大人になってしまった姫
どれほどの時が経ったのだろう。
三姉妹とシュリはかたく抱き合い、なお泣き崩れていた。
城を焦がした熱い灰が、時折イーライの頬をかすめる。
「・・・お茶を」
控えめな声で、彼はユウに進言した。
涙に濡れた瞳でユウが振り返る。
その真っ直ぐな青い瞳に射抜かれ、イーライは思わず息を詰めた。
――見惚れてはならぬ。
そう思うほどに、目が離せなかった。
「お茶を淹れます。昼食も・・・簡易食ですが、何か口にされた方が・・・」
言葉はたどたどしく、しかし必死だった。
ユウは首を横に振りかけて、胸に縋るレイとウイを見つめた。
――妹たちに食べさせなくては。
深く息を吸い、再びイーライを見据える。
その瞳は、人の心を惑わす不思議な力を宿していた。
恍惚とした表情を浮かべるイーライを、シュリは黙って見つめていた。
「・・・頂くわ」
ユウは静かに答えた。
乾パンと干し肉が食卓に並べられた。
ただの保存食に過ぎないはずなのに、何も口にしていなかったせいか、ひどく美味しく感じられた。
イーライが淹れた紅茶は格別だった。
灰と熱でひび割れた喉に、温かな液体が静かに染み渡る。
「・・・お茶のお代わりは、いかがですか」
控えめな声でイーライが問う。
「頂きたいわ」
注がれたカップを口にしたユウは、驚いたように目を見開いた。
「・・・先ほどのお茶より、暖かい」
イーライはそっと目を伏せる。
「一杯目は喉の渇きを癒すために。
二杯目は、ゆっくり味わっていただくために・・・少し淹れ方を工夫しました」
「それなら、三杯目は?」
ユウはじっと彼を見つめた。
その瞳に吸い込まれるように、イーライは言葉を継いだ。
「お気持ちが癒えるように――最高の香りと味を」
差し出されたカップを受け取り、ユウはひと口飲んだ。
喉を通り過ぎる温かさに、自然と小さなため息が洩れる。
「・・・美味しい」
「ありがとうございます」
深く頭を下げたイーライの頬は、わずかに赤みを帯びていた。
――ただの気遣いではない。
そう悟ったように、シュリの瞳が彼を見つめていた。
ユウが最後の一口を飲み終えた頃、食卓の空気がほんの少し和らいでいた。
その静けさを破るように、重い足音が近づいてくる。
「・・・ただいま戻りました」
陣から戻ったサムが現れた。
煤にまみれた顔、疲れ切った肩。
彼の背後には、まだ焦げた灰が風に舞っているのが見える。
その姿に、三姉妹は言葉を失った。
イーライがすっと立ち上がり、場の空気が再び緊張に包まれる。
「・・・これから、キヨ様と面会を」
サムは言葉を濁した。
ユウの顔がサッと陰る。
「母上を殺した者のところに行くの?」
ウイの声には、悲しみと苛立ちが混じっていた。
「行きたくない!」
涙に濡れた手でユウの裾を掴む。
「母上だけではないわ」
ユウが低く呟く。
「父上も・・・シンも。おじじ様もおばば様も・・・皆、あの男に殺された」
その硬い声に、サムとイーライの肩がわずかに揺れた。
二人は何も言えなかった。
「そうよ・・・! 会いたくない!」
普段は冷静なレイの黒い瞳も、涙に覆われていた。
その様子を、シュリは胸を痛めながら見つめる。
――これから庇護される身。会いたくない気持ちは痛いほどわかる。
だが、避け続けることはできない。
隣でヨシノが何か言いたげに口を開きかけ、結局、声にはならなかった。
ーーさて、どうやってユウ様を納得させるか。
シュリが進言しようとした、その時――。
「・・・でも、面会をしないとね」
ユウの声は悔しさと諦めに満ちていた。
――本当は泣き叫びたい。
