硬い。
他の誰にもわからないけれど、長い付き合いのシュリはわかる。
ユウは、少しだけ甘えたいのだ。
「わかっています。ユウ様は大人ですから」
穏やかで優しい声。
それがユウの胸にじわりと広がる。
「そうよ」
ユウはキッと睨んだ後に、シュリの手に自らの指先を重ねた。
シュリは、その手をそっと包む。
触れ合うその手に、シュリは静かに自分の想いを封じ込める。
ーーただの家臣でいい。
ただ、そばにいさせてほしい。
「嫁いでも・・・シュリは私のそばにいてくれるの?」
ユウはかすかにつぶやいた。
その一言に、胸が締めつけられた。
「もちろんです」
その手の温かさに、ユウの頬から、また一筋の涙が溢れた。
けれどそれは、さっきまでとは少し違った色をしていた。
ーー女の自分は運命に逆らうことができない。
自分も母のように、その道を歩むだろう。
母のように強くなれるか・・・自信はない。
けれど・・・隣にシュリがいてくれたら・・・心強い。
ーー次回
ワスト領・キヨの城書斎。杯を傾けながら、キヨは震える声で告げる——「半月でシリは嫁ぐ」。
悔恨と執着が渦巻くその胸中は、やがて城を揺るがす波となる。
勝利の影に潜む欲望が、――誰かの運命を壊しにかかる。
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前作のご案内
この物語は、完結済『秘密を抱えた政略結婚』の続編です。
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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