忘れないまま生きていく
「母上、お話って・・・」
翌朝、シリは3人の娘を私室に呼び寄せた。
ユウとウイは椅子に腰を下ろしながらも、その表情には明らかな緊張が滲んでいた。
昨日の重臣会議で、自分たちの運命が決まったことを、うすうす察していたのだ。
ただ一人、末っ子のレイだけが、いつもと変わらぬ無表情を浮かべていた。
シリは3人の顔をしっかりと見つめ、静かに言った。
「私はシズル領 領主のゴロク・クニの元に嫁ぎます」
背後には、今は亡き夫の木像が静かに見守っていた。
娘たちはすぐには言葉を返さなかった。
その意味を理解するまで、数拍の沈黙が流れた。
「嫁ぐ・・・?」
ユウがようやく、かすれた声を絞り出した。
シリは淡々と状況を説明した。
⚪︎今、シュドリー城では重臣内で対立があること
⚪︎対立とは、仇を殺したキヨと昔からの重臣ゴロクとの家督を巡る衝突であること
⚪︎重臣会議でシリがゴロクと結婚することが決まったこと
「それでは・・・ゴロク殿の力になるために、母上は嫁ぐのですか?」
ユウが声を震わせながら問う。
「そうです」
シリの迷いのない返事に、子供達の空気が揺れた。
「あの人・・・おじいさんだよ」
ウイが恐る恐る口にする。
「そうですね。ずいぶんと年上です」
シリはかすかに笑った。
子供達は信じられない思いで母を見た。
特にウイは、仲睦まじかった父と母の姿をはっきりと覚えている。
美しい母は、子供達にとって自慢だった。
そして、ハンサムだった父のことも覚えていた。
その母が、別の男と――それも老人と――再び結婚するという現実は、容易に受け入れられなかった。
「母上は・・・父上のことはお忘れになったのですか」
末っ子のレイが口を開いた。
レイは無表情を崩さなかったが、
瞳は熱心でそれでいて内気な訴えるような何かがあった。
その瞳は・・・亡くなったグユウそっくりだった。
ここでシリを纏う空気は大きく揺らいだ。
シリは飢えたような表情で、レイの瞳をじっと見つめた。
「忘れられるものなら、どれほど楽でしょうね。
けれど・・・忘れないまま、生きてゆかねばならないのです」
声は穏やかだったが、その言葉には芯があった。
「どうして!!」
ユウは声高く言ってしまう。
「それは兄上の妹として生まれたからです。
家のため、領のため、そしてあなたたちの未来のため。私には選べないの」
その言葉には、重く、悲しい説得力があった。
子供達は何も言えなかった。
そのような教育は、昔からされていた。
母は自分の気持ちを捨てて、再びモザ家のために嫁がねばならないのだ。
「父上を想う気持ちは・・・ゴロクさんは知っているのですか?」
ユウが恐々質問をした。
こんな質問・・・ユウしかできない。
言いにくいことを質問をする姉に、ウイは心の中で感謝した。
「知らない方が・・・優しいでしょう?」
シリは微笑みながら目を伏せた。
子供達は黙ってしまった。
これからは想う人がいても、
その人の名を口にすることすら許されない。
責任がある立場で生まれたのなら、望む相手を選ぶ自由などないのだ。
「婚礼は1ヶ月後です。この城を出てシズル領で暮らします。準備をするように」
シリはそう告げた。
その背後で、乳母とシュリが静かに立ち、一礼する。
再婚後も、娘たちを支える覚悟の証だった。
子供達が帰った後、シリは長いため息をついた。
年頃の子供達に、再婚の報告は言いにくいことだった。
どんな言葉が返ってくるのか、正直なところ、怖かった。
「シリ様、お疲れ様でした」
エマがカモミールティーを出してくれた。
淡い花の香りが、ふわりと立ちのぼる。
両手でカップを包み込み、一口飲んだ。
温かい液体が喉を通っていくのを感じながら、
シリは、自分の手の震えを自覚した。
「・・・ようやく言えたわ」
「はい」
エマは切なさそうに目を潤ませた。
「レイの言葉が・・・辛かった」
グユウの面影を宿す娘の瞳が、胸に突き刺さる
「レイ様は・・・グユウ様の記憶がないですから・・・」
エマが慰めるように伝える。
「婚礼の準備を進めないと・・・」
シリは沈みがちな表情で話した。
「あと、1ヶ月ではどんなに頑張ってもウェディングドレスは無理です」
エマが話す。
「ウェディングドレスは作らなくても大丈夫よ」
婚礼衣装はお金がかかる。
気持ちに余裕がないマサシとモザ家に、これ以上負担はかけられない。
「けれど・・・!」
エマは納得できない表情で話す。
「ワスト領に嫁いだ時のものを着るわ。あれは上等なドレスよ。
2回しか着てないし・・・それで間に合わせるわ」
シリが話す。
「はい・・・」
婚礼まで時間がないのは、怖いものでもあり、その反面助かることだった。
忙しければ、忙しいほど考える時間が短い。
自分の気持ちを押し殺して、忙しさに身を委ねよう。
・・・そうすれば・・・辛くない。
次回ーー
母の再婚を告げられ、ユウ・ウイ・レイはそれぞれの胸に重い思いを抱えていた。
「どうして女ばかりが、こんなに辛い目にあうの…」
涙に震えるユウを、シュリはただ静かに受け止める。
ーー嫁ぐ日が来ても、私はそばにいます。
その誓いは、少女の心にわずかな光をともした。
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前作のご案内
この物語は、完結済『秘密を抱えた政略結婚』の続編です。
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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