母の後を追いたいとさえ思う。
けれど、それは許されない。
妹たちを守るために、自分が大人にならなければならないのだ。
涙を必死に堪えるユウの横顔を、シュリは胸が張り裂けそうな思いで見つめていた。
ーー大人になってしまった。
かつて、あんなに感情を爆発させたユウが、全てを呑み込んで大人になろうとしている。
その姿に、サムもイーライも言葉を失った。
三人の大人の目に映るのは、少女ではなく――母に似た新しい領主の影だった。
「・・・行くわ」
ユウがスッと立ち上がった。
「馬車を用意しております」
サムが頭を下げる。
ユウに続き、渋々ながらウイとレイも跡をついていった。
馬車に乗り込む直前、ユウが少し躊躇うように振り返り、サムへ声をかけた。
「・・・シュリも、一緒に同乗させたいの」
その願いに、イーライは眉をひそめる。
――使用人を姫様方と同じ馬車に乗せるなど。
口を開きかけた彼を、サムが手で制した。
「もちろんです」
三姉妹が先に乗り込み、後からシュリが深々と頭を下げて同乗する。
馬に跨ろうとしたサムに、イーライが堪えきれず声を荒げた。
「なぜ、あの使用人を同乗させるのですか」
その声には苛立ちだけでなく、どこか戸惑いも滲んでいた。
「ユウ様のお心が安定するのなら――それは必要なことだ」
サムは淡々と答え、馬に跨がった。
だが胸の奥では、熱いものが疼いていた。
――あの方に託されたのは、この子らを守ることだ。
たとえ手段を問われようと、誓いを違えるわけにはいかない。
「けれど・・・!」
イーライはなお食い下がる。
「イーライ」
サムの声は鋭くも静かだった。
「ユウ様はこれから大きな試練に向かう。その時に、シュリが精神の支柱になるのなら・・・それでいい」
「男の乳母子が、ですか」
イーライの黒い瞳に、納得できない光が揺れる。
「ああ、そうだ」
サムは迷いなく断じた。
「早く馬に乗れ」
◇ノルド城前 キヨの本陣
「兄者・・・姫様方が到着されたようです」
エルの報告に、キヨは虚ろな瞳を宙に漂わせたまま、空返事をもらした。
「あぁ・・・」
「どうされますか」
苛立ちを隠しきれぬ声。
――シリ様の死を知ってからというもの、兄は腑抜けのようだ。
しばしの沈黙の後、キヨは力なく吐き出した。
「・・・通せ」
その声が陣幕を震わせると、空気が張り詰めた。
夕暮れの光が赤く差し込み、影を長く伸ばす。
その中を、三人の娘がゆっくりと足を運んできた。
その足取りは、亡き母の意思を継ぐように揺るぎなかった。
彼女たちが一歩、また一歩と進むたびに、
陣内の兵たちがざわめきを潜め、息を呑んだ。
先頭に立つユウの姿は、ただの少女ではなかった。
長い睫毛の影を宿す青い瞳は、燃え盛る炎を映しながらも凛として揺るがない。
母を失った悲しみを奥底に沈め、毅然と前を向いている。
春風に揺れる金の髪は光を受けて淡く輝き、
泣き腫らしたはずの頬さえ、痛ましいほど清らかだった。
――まるで、亡きシリ様が蘇ったかのようだ。
兵たちは思わず目を伏せ、ある者は祈るように手を組み、ただその姿に圧倒されていた。
ユウは気づかぬまま、妹たちの手を固く握りしめて歩み続ける。
その背に宿る影は、幼い姫ではなく――すでに一人の「領主」であった。
次回ーー
「母上を・・・返して!」
烈火のような眼差しに、陣幕の空気は一変する。
だが、その声に応えたキヨの瞳には、狂気にも似た光が宿っていた。
失ったはずの執念が、若き娘へと向けられていく。
「・・・ユウ」
甘やかに名を呼ぶその響きは、誰もが恐れた未来を告げていた。
物語は、あと3話。




