決断の城
「兄上の首は、まだ見つかっていないの?」
静かな声で問いかけたシリに、重臣トムは顔を曇らせて首を横に振った。
「はい。首どころか・・・骨の一片すら見つかっておりません」
ゼンシが消息を絶って、すでに10日。
戦況は未だ混迷を極め、首都ミヤビから届く報告が現実と判明するたび、
シュドリー城は騒然とした空気に包まれていた。
ゼンシの妻は今も床に臥し、回復の兆しはない。
そして、シリは否応なく家臣たちの指揮を執る立場に立たされていた。
「もしや・・・ゼンシ様が生きておられるのでは」
トムの頬に、わずかな期待が紅をさす。
「それはないわ」
シリは静かにかぶりを振った。
「ビルは一万の兵を率いていた。兄上の手勢はわずか50名。
たとえ兄上でも、あの状況では・・・」
「・・・そうですね」
トムの肩が落ちた。
「それでも、ビルは必死になって兄上の遺体を探しているはずよ」
ゼンシの死を証明できなければ、謀反の正当性が揺らぐからだ。
「もしかすると、兄上は最期を悟って、遺体の処理を命じたのかもしれないわね」
シリは思わず口にする。
――それが事実なら、見事な領主だった。
憎くて仕方のなかった兄。
それでも、その死に様に心を打たれざるを得なかった。
「ご指示通り、食糧庫には三年分の備蓄を整えました」
トムの報告に、シリは目を見開いた。
「さすがモザ家・・・短期間で、そこまで」
シリの称賛に、トムは誇らしげに頭を下げる。
「後は・・・戦の行方次第ね」
シリは窓の外に目をやり、深く息を吐いた。
しばらくして、予想もしない報せが届いた。
「キヨが・・・ビルを討った、ですって?」
「はい。キヨ殿が、討ち果たしたとのことです」
報せを持ってきたトムの表情には、困惑が滲んでいた。
「・・・あのキヨが? どうやって? 南領から戻ったばかりだったはずでは?」
「ほとんど眠らずに戦い抜いたとか」
「信じられない・・・」
シリは腕を組み、眉を寄せた。
誰もが、ゼンシの仇は次男マサシか、重臣ゴロクが討つものと思っていた。
あの、媚びた物腰に、ハゲねずみのような風貌のキヨが・・・勝った?
彼女は、心からキヨが嫌いだった。
夫と義理の息子を死に追いやったその男が、今や英雄となるとは。
だが、彼の活躍によって城は救われたのだ。
「これでキヨは、ミンスタ領で発言力を持つわ」
シリは誰ともなく呟き、重いため息をついた。
「サトシ、こっちよ!」
ウイが笑顔で、タダシの遺児・サトシを抱き上げる。
金髪に青い瞳を持つ、美しい2歳の男児だった。
その頬を、レイが無表情でつつく。
シリと子供たちは、タダシの未亡人ユナの部屋を訪れていた。
「この子が・・・私の心の支えです」
ユナはドレスの裾をぎゅっと握りしめた。
「・・・その気持ち、わかるわ」
それ以上の言葉が見つからなかった。
慰めの言葉は、時に人を深く傷つける。
シリはそれをよく知っていた。だから、ただ寄り添うことに徹した。
「これから私たちは、どうなるのでしょう」
ユナの声は震えていた。
ゼンシも、タダシも死んだ今、未来は不透明だった。
「・・・女はいつも、男の運命に翻弄される。なぜなの?」
シリの声には怒りがにじんでいた。
この時代、女は己の意志で未来を選べない。
「・・・そうですね」
ユナは、戸惑ったように彼女を見た。
そんな怒りを抱く女性は稀だった。
黙って紅茶を飲むユウは、母の気持ちを感じ取っていた。
まだ子供だが、女の苦しみが少しずつ理解できる年齢だった。
部屋を出た後、廊下を歩く途中、ユウが意を決して尋ねる。
「母上、私たちはこれからどうなるの?」
シリは足を止め、振り返った。
不安げな3人の娘たちが、じっと彼女を見つめていた。
「母にも、わかりません」
静かな声だった。
「兄上を失うということは、モザ家にとって大きな痛手です。
これからの運命は・・・誰かが決めるでしょう」
その言葉の後、シリは唇を噛んだ。
「私は嫌! 自分の運命を他人に決めさせたくない!」
ユウの叫びが、廊下に響いた。
ウイは驚いたように姉を見た。
そんなこと、考えたこともなかった。
「母も、そう思っています」
シリの言葉に、ウイとレイはさらに困惑した。
そのとき、エマが低い声で諭すように言う。
「シリ様・・・」
決然としたエマの顔に、シリは小さなため息を漏らした。
私は偏っているのかもしれない・・・。
――けれど、それでも譲れない。
「どんな結果になるかしらね・・・」
ぽつりと呟き、曲がり角を曲がると、前方に人影が現れた。
軽やかな足取り。縮こまった姿勢。
それは――キヨだった。
瞬時に視線を子供たちへ向けたシリは、鋭く命じた。
「――そこのカーテンに隠れなさい」
廊下に垂れ下がる、重たい緑のカーテンを指差す。
子供たちをキヨの目から隠したかった。
特に――自分に瓜二つのユウだけは、絶対に。
次回ーー
「そこのカーテンに隠れなさい」
シリの声に、子どもたちは緑の幕へと身を潜めた。
廊下に現れたのは、憎きキヨと弟エル。
氷のような視線でシリが問い詰める――「何を企んでいるの?」
明日の20時20分 キヨ・・・こんな所で何をしているの?
◇登場人物◇
シリ
ミンスタ領の元妃。兄ゼンシの死後、混乱する領内の采配を任される。
女であるがゆえに運命を縛られる理不尽に抗い、
「自分の人生を自分で選びたい」と強く願う。
ゼンシ
ミンスタ領の領主。戦の末に消息を絶つ。
その死が、領地の権力構造を大きく揺るがす。
キヨ
ワスト領の領主。戦後、ゼンシの仇ビルを討ち取り、一躍英雄に。
かつてシリの夫を死に追いやった男でもあり、
彼の再登場が新たな緊張を呼び起こす。
トム
ミンスタ領の重臣。誠実で有能。
ユナ
ゼンシの長男タダシの未亡人。若くして夫を失い、
幼子サトシを抱えて悲しみに暮れている。
サトシ
タダシとユナの息子。金髪と青い瞳を持つ幼児。
亡き父の面影を残す存在として、周囲に希望と痛みをもたらす。
ユウ・ウイ・レイ
シリの三姉妹。母の言葉を胸に、それぞれが自分の運命を模索し始める。
特に長女ユウは、母に似た強い意志を見せ始める。
エマ
シリの乳母であり、長年の側仕え。
主の激しい想いを静かに見守り、時に諭す。




