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燃え尽きぬ絆 ― セン家を継ぐ者たち

ノルド城を囲むキヨの本陣に、ノアは駆け込んだ。


燃え盛る炎が城壁を赤く染め、鬨の声が途絶えることはなかった。


「キヨ! この城はまもなく爆破される! 危ない、後方へ陣を移せ。兵も全軍退去を!」


切迫した声に、キヨは鼻で笑った。


「ノア、臆したか。ゴロクはすでに風前の灯火。ここで退く道理があるか」


隣に控えたエルが、困惑を隠せず口を開く。


「まさか・・・爆破だなんて。そんな戦法、聞いたこともない」


「シズルの重臣からの報せだ。確かだ!」

ノアが叫ぶ。


「黙れ!」


キヨの怒声が夜気を裂いた。


「わしは信じぬ! ゴロクが何を企もうと、この勢いは止まらん」


――その時


地の底から呻くような低い音が広がった。


大地が震え、耳をつんざく轟音が響く。


ノルド城の一角が火柱をあげて吹き飛んだ。


炎と土煙が空を裂き、石の塊が雨のように降り注ぐ。


ひとつがキヨの陣幕を直撃し、地面を抉った。


「うわああッ!」

兵たちの悲鳴が広がり、血と土が舞う。


ノアは瓦礫を蹴り飛ばして駆け寄り、キヨの前に立ちはだかった。


「これ以上進めば、本陣は壊滅する!」


初めてキヨの顔から笑みが消えた。


震える拳を握りしめ、爆煙に包まれるノルド城を睨みつける。


城に配置してあった鐘の音が爆風と共に鳴る。


「まだ終わってはいない」と告げるかのように。


砕け散った岩が兵を押し潰し、血の臭いが漂った。


キヨはなおも城を睨みつけていたが、ノアが一歩進み出て、低い声で言った。


「これ以上ここにいても、無益に兵を失うばかり。退きましょう」


エルも促すように口を開く。


「こちらの勝ちは揺るぎません。少し後方に陣を移しましょう」


キヨの顔が歪んだ。


怒りとも無念ともつかぬ感情が胸に渦を巻く。


「・・・ちっ」

扇を乱暴に閉じ、地に叩きつける。


「ひとまず退く! 兵を整えよ!」


伝令の声が陣を駆け巡り、兵たちの間から安堵の息が洩れた。


だがキヨの目には、燃え盛るノルド城の炎が焼き付き、離れない。


――自らの手で滅ぼすはずだった獲物を、城の方が先に牙を剥いた。


キヨは唇を噛み、悔しげに炎を見据え続けた。




◇ ノルド城 最上階


「火がついたぞ!」

炎が朝焼けを裂き、ノルド城は赤黒い煙に包まれた。


壁が崩れ、門が軋みを上げる。


白いドレスの裾を整え、シリは静かに立ち上がった。


――落ち着いて。


心臓はなおも「生きよ」と叫ぶように打ち続けていた。


「エマ」

小さな呼び声に、エマの老いた肩が震えた。


「はい」

絞り出すような声。


シリはその身を抱き寄せ、柔らかく微笑んだ。


「今までありがとう」


「・・・はい」

声が震えぬよう、唇を噛む。


――とうとう、この時が来た。


「すぐに・・・逢いましょう」

微笑みに揺らぎはなかった。


やがて現れたゴロクの顔には、煤と血が滲んでいた。


「シリ様・・・」

その声は、騎士のものではなく、ひとりの男の嗚咽だった。


ゴロクは剣を強く握りしめた。


恩義に生き、騎士の誉れを重んじてきた男であっても、この瞬間だけは手が動かない。


ーー領主が妃の首を斬る。


そんな話、聞いたこともなかった。


炎の粉が降りしきる中、ゴロクは膝を折り、シリの足元に跪く。


「本当だったら・・・」

その声は、騎士のものではなく、ひとりの男の泣き声であった。


「本当だったら、グユウ殿と一緒に過ごしたかっただろうに」


――ずっと言えなかった言葉。


結婚してから幾度となく思った。

シリを抱くたびに、口づけを交わすたびに思っていた。


――シリ様の心は、グユウ殿にある。


十年前に死んだ、若き領主。


その面影を胸に秘めながら、老いた自分を受け入れていたシリ。


それは嬉しい反面、耐えがたい苦しみでもあった。


シリはそっと夫の手を包む。


「レーク城が落ちたあの日から、どう生きるかよりも、どう死ぬかを考えていました」


「・・・シリ様」


「あなたと過ごした日々は楽しかった。妾たちとの暮らしも――賑やかで」


ーー全力で生きて、全力で死ぬためにも。


自分はどうするべきなのか。


いつも考えていた。


死を考えると、生が煌めくことを知った。


シリは微笑んだのも束の間、真剣な表情をした。


