表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
235/267

彼女を揺らす者


ドンドンと太鼓の音が遠くから響く。


ユウは目を見開き、音の方向を探すように窓へ駆け寄った。


城の塀を、黄色の鎧を着た敵兵がびっしりと取り囲んでいる。


息が詰まるほどの数だ。


北側では、シリが仕掛けた落とし穴に兵が次々と落ち、混乱が広がっていた。


だが、はるか後方からさらに多くの兵が押し寄せてくる。


「・・・どうしよう」

ユウの小さな声が響く。


ーー城に残っている兵はわずか。


とてもではないが、この数には抗えない。


三姉妹は、普段の離れから本城へ移ってきていた。


「敵兵が来るのを自分の目で確かめたい」

そう言ってユウは、妹たちを連れて見張り部屋に上がった。


もう二度と、あの日のように不意を突かれたくはなかった。


ウイは悲鳴に近い声をあげ、レイは呆然と眼下の光景を見つめている。


「姉上・・・怖い・・・」

ウイがユウの袖を掴む。


レイもそっと寄ってくる。


ユウのそばにいれば、怖くないと信じるように。


「姉上・・・また・・・レーク城のような想いをするのですか・・・」

ウイはすでに泣いていた。


あの時と同じ、城壁越しの鬨の声と、火の匂いが蘇る。


「ウイ・・・」

ユウは彼女の頭を撫で、肩を抱き寄せる。


「嫌・・・怖い・・・また味わうのね・・・落城を」

ウイはユウにしがみつき、泣き続けた。


ユウは無言のレイの肩も掴み、静かに話す。


「私たちは・・・あの城が落ちても・・・生き延びた。大丈夫よ・・・大丈夫」

その声は、自分をも言い聞かせるようだった。


「本当に?」

レイが切実な想いを滲ませて見上げる。


「大丈夫よ。この城が落ちても・・・母上と私たちで・・・生き延びましょう」

ユウは抱き寄せる妹たちの肩に力を込めた。


その様子をシュリは黙って見つめていた。


手が無意識に剣の柄を握っている。


――この姫様方を必ずお守りする。




◇ ノルド城 城下町


ノルド城を取り巻くキヨの陣所。


雪解け水を含んだ大地はぬかるみ、冷たい風が吹き渡っていた。


キヨは陣幕の前に座し、ノア、イーライを従えている。


「兄者、サムを呼びました」

エルが声をかけながら陣に入る。


重臣のサムが静かにキヨの前にひざまずいた。


「キヨ様、お呼びでしょうか」


「サム、お前に頼みがある」

キヨは頬に笑みを浮かべる。


「何なりと」

サムは頭を下げたまま答えた。


「これから、イーライが使者としてノルド城に入る」

エルが口を添える。


「・・・イーライ、ですか」

サムが驚いたように顔を上げた。


キヨの隣に座るイーライは十九歳。


まだ少年の面影を残す顔立ちだ。


ーー使者なら立場的にエル様が行くはず・・・。


サムの心を読んだように、キヨが言葉を継いだ。


「イーライは若輩だが、誠に頭が切れる。わしはこの者に全幅の信頼を寄せている」


ーーキヨ様がそう仰るなら・・・よほどの切れ者なのだろう。


サムは再び視線を落とす。


「ゴロクに伝えよ。今降れば命は助け、領地の一部も安堵すると」


イーライは即座にペンを執り、端正な文をしたためた。


「兄者、あまりに条件が甘いと侮られましょうぞ」

エルが念を押す。


「侮らせておけ。降らぬなら、一気に攻める」

キヨの薄笑いは、春の風よりも冷たかった。


サムはその笑みに、背筋をわずかに震わせる。


「本来ならイーライの付き添いはエルに任せたいところだが、

これだけの大所帯・・・エルが不在では心許ない」


「誠に。エル様は人をまとめる力があります」

サムは頷いた。


「そこでだ。代わりに、お前が行け」

キヨの声が低くなる。


「私が・・・ですか」

サムの目が見開かれる。


「そうじゃ。お前はシリ様と顔見知りだろう?」

キヨは無邪気に首を傾げる。


「・・・はい」

サムは声を強張らせた。


脳裏に、10年前のレーク城の夜がよみがえる。


ーー火明かりの下、鎧の隙間から見えた彼女の横顔。


一度も膝を折らなかった領主の姿。


そして、落城の朝に交わした敗戦交渉。


あの時から、彼女はサムにとって、

仕えるべき唯一無二の主君の妻――妃としての尊敬の対象だった。


それは自分だけではない。


ロイも、チャーリーも、そして戦場には来ていないが、カツイも同じ想いを抱いている。


「あの方は並の女ではない。どんな判断をするか、常人には予想がつかぬ」

キヨは扇を掌で軽く叩く。


――そうだ、あの方は・・・誰も予想しない道を選ばれる。


常の妃とは比べようもない――あの方こそ、我らが誇り。


「一般的な妃の器ではない――だからこそ、わしは惹かれる」

キヨはニヤリと笑う。


その顔を見て、エルは小さなため息をついた。


この状況になっても、いまだにシリに執着する兄に呆れている様子だ。


「使者はイーライが務める。お前はただ付き添うだけで良い」

キヨの声は柔らかく、しかし別の熱を孕んでいた。


「顔を見せるだけでいい。慣れ親しんだ者の顔を見れば、心は揺れる」

薄笑いを浮かべるキヨの目は、底の見えない闇を湛えていた。


ーー必ず救い出せ、ということか。


「このイーライの父も、元レーク城の家臣だった」

キヨが能面のような表情でイーライを見やる。


「慣れ親しんだ者の使者――シリ様がどんな顔をするか・・・楽しみだ」

その言葉にサムは返事を飲み込みそうになった。


「承知しました」

背中に冷たい汗を感じながら、深く頭を下げた。




次回ーー明日の9時20分



見張り部屋に忍び寄る戦の影。

母の帯に隠された刃を、ユウだけが気づいていた。


一方、ノルド城の謁見の間。

若き使者イーライの震える声に、シリは静かに応じる。


「・・・わしは最後まで、モザ家の義に殉ずる」

ゴロクの一言で交渉は終わり、戦の火蓋は切られる。


――明日、血が流れる。

それでも彼女は、揺るがぬ瞳で前を見据えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