まだ、気づかないだけ
「姉上、こんなに早い時間にどうされたのですか?」
ウイは控えめに声をかけた。
「ちょっと早くに起きてしまったの」
ユウは言葉少なく答えたまま、バルコニーに佇んでいた。
ユウ、ウイ、レイが過ごす部屋には、見晴らしが良く大きなバルコニーがある。
6月とはいえ少し肌寒い朝だった。
珍しく早く起きてしまったウイは、
隣のユウのベッドが空っぽになっていたことに気づいたのだ。
東側から馬場の様子が見える。
「兵達は早朝稽古をしているのですね」
ウイは背伸びをしながら、馬場を眺める。
「ほとんどの兵が争いに行ったから、人数は少ないわ」
ユウは淡々と答える。
朝日に照らされ金色に輝く髪を、ウイは羨ましそうに見つめる。
ユウの視線の先は、馬場で稽古をしていたシュリだった。
朝日に向かってシュリは、木槍を構え、大きく振りかざす。
その腕は鍛えられ、背も前より高くなった。
「シュリがいるわ!」
ウイが無邪気に話す。
「そうね」
随分前から、シュリを目で追っていたのに。
今、初めて気がついたようにユウは返事をした。
稽古後、シュリは汗を手の甲で拭っていた。
そのシュリに女中が水を手渡していた。
遠目から見ても、可愛らしい少女だった。
「シュリはモテるのね」
ウイはくすくすと笑った。
「そうなの?」
ユウは不思議そうな顔をした。
「あの女中、シュリにしか水を渡さないわ。練習をしている兵はたくさんいるのに!」
ウイが面白そうに話す。
ユウはジッとその様子を見た。
確かに女中は、シュリのそばを離れない。
シュリは水を飲んだ後に、微笑んでコップを返している姿を見ると、
言いようがない醜い気持ちが胸に広がる。
「シュリは・・・見た目が良いの?」
ユウの質問にウイは目を見開く。
「女性に好まれる顔じゃないですか」
ウイは何を今更・・・と言わんばかりの顔で話す。
「・・・そんな事は考えたこともなかったわ」
ユウが俯いて話す。
シュリはシュリだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「シュリは、あの女中と付き合うのかしら?」
ウイが面白そうに2人を見つめる。
「どうかしら。興味はないわ」
ユウは顎をあげて返事をしたけれど、片方の目の端ではシュリを追っていた。
「恋に落ちるって、どんな感じかしら」
ウイはため息をつきながら話す。
「・・・わからないわ」
ユウはつぶやいた。
姫である自分達は、恋愛は許されない。
けれど、恋に対する憧れはある。
「侍女から聞いたわ。父上は、母上に一目惚れをしたのですって。
母上が馬車から降りて、父上の方に向かって歩いた時に恋に落ちたそうよ」
ウイはウットリしながら話す。
ユウは黙って聞いていた。
父と母は政略結婚なのに、理想の相手と巡り会えた。
それは確率の低い幸せなことだと思う。
・・・自分はどうなのだろう。
「姉上、運命の人に出逢えたらわかるのかしら?」
ウイは夢見るような目で宙を見つめる。
「たぶん・・・いつかね。本当の人が現れたら」
ユウはウイの顔を見ながら微笑んだ。
「本当の人が現れた時に、どうしてそれがわかるの?」
「あら。わかるわよ。何かしらわかるはずよ」
ユウはチラッと馬場を一瞥した。
けれど、その“本当”を見極めるには、
まず自分が、誰かのために立つ覚悟を持たねばならない。
シュリと女中は、まだ話している。
この胸のモヤモヤは、
お気に入りのおもちゃを取られた子供じみた感情だ。
ユウは目を伏せたまま、バルコニーの手すりをそっと握りしめた。
――“本当の人”なんて、現れるのだろうか。
彼女の問いに、まだ誰も答えを持っていない。
一方そのころ、別の地でもまた、
「誰かのために生きること」を選ぼうとする青年がいた――。
◇◇
ミヤビ ゼンシとタダシがいる部屋
「無事に報告が終わった」
ゼンシがタダシの杯にワインを注いだ。
「はい」
タダシは背筋を伸ばしながら返事をした。
「今からお前がミンスタ領の領主だ」
ゼンシが杯を自分の眼前にあげた。
「はい…」
タダシの青い瞳に翳りが見える。
自分のような武力がない者が領主になれるのか。
不安がないと言ったら嘘になる。
争い中の父のような振る舞いはできない。
俯きがちで杯を受け取った。
「タダシ、お前は優しい男だ」
不意にゼンシがつぶやいた。
「え?!あ・・・はい・・・」
優しい、その言葉は領主としての褒め言葉ではない。
領主ならば、勇ましい、逞しい、強い、そんな言葉が相応しいのだろう。
「お前は争いにおいては役に立たない。優しすぎるからだ」
ゼンシは真っ直ぐにタダシを見つめる。
「はい・・・」
指摘されなくてもわかっている。
自分は領主として、今一つ決断力が欠けるのだ。
人を殺めた後は、手の震えが止まらなくなる。
次男のマサシの方が勇ましく、領主に相応しいのだ。
丸腰の自分を跡取りにした父の意図がわからない。
「けれど、これからの時代は優しい男が必要なのだ」
ゼンシは血のようなワインを一口飲んだ。
「・・・優しい男ですか」
タダシは信じられないという顔をした。
「わしはこれから、争いがない時代を作るつもりだ。
平和な世の中になったら、領主としての必要な能力は武力ではない。
他人の幸福のために頑張れる優しさなのだ」
ゼンシは淡々と話す。
タダシは、ゼンシの話していることが理解できなかった。
幼い時から、争い続けた日々しか過ごしたことがない。
平和な世の中だなんて・・・来るのだろうか?
「その優しさは・・・わしにはない」
ゼンシはふっと笑った。
そんなことないです。
・・・などと口が裂けても言えなかった。
息子の目から見ても、父には優しさのカケラもないのだ。
「領主としての能力は時代の流れによって変わるもの。
タダシの優しさが良い領主である時代が来る。
来る・・・ではなく、そうするのだ」
ゼンシは力強く話す。
「はい!父上同様、私も精一杯努めます」
タダシは力強く答えた。
ゼンシはタダシの眼差しを見て、ふっと笑ったように見えた。
タダシには夢があった。
立派な領主になって、死んだ母に会うことだった。
タダシは杯をそっと置いた。
――母上、自分は、この国を変えてみせます。
優しさで、この国を。
けれど、その願いが果たされることは、最後までなかった。
次回ーー
恋は、嵐の前に訪れる。
唇が重なりそうになった午後、
ユウは“気づいてしまった”。
そして同じ夜、ゼンシは眠りの中で、戦の気配に目を開ける──。
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前作のご案内
この物語は、完結済『秘密を抱えた政略結婚』の続編です。
兄の命で嫁がされた姫・シリと、無愛想な夫・グユウの政略結婚から始まる切なくも温かな愛の物語です。
▶︎ https://book1.adouzi.eu.org/n2799jo/
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