名前のない想い
「ユウ様を見失いました」
エプロンの裾を握りしめながら、ヨシノが報告をした。
ゼンシの部屋から戻ったシリは、苦手な裁縫に取り組んでいた。
シリは、残骸と化した布をテーブルに置いた。
「ヨシノ、シュリもいないの?」
「はい」
切なそうに顔を歪めて、ヨシノは頭を下げる。
「シュリがいる限り、ユウは大丈夫でしょう」
シリは再び布を手にした。
そして、からまった糸を見てため息をついた。
裁縫の腕前は、なかなか上達しない。
同じテーブルでは、ウイとレイがせっせと裁縫に励んでいた。
「ユウ様は、もう13歳です」
見かねた乳母エマが口を挟んだ。
「そうね。それがどうしたの?」
シリは爪の先でからまった糸をほぐし始めた。
「嫁いでもおかしくないお年頃です!!」
エマは強い口調で話す。
年頃の若い娘が、乳母子とはいえ、異性と2人きりになるのは感心しないことを伝えたい。
「そうね・・・嫁いでもおかしくないわね」
シリは、手を止めた。
午前中に、ゼンシはシリに話した。
ユウに相応しい結婚相手を見つけると。
一体、どんな人とユウは結婚するのだろうか。
娘達が嫁ぐと思うと無性に寂しくなる。
物想いにふけるシリを見て、エマはため息をついた。
◇
「シリ様は色恋ごとに疎いです」
長い石畳の廊下を歩きながら、エマはヨシノに話す。
「あんなに頭の回転が早いのに・・・」
ヨシノがオズオズと返事をした。
「ヨシノ、あの2人は仲が良いです」
あの2人とは、ユウとシュリのことを指す。
「はい・・・。幼い時から一緒でしたから」
ヨシノは答える。
「まさかと思いますが、2人は恋仲ですか?」
エマは勘繰るような目線で、ヨシノを見つめる。
「それはないと思います。シュリはユウ様には一生逆らえませんよ」
ヨシノは笑いながら答えた。
自分の息子が、ユウに恋心を抱くとは考えたこともなかった。
なにしろ、身分が違うのだ。
「全く・・・!グユウ様は、どうして男の乳母子をつけたのかしら?」
エマは腕組みをしながらため息をついた。
◇
隠し小部屋から出る時に、ユウはチラッと後ろを振り向いた。
後ろには、いつものようにシュリがいる。
ユウは目を合わせたまま、中庭の方へ顎をあげた。
シュリは返事をするわけでもなく、うなづくわけでもなく、
茶色の瞳に想いを乗せて返事をした。
付き合いが長い2人は、瞳と仕草で意思の疎通がとれる。
陽の光を浴び、金髪を風に靡かせたまま、
ユウは風にしなう枝のような独特な歩き方をした。
急に立ち止まったので、シュリは慌ててポケットからハンカチを取り出した。
ユウは、ところ構わず地面に座る癖がある。
今日のドレスは上等なものだ。
母と同じで、ユウは服装に無頓着だったので、
シュリは、ドレスを汚さないように、いつでもハンカチを数枚持っていた。
用意されたハンカチの上に座ったユウの後ろに、シュリは黙って佇む。
乳母子は家臣なので、許可なく、ユウの隣に座ることはできないのだ。
「シュリ、ここに座って」
ユウは、隣の草地をポンポンと叩いた。
シュリは黙って隣に座り、チラッと横目でユウを見つめた。
「あの手紙・・・」
ユウが不意に言葉にした。
あの手紙とは、シリがゼンシから手渡された手紙のことだろう。
シュリは、じっとユウの顔を見つめた。
「何が書いてあったのかしら・・・」
ユウは遠くを見つめながら話す。
読みたいと思っても、それは口にしてはいけない。
自分の本当の父親がゼンシだと知った時の衝撃と落ち込みから、ユウは立ち直れずにいた。
「・・・そうですね」
シュリは、そう言い返すことしかできなかった。
「父上は・・・私をとても可愛がってくれたわ」
ポツリと言葉をこぼす。
『ユウ』
