父の名を問う夜 許せぬ者、愛しい者
「ユウはわしの子か?」
ゼンシの問いは、静かだった。
けれど、その眼差しは真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
シリは言葉を失った。
頭の中が真っ白になる。
そう訊かれる日が、いつか来るとは思っていた。
気づいているのだと、ずっと前から感じていた。
けれど、互いに曖昧なまま、口にしないことで均衡を保っていたのだ。
ーー言えるわけがない。
シリはうつむいた。
「返事をしないということは肯定で良いのか」
低い声が落ちる。
ゼンシの声音には、怒りも侮蔑もなかった。
ただ、事実を確かめるように問いを重ねた。
「口にしなくて良い。違うなら首を横にふれ」
ゼンシの言葉に、シリはかすかに反応する。
けれど、首が動かない。
ーー違う。グユウさんの子・・・そう、言いたいのに・・・
動かないのだ。
まるで、全身が鉛に縛られているようだった。
けれど、
ユウは、ゼンシに似ている。
仕草も、瞳の光も、笑ったときの唇の形さえも。
ーーやはり・・・あの夜に。
シュドリー城に戻ってから、ゼンシの顔を見るたびに、胸の奥に鈍い痛みが生まれた。
嘘をつき通すことが、もうできなかった。
けれど、言葉にする勇気も、なかった。
シリが沈黙したままの姿を見て、ゼンシが低く問いかける。
「この件は・・・グユウは知っていたのか?」
長い沈黙ののち、シリは小さく、けれどはっきりと頷いた。
グユウは、すべてを知っていた。
『シリが産めばオレの子だ』
そう言って、優しく微笑んでくれた夜の記憶が、胸に蘇る。
ゼンシは深く、長いため息を吐いた。
「・・・シリ、すまなかった」
不意の謝罪に、シリは顔を上げる。
ーーゼンシが謝るそんなこと、今まで一度もなかった。
見上げたその顔をみると、今まで抱えていた感情が湧き上がる。
「兄上の行動は、私の人生をめちゃくちゃにしました」
思わず口に出てしまう。
「グユウさんは、全てを知って受け止めてくれました。乱暴した兄上が憎い。憎い!」
罵るような言葉が口から出てしまう。
止められない。
シリの目から怒りと悲しみが溢れ出す。
ゼンシは黙って話を聞いている。
◇◇
隠し小部屋にいたユウとシュリは、驚きのあまり茫然自失となった。
ユウが様が・・・不義の子?
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
シュリは隣にいるユウの顔をチラリと覗きみた。
ユウの身体は小刻みに揺れ、口元に手を当て、青い瞳は見開いていた。
ーー私が?
驚きのあまり、心が乱れている。
シュリはそっと、ユウの手を握った。
その手が、かすかに冷たい。
ユウの目を見て、問いかけるようにうなずく。
『ここを出ますか?』
シュリは目で促した。
けれどユウは、強く首を横に振った。
その顔には、涙ひとつ見えない。
ーーここにいると、決めたのか。
シュリは、小さく息をついた。
昔から、ユウが一度決めたことを、誰にも変えることはできない。
ならば、自分にできるのは、ただ傍にいることだけだ。
シュリは、ユウの震える手を、ぎゅっと握りしめた。
◇◇
長い沈黙のあと、再び口を開いたのはシリだった。
「憎いのですが・・・」
シリの口から言葉が溢れる。
ゼンシは顔を上げた。
「兄上の子供ではなかったら・・・今のユウには出逢いません。
兄上を許す事はできないけれど、ユウは他の誰にもなってほしくないです」
シリは声を震わす。
ゼンシは黙ってうなづいた。
「グユウさんが話したように、ユウは天から授かった子なんです」
シリは洋服をギュッと握りしめた。
「ユウの縁談相手は慎重に見極める」
ゼンシがつぶやいた。
「兄上、それはどうして・・・?」
シリは思わず口を開く。
ゼンシは立ち上がり、机の引き出しを開けた。
少し草臥れた羊皮紙をシリに差し出した。
「グユウが書いた手紙だ」
「グユウさんが兄上に書いたものですか・・・」
茫然とした表情で手紙を受け取るシリを、ゼンシは見つめていた。
◇
それは9年前、ワスト領での争いに勝った夜だった。
グユウが死に、ミンスタ領を手に入れた。
ゼンシは酒を手に、ひとり広間にいた。
勝利の余韻に酔う家臣たちの喧噪から逃れ、静かな夜を求めていた。
だが心は晴れなかった。
シリの、恨みのこもったあの目――
そして、ユウの顔を見たときの衝撃。
ーーあの子は。
ゼンシは認めざるを得なかった。
ユウと呼ばれるその娘の顔、表情、立ち振る舞いが、自分そっくりだった。
シリは否定したけれど、ユウは、自分とシリの子供だ。
間違いない。
あの時に・・・できた子供だ。
珍しくゼンシは、ため息をついた。
何杯もワインを飲んでも酔えなかった。
そんなとき、家臣が来訪を告げた。
「キヨの弟・エル殿が、急ぎの用で参っております」
「人払いをするように言っただろう」
ゼンシは不機嫌そうに話した。
「それが・・・急ぎの用だそうで・・・」
家臣は困惑した顔で口ごもる。
「急ぎか・・・通せ」
ゼンシは不機嫌そうに許可をした。
キヨの弟 エルが平伏して、ゼンシの前に現れた。
「どうした。こんな夜に」
「グユウ様から手紙を預かっております」
エルが羊皮紙を差し出した。
「手紙はもう受け取った」
ゼンシは片眉を上げた。
数日前にキヨから受け取った手紙に、
グユウは自らの命と引き換えに、シリ、子供達、家臣、領民の命を保障するように願いでた。
願いは叶えたのだ。
「グユウ様は、全てが終わった後にこの手紙を渡して欲しいと私に言付かりました」
エルが頭を下げる。
「全てが終わった後?」
「はい。自分が死んで、ゼンシ様がシリ様に面会した後にこの手紙を渡して欲しい・・・と」
思い詰めた表情でエルは話す。
最後の面会の後、
レーク城を出ようとしたエルを、グユウが呼び止めたのだ。
「この手紙を・・・全てが終わったらゼンシ様に渡してほしい」
グユウはエルに差し出した。
「全てが終わった・・・とは?」
エルが恐々質問をした。
「オレが死んで、シリが義兄上に逢った後だ。エル、頼んだ」
死を直前に控えたグユウは、優しく微笑んでエルに渡した。
「なぜ、エルに?」
ゼンシは困惑した。
手紙ならキヨに渡せば良いものを。
「・・・それはわかりません」
エルは答えた。
嘘だった。
ーー本当はわかっている。
手紙を読まなくてもわかる。
この手紙にはシリの事が書いてあるのだろう。
シリに対して邪な気持ちを抱いているキヨに手渡せば、届かない可能性がある。
だからこそ、自分に頼んだのだ。
「この手紙にはユウの縁談についても書いてある」
ゼンシが口を開いた。
シリは、真剣な顔でゼンシの顔を見つめた。
「読んでみろ」
ゼンシの声音は、いつになく柔らかかった。
次回ーー
愛する人の筆跡。
「どうか、シリを守ってください」
9年前に遺された手紙が、ゼンシとシリの関係を変えていく。
そしてユウの縁談をめぐり、新たな運命の歯車が動き出す。




