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母を奪った男へ――娘の怒り、男の執念

イーライを先頭に三人の娘たちは、キヨの元へと歩を進めた。


「姉上・・・」

不安そうに呟くウイ。


無言で見つめてくるレイに、ユウはそっと微笑んだ。


――それは母を思わせる眼差しだった。


妹たちの手を静かに離し、穏やかに告げる。


「・・・行きましょう」


陣の布の前で、イーライが声を張った。


「セン家の姫様方をお連れしました」


「・・・入れ」

力の抜けた声が奥から返る。


陣の奥からユウが姿を現した瞬間、空気が一変した。


ざわめいていた兵たちの声は途絶え、誰もが思わず息を呑む。


黄金に輝く髪、透きとおる青い瞳。


顎をわずかに上げて歩むその姿は、まさに亡きシリを思わせた。


長年モザ家にも仕えていた兵は、思わず声を上げた。


「・・・シリ様・・・」


あちこちから囁きが洩れ、陣全体がざわつく。


その様子を、エルだけは目を細めて凝視した。


ーー似ている。


だが、やはり違う。


身長は母を越え、背筋はさらに真っ直ぐに伸びている。


そして――あの瞳。


その瞳に宿るのは、母にはなかった苛烈さ。


美しく、しかし毒のような存在感。


多くの男を狂わせる薔薇の棘。


ユウの視線は一直線に、台座に座るキヨへと注がれていた。


そこにいるのは、貧相で萎びた小柄な男。


――あの男が。


青い瞳はますます鋭さを増し、炎を宿したように光を放つ。


母を殺し、父を死に追いやった者。


その前で頭を下げねばならぬことが、何よりの屈辱だった。


ユウの眼差しに射抜かれ、周囲の兵たちは思わず息を呑み、ざわめきを失った。


ただそこに立っているだけで、圧倒的な威圧感が陣を支配する。


――この空気を、一人の娘が変えてしまった。


エルは背筋に冷たいものを感じた。




だが、ただ一人――キヨだけは違った。


さきほどまで虚ろで、腑抜けのように見えたその目に、再び光が宿っていく。


「・・・シリ様・・・」

最初は掠れた呟きに過ぎなかった。


だが次第に頬に赤みが差し、口元に歪んだ笑みが広がる。


死んだはずの女が、若き姿で目の前に甦ったかのように。


歓喜と戦慄が入り混じり、目の奥に狂気の光が揺れる。


その感情は、恐怖と恍惚が渦を巻いた、もはや錯乱に近いものだった。


――やめろ。


エルは胸の奥で呻いた。


兵たちが恐れをなしている一方で、兄者は生き生きと蘇っていく。


亡きシリ様に執着し続けてきたその心が、いま目の前の少女に火をつけたのだ。


「・・・兄者・・・」

声をかけようとしても、唇は渇き、言葉は続かなかった。


――あの姫は危険だ。


本能がそう警告を鳴らす。


美しくも毒のような存在感。


多くの男を狂わせるであろう気配が、その身体から溢れ出ていた。


やがてイーライはキヨの前に進み出て、深く頭を下げた。


「・・・セン家の姫様方にございます」


呼びかけても、キヨは答えない。


「・・・キヨ様?」



恐る恐る顔を上げたイーライの視界に入ったのは、

恍惚とした眼差しを浮かべ、呆けたように座るキヨの姿だった。


思わず後ろを振り返る。


ウイは怯えたように身をすくめ、レイはじっとキヨを見据えている。


そして――ユウ。


その青い瞳は烈火のごとき怒りに満ち、真正面からキヨを睨みつけていた。


凄まじい迫力だった。


陣幕の空気を震わせるほどの、圧倒的な視線。


三人の娘。


だが実際に対峙していたのは――ユウとキヨ、ただ二人だった。


最初に口を開いたのはユウだった。


「母上を・・・返して!」


その言葉は陣幕を裂くように響き、兵たちは思わず膝を折りかけた。


だが、キヨは別の衝撃を受けていた。


――シリ様だ。


凛とした姿、形のよい眉、気高さを宿した横顔。


まるで若き日のシリ様が甦ったかのようだった。


胸の奥で、失った欲望が再び炎を上げる。


奪えなかったシリ様。


だが、目の前の少女なら――。


「・・・名は?」

恍惚とした表情で、キヨが問いかける。


ユウは唇を固く閉ざしたまま、答えようとしない。


その沈黙を無理と解釈し、イーライが慌てて口を挟んだ。


「セン家の長女、ユウ・セン様にございます」


「ユウ・・・」


その名を愛撫するかのように口にする声に、イーライの背筋はぞくりと震えた。


