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特別な子

部屋の中には、ユウのすすり泣く声と、静かに涙をこぼすシリの吐息が混じっていた。


エマの瞳も涙に揺れ、シュリはただ立ち尽くしている。


「母上・・・」

ユウが顔を上げた。


「どうしたの?」

その瞳は、あまりにも優しい。


――自分はもう嫁ぐ歳なのに、子供のように甘えたくなる。


ユウは小さく息を吐き、ずっと胸にあった思いを口にした。


「私は・・・母上にそっくりと言われている」


「ええ、そうよ。グユウさんは・・・それが、とても嬉しかったみたいね」

シリは静かに答える。


しかし、次の言葉はシリの胸を重くした。


「でも・・・性格は叔父上に似ている」


ユウは涙に濡れた目で、まっすぐ母を見つめる。


「・・・私は、自分でも抑えきれない衝動に駆られる時がある。

心を保つように必死でコントロールしているけれど・・・それでも、駄目な時がある」


ユウは視線を落とす。


――シュリに対する独占欲は並々ならぬものだと、自覚している。


何かの拍子に心の蓋が外れれば、自分はあの叔父のように残酷なことをしてしまうのではないか。


それは、ずっと心の奥底で恐れてきたことだった。


「私も・・・兄に似ているのよ」

シリは静かに言い、ユウの髪を撫でた。


――この不安を、この子はどれほど抱えていたのだろう。


母親なのに、気づけなかった。


「母上も・・・?」


「そうよ。特に怒りが湧き上がった時に・・・何度も、自分の中に兄の影を感じた」


ユウは、ゆっくり頷く。

「でもね、その度に自分に言い聞かせるの。私は兄ではない。兄のようにはならない・・・と」


「それだけ・・・で性格は変わるの?」


ユウの瞳は、『本当に?』と問いかけていた。


シリは軽く笑みを浮かべ、ユウの頭を胸に引き寄せる。


「性格は変わらない。きっと・・・一生」


短い沈黙の後、シリは真剣な眼差しで続けた。


「けれど、自分がどうありたいかで、歩む道は変わるのよ。

兄のようにはならない。そう決めれば、違う人生を歩ける」


ユウはシリの胸に頭を預け、静かに頷く。


「自分がどうありたいか。

どんな人になりたいか・・・それを、考えなさい」


「それで・・・変われるの?」

ユウの瞳は、まだ揺れていた。


「変わります」

シリは力強く頷く。


ユウのすすり泣きが、部屋の中に滲んでいる。


その音を聞きながら、エマは静かに背筋を伸ばしていた。


――この二人の間に、自分はどれほどの年月を立ち会ってきただろう。


喜びも、悲しみも、口には出せない秘密も、何度こうして見守ったことか。


幼いユウを抱き上げた夜。


泣き疲れて眠る母娘を、そっと毛布で包んだこと。


あの時から、この子はただの姫ではなかった。


守らねばならない存在――そう思った日から、もう何年経っただろう。


エマは目を伏せ、静かに息を整えた。


感情を挟めば、この場の均衡が崩れる。


ただ見守る、それが自分の役目だった。


そして、その役目を引き継ぐのは・・・。


エマの視線は、静かにシュリへ向けられた。



「兄は、信じられる人が周囲にいなかった。孤独だった。

誰も・・・兄を止められる人がいなかった」


そう言って、シリは自分の胸に手を当てる。


「でも、私は・・・グユウさんがいた。そして、エマがいた」


シリはそっとエマを見上げる。


エマはその視線を受けて、強く頷いた。


「そして、あなた達がいる。

大事な人・・・自分を想ってくれる人、守るべき人が周囲にいれば、人は変われるの」


「自分を・・・想ってくれる人・・・」

ユウがつぶやく。


「あなたにもいる。ウイとレイ、ヨシノ・・・母にエマ、そして――シュリ」


シリはユウの頭越しに、まっすぐシュリを見つめる。


シュリは静かに頷いた。


ユウは振り返り、シュリを見つめて、ゆっくりと頷き返す。


「兄に似ているからといって、兄のようにはならない。

どんな人と過ごすかで・・・生き方も、言葉も変わる」


それは、シリが実体験から得た言葉だった。

ユウはしばらく黙し、やがて静かに頷いた。




「あなたは・・・特別な子」

シリはユウの肩に、両手をそっと置いた。


「小さな時から、他の子とは違う何かがあった」


――特別な子。


それを話すシリ自身もまた、特別な存在だった。


誰もが振り返る容姿、そして見目とは裏腹の激しい気性。


そんな人に釣り合う男性はいない――シリを育てていくうちに、エマは何度もそう思った。


けれど、グユウと出逢い、結婚したことで、シリの人生は大きく花開いた。


そのままの自分を愛してくれる人がいる。


それはシリにとって、何よりの心の財産であり、拠り所だった。


――でも、ユウは?


あの子を支える器のある殿方は、この世にいるのだろうか。


エマの視線の先に浮かぶのは――シュリ。


けれど、あの子は乳母子。


それが・・・エマの胸に、ただ一つ残る懸念だった。


シュリに向けられたエマの視線が、一瞬だけ揺れる。


その隙間を縫うように、ユウの声が部屋に落ちた。


「母上・・・私は・・・普通でありたいの。ウイやレイみたいに・・・

特別な子なんて言われなくていい。穏やかに過ごしたいの・・・」


――ずっと思ってきたことだった。


自分の何気ない行動や視線で、人の心が動くのを感じてきた。


どこにいても特別視されることに、もう辟易していた。


「それは・・・できないわ」

シリの声は静かだった。


産まれた時から備わっている力を抑えることなど、できない。


それもシリの実体験であった。


「グユウさんは、それを懸念していた。 あなたは・・・強い光が当たる分、影もまた濃くなる。

・・・だから、姫のあなたに男の乳母子をつけたのよ」


「それで・・・シュリを」

姫に男の乳母子――成長するにつれ、周囲が首をかしげたことだった。


「母は、あなたの特別な力を信じます」


「・・・信じる?」


「他の誰もが持たない力。あなたは平凡な道を歩まない。

その力を・・・私は信じている」


シリの瞳は揺らがなかった。


ーー自分の持っている力が、どれほどなのか。


まだ、わからない。


けれど、母が信じるというなら、その道を歩むしかない。


こうして、母と話していると、一つ一つ、重く囚われていた心が浮上するようだった。


だが、ユウの瞳の奥にはまだ、言葉にならない影が潜んでいた。


それは、セン家の血にまつわる―― 避けては通れぬ宿命の影だった。


次回ーー明日の9時20分


篝火が並ぶ城外を見つめながら、レイは悟る。

姉上は今、母上に“父の名”を問っているのだ――。

三姉妹の運命を変える秘密が、ついに明かされる。


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