優しく微笑む父の顔が瞼に浮かぶ。
父の膝に座って、暖かくゴツゴツした手で頭を撫でてもらったことを未だに覚えている。
「自分の子じゃないとわかっていたはずなのに・・・どうして、父上は優しくしてくれたのだろう」
不意に涙がこみ上げてくる。
その涙を抑えようと、ユウは慌てて草葉に上に寝転んだ。
緑色の草の上に金色の髪が広がる。
瞼を閉じると、薄い皮膚の下に青い血管が浮かぶ。
それは小さな時からあるものだった。
「ユウ様」
シュリが強い口調で声を発した。
寝転んだまま、シュリを見上げたユウは、胸の鼓動が一拍飛んだ。
自分を見つめるシュリの茶色の瞳が、深い黒みを帯びている。
身体つきはしなやかだけど、日々の剣技で男らしくなってきている。
シュリは・・・いつの間に男の人みたいになったのだろう。
まるで時が止まったかのように、目と目がぶつかる。
空の音も、風の揺れも、遠のいて。
そのシュリは、しっかりとユウを見下ろしながら、ユウのしなやかな手を握った。
「グユウ様は、ユウ様の事をとても大切に想っていました」
少し掠れた声で伝える。
顔が近い。
自分の顔を覗き込むように、シュリが見つめてくれる。
…まるで、プロポーズのように思えた。
一瞬、ユウの胸は妙に高鳴り、
じっと見つめるシュリの視線に耐えられないものを初めて感じ、目を伏せてしまった。
シュリの手が、ふと自分の手に触れた時、妙に熱く感じた。
びっくりして手を引っ込めてしまった自分に戸惑う。
思いがけない感情と現実を目にしたような気持ちになり、ユウは慌てて飛び起きた。
「知らない領主の元に、嫁がされるなんて嫌。いつまでも、母上と妹と一緒に暮らしたいわ」
忙しなく髪を耳にかけ、少し早口でユウは話した。
「嫁ぐ日が来たとしても…私は、ずっとユウ様のそばにいます」
少年の名残が残る唇を開き、静かにシュリは伝えた。
乳母子の自分にはそれができる。
ユウを守ることができるのだ。
「シュリ、それは本当なの?」
ユウはジッとシュリの顔を見つめる。
「ユウ様が望む限り。いつまでも」
シュリは瞳に力を込めた。
その顔は端正な顔をしていることに、ユウは初めて気づいた。
「シュリが・・・そばにいるのなら・・・心強いわ」
ユウは彼女にしては珍しく、途切れ途切れに話した。
自分の出生の秘密を知ってから、わずかな時間で
ユウは違う自分になった気がした。
目に見えない指によって、少女時代のページはめくられ、
一人前の女性としてのページがユウの前に開かれたのだ。
「うんと年齢が離れたお爺さんみたいな人と結婚する羽目になったら嫌だわ。そんな人と子を成すなんて…」
ユウは虚な目でつぶやく。
12歳の頃から、自分が嫁ぐ意味を教育されていた。
生家のために知らない領主の元に嫁ぎ、領の繁栄のために子を作る。
遠い世界の話だと思っていたのに、その現実は目の前に迫ってきている。
シュリは、再び胸の中に言いようがないドロドロとした想いが溢れてきた。
目の前にいる美しい少女が、
他の男の元に嫁ぐ、夜を共にする。
そう思うだけで、気が狂いそうになった。
この気持ちの正体はわからず、シュリは小さなため息をついた。
後になってようやく、あれが『恋』という、名前のある切なさだったと知る。
それまでは、ただ胸が苦しかった。
次回ーー
どうして今日は準正装なの?」
ゼンシとタダシの出立ちに、母シリも同行する。
「叔父上は国王になる準備を進めているの」ユウは告げた。
――嵐の前の、静かな夜が始まろうとしていた。
憎しみ続ける自分を許す
ブックマーク、評価を頂きました。
展開が遅い小説を読んでくれる読者様、ありがとうございます。
明日で長かった第1章が終わります。