「母君に勝るとも劣らぬ・・・いや、それ以上の強さを持っておる」

熱を帯びた声が、陣幕に響く。


「その母上を・・・あなたが殺した」


ユウは唇を噛み、氷のような視線で睨み返した。


だが――キヨはその反発すら愛おしいと感じたのだろう。


満面の笑みを浮かべ、目を細める。


――まずい。


その様子を見たエルの背を、冷たい汗が伝った。


ユウを一目見た瞬間、兄の心はすでに逃れられぬ執念に絡め取られていたのだ。


場の空気を和ませるかのように、イーライが慌てて口を添えた。


「こちらが、次女のウイ・セン様」


キヨの目がウイに映る。


「・・・ウイです」


弱々しく名乗る声に、彼はしばし無言で視線を注いだ。


「そして、こちらが三女のレイ・セン様」


レイの顔を見た瞬間、キヨの表情が凍りついた。


まるで時が逆戻りしたかのように。


エルはその変化を見逃さなかった。


――驚くのも無理はない。


あの娘は、亡きグユウ様に生き写しだ。


亡きグユウ様が、少女の姿で甦ったように見えたのだ。


一瞬、兄者の胸の鼓動が止まったように見えた、とエルは思った。


だが、わずかな間ののち、キヨの視線は再びユウに吸い寄せられた。


恍惚とした表情を取り戻し、他の存在など眼中にないかのように。


「兄者」

鋭い短い声でエルが呼びかける。


その響きに我へ返ったのか、キヨは場を取り繕うように――人々の心を捉える柔らかな微笑みを浮かべた。


「案ずるな。これからは、わしがそなたらを庇護しよう」


甘やかな声音に、空気がざわめいた。


ユウは答えず、ただ氷のような視線を返す。


ウイは不安げに俯き、レイはじっと黙ってキヨを見据えていた。


――次女は従順だが、長女と三女は気が強い。


エルは冷静に三人を見極めていた。


「それでは・・・姫様方を宿へお連れいたします」

イーライの声は引きつり、張りを欠いていた。


「あぁ。ゆっくり休むがよい」

キヨは恍惚としたように微笑む。


だが、ユウは冷たい一瞥を投げかけただけで振り返らず、二人の妹を伴い、静かに陣を去っていった。


その背に漂う気高さが、かえって場に残された者たちの胸を重く締めつけた。


陣の隅にいたシュリは、不安げな眼差しで三人を見守っていた。


ユウは顎をわずかに上げ、憮然とした表情で歩いている。


その後ろを、必死な顔のウイが追い、レイは感情を消したように無表情だった。


シュリは最後にキヨへ視線を向ける。


その熱に浮かされた眼差しは、ユウの背だけを追いかけていた。


その時、サムと目が合う。


彼の表情には、不安が現実となったかのような色が浮かんでいた。


シュリは静かに頷いた。


胸の奥で、冷たい予感が形を持つ。


――これは、とんでもないことに巻き込まれていく。



三姉妹が陣を去ると、さきほどまで張り詰めていた空気が嘘のように静まり返った。


残されたのは、灰と血の臭い、そして沈黙だけ。


兵たちは互いに顔を見合わせ、誰も口を開こうとはしない。


その中で、キヨの目だけがなお燃え上がったまま、

去っていったユウの背を追い続けていた。


「・・・気の強そうな姫様方ですな」

エルがようやく口を開いた。


「それが――良い」

キヨはうっとりとした声で答え、ゆっくり立ち上がった。


ふらつく足取りで陣の隅へ歩み寄り、そこに転がっていた羊皮紙を拾い上げる。


乱暴に丸めて投げ捨てたはずのそれを、今度はまるで宝のように両手で抱きしめ、皺を丁寧に伸ばした。


図面に指を這わせ、恍惚とした笑みを浮かべる。


「エル」


「・・・はい」


呼びかけられた弟は、わずかに眉をひそめながら顔を上げた。


「新城の設計は、このままでいく」


滑らかな声でそう告げ、指先が止まったのは――広く設計された寝室だった。


誰も口を開けないまま、図面の上でだけ未来が描かれていく。


次回ーー明日の9時20分


「私は・・・母上のように強くなれるの?」

涙をこぼす彼女に、シュリは静かに寄り添う。


二人の秘密を、月と夜風と、そして偶然立ち会ったヨシノだけが知っていた。


――母を失った娘の孤独と、芽生え始めた禁断の想い。

それは、彼女を守ろうとする者すら巻き込んでいく。


完結まで、残り2話。明日、物語は終わります。

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