「この首、あなたの手で落として。他の誰にも渡したくはありません」


ゴロクは剣を握りしめ、唇を噛み切った。


「・・・シリ様。あなたは妃でありながら、立派な領主でした」

炎の粉が降り注ぎ、二人の影を赤く染める。


――こんな妃、どこにもいない。


「この年齢で・・・あなたを迎えられたこと。私の最大の幸せです」


その言葉と共に、剣が震えながら持ち上げられた。


「あぁ・・・」


ゴロクが剣を振りかざした瞬間、エマは震える足をどうしても止められなかった。


ーー死が怖いのではない。


大事に育ててきた姫の最期を見届けること。


その苦痛が、胸を引き裂いた。


毅然としたシリの背中を見つめ、エマは苦しげに息を吐く。


その時だった。


「エマ」


肩に温かな手が触れ、振り返ると、マナトが静かに微笑んでいた。


「ここで・・・私があなたの首を斬ります」


「・・・えっ」

言葉を失ったエマに、マナトは静かに続ける。


「シリ様のご指示です。ご自身が絶えた直後、エマの首を落とすようにと」


「そんな・・・」

信じられず、シリの背を見つめる。


気づいたのだろう、シリが振り返り、静かに微笑んだ。


「・・・シリ様は、あなたがご自分の最期を見ることが何より辛いだろうと、お考えになったのです」


――わかってくれていた。


自分の気持ちを。


エマの頬に、熱い涙が伝った。


幼い頃から、姫として規格外のシリを育てるのは骨が折れた。


――この姫に付き合える殿方など、きっといない。


そう諦めかけていた矢先に、グユウと出会い、やがて三人の子を授かった。


エマの記憶の中で、最も輝いているシリは――


夕暮れの馬場を、グユウと並んで歩き、幸せそうに微笑んでいたあの頃だった。


その光景は、夕陽のきらめきと共に今も胸に残っている。


だが――いまシリの背に降り注いでいるのは、光ではなく紅い灰だった。


「シリ・・・様」

何度も口にしてきたその名が、今は重く喉を震わせる。――これが最後になる。


エマは跪き、マナトに微笑んだ。


「ありがとう」


「亡き祖父から言われていました。『セン家を頼む』と」

マナトは静かに口を添える。


そして、剣を静かに握りしめた。


「あちらで祖父に胸を張って逢えます」


「私もセン家の一員として・・・認めてくれるのですね」

エマは目を閉じて話す。


「もちろん、エマも、そして私もです」


マナトは静かに剣を振りかざした。


燃え残りの灰が舞い落ち、影が四つ重なり合う。


シリは剣を掲げるゴロクに向かい、穏やかな微笑を浮かべた。


「ゴロク・・・上手に首を斬ってね」


「・・・もちろんです」

涙に濡れた顔で、ゴロクは力強く答えた。


その声には、騎士の誓いと、ひとりの男の愛情が滲んでいた。


同じ瞬間――。


エマの横目に、剣を振り下ろすゴロクの腕が見えた。


それと同時に、マナトの剣も静かに弧を描く。


ふたつの刃が、ひとつの願いを叶えた。


炎の中、ふたりの命はほぼ同時に果てた。


白いドレスが赤に染まり、

老いた頬にも一筋の紅が流れる。


シリの首は静かに床へ落ち、

エマの体はその傍らに崩れた。


最後に交わされた微笑は、

まるで同じ夢を見ていたかのようだった。


シリの最後の願いは、叶えられた。


――眠るように。痛みもなく。


その顔には、安らかな微笑が残っていた。


ゴロクはその身を抱きとめ、涙を必死に堪える。


剣を振るった己の手を、これほど憎んだことはなかった。


「シリ様・・・あなたを、心からお慕いしていました」


絞り出すような声で伝えた。


背後に寄り添ったマナトが、静かに告げる。


「最後まで・・・お供します」


そして、その傍らには――最後まで寄り添った老臣ハンスの姿もあった。


ゴロクは、深くうなずいた。


炎は轟々と燃え広がり、やがてその影をも呑み込んでいく。


ノルド城の奥で――シリの最期は、炎の光に包まれて消えていった。


遠くで、鐘が鳴った。


それは魂を送る、静かな鎮魂の音だった。

◆ 作者のひとこと ◆


小説を書き始めて、まもなく一年になります。

今回、大事な娘を亡くす展開は、雨日自身も泣きながら書きました。


物語は、あと六話。

ここまで読んでくださった皆さまに、心から感謝します。

最後まで見届けていただけたら嬉しいです。

 

次回ーー明日の9時20分 「生きるのよーー炎の城下で」

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