憎しみと気配の狭間で
「そこのカーテンに隠れなさい」
シリは子どもたちに、廊下にある分厚い緑色のカーテンへ隠れるよう命じた。
ウイとレイは左側へ、ユウとシュリは右側へと素早く身を潜めた。
やがてキヨと、その弟エルが廊下の曲がり角を曲がってくる。
目の前に立つシリの姿を見て、キヨは一瞬、時が止まったように足を止めた。
暗い廊下で、シリだけが光り輝いているように感じられ、全身が強烈に引き寄せられた。
「シ…シリ様!」
嬉しさがにじみ出た声は、裏返ってしまっていた。
「キヨ・・・」
その顔を見た瞬間、シリの胸に渦巻いたのは、苛立ちと憎しみだった。
この小男が、自分の人生を狂わせた元凶。
エマがそっと袖を引く。
深く息を吸い込み、感情を抑える。
モザ家の娘として、この場では礼を述べねばならない。
「勝利、おめでとうございます」
その言葉の中に、感謝の色はひとかけらもなかった。
「シリ様からのお褒めの言葉、身に余る光栄です!」
キヨは上目遣いでシリを見つめ、つぶらな瞳を瞬かせた。
その裏にあるシリの怒りや皮肉には、まるで気づかない。
隣に立つエルは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「憎きビルを倒しました。ゼンシ様を亡くされてお寂しいシリ様のため、私、頑張りました!」
キヨは調子よくしゃべり続けたが、シリの表情は冷めきっていた。
一方、カーテンの裏では——
密着するほどの狭さに、シュリは動揺していた。
ユウとの距離が近すぎる。
息遣いさえ聞こえ、首筋にかすめる吐息がくすぐったい。
カーテン越しの微かな光が、ユウの横顔を浮かび上がらせる。
その顔には、憎しみが宿っていた。
ユウは廊下を見つめている。
シュリもそっと隙間から覗く。
そこにはキヨがいた。
小柄で、痩せていて、髪は薄く、まるでハゲネズミ。
笑顔を浮かべながらも、シリを盗み見る目は、獲物を狙う猛禽のようだった。
この男・・・グユウ様を、そしてシンを、串刺しに――。
シュリの胸の奥に、言いようのない苦しみが押し寄せる。
傍のユウも拳を握りしめ、肩に力がこもっていた。
そっと手を添える。
辛いのは自分だけじゃない。
そう伝えたくて。
ユウが振り向く。
その目が、シュリの瞳を見つめ、切なげに揺れた。
目が合った。
それだけのことで、胸がざわめいた。
狭い、暑い、息が苦しい。
でも、沈黙の中に流れるのは、互いを思いやる静かな気配だった。
——
「それでは・・・」
キヨがにこやかに頭を下げ、シリの横を通り過ぎようとする。
「待ちなさい」
シリの声は氷のように冷たかった。
「どこへ行くの?」
顎を少し上げ、鋭い目でキヨを見据える。
「どこへ・・・とは?」
キヨは笑顔を保ちながら応じた。
「その奥はユナの私室よ。彼女に何の用があるの?」
その問いかけは、まっすぐ心の核心を突いていた。
「ご報告です。タダシ様の奥様に、勝利の報せをと思いまして」
相変わらず笑顔を崩さないキヨに、シリは今度はエルを見つめる。
エルは視線を逸らした。
「挨拶なら客間で良いのでは? 私室へ入る必要があるの?」
「サトシ様にもお会いしたくて。ほら、こんなおもちゃも…」
キヨは包みを広げた。
色とりどりのおもちゃ。
普通の母親なら、喜ぶだろう。
だが、シリは表情を崩さない。
見透かすようなまなざしで、2人を見据える。
「何を企んでいるの?」
その一言に、エルは動揺を隠せず、キヨは微笑んだまま。
「なにも。ご報告とご挨拶にすぎませんよ」
言葉巧みにかわして、キヨは足早にその場を去っていった。
シリの瞳は、その背を見送りながら、凍てついたままだった。
——
「兄者、まずいですよ。シリ様、勘づいてます」
廊下を離れながら、エルが囁く。
「聡い女だ。そこがまた魅力的だなあ」
キヨは楽しそうに言った。
「兄者、そういう問題じゃ…」
エルは困ったように眉を寄せた。
——
やがて、シリは振り返ってカーテンに向かって声をかけた。
「もう出てきて大丈夫よ」
「暑かった…」
ウイとレイが汗だくでカーテンから現れた。
ユウとシュリも、少し頬を赤らめながら出てくる。
暑さのせいだろうか――
「・・・あの男が、キヨ」
ユウがつぶやく。
「そうです」
シリは、それ以上言葉を続けなかった。
キヨは、これからミンスタ領で力を持つ。
自分と子どもたちの運命を、その男が握るかもしれない。
そう思うと、シリの背筋に寒気が走った。
次回ーー
冷たい雨が降り続く中、ゼンシの死から二十日が過ぎた。
残された者たちは悲しみと不安を胸に、重臣会議の刻を迎える。
「後継」が定められるその場で、子らの運命も決まるのか。
雨音の向こうに響くのは――新たな波乱の始まりだった。
明日の20時20分 継がれる名 削られる心




