誰の目も届かぬ場所で彼女を我がものとする
明るい空の下、遠くに白壁が浮かび上がる。
それが、長く宿敵であったゴロクの本拠・ノルド城だった。
キヨは馬上からその姿を見据え、口の端をわずかに吊り上げた。
ーーここまで来た・・・。
戦が始まり、激闘を経て、ついにゴロクをこの地に押し込めた。
もはや包囲は完成し、勝敗は決したも同然。
だがキヨの胸中には、単なる戦勝の喜び以上の感情が渦巻いていた。
ーーゼンシ様の後継を巡る争い・・・あの時、わしを侮った者どもに見せてやる。
ゴロクはモザ家の重臣として一目置かれた相手だった。
同時に、モザ家中でキヨを軽んじてきた古参筆頭でもある。
そのゴロクを屈服させる瞬間が、もうすぐ訪れる。
高くそびえる城を見上げながら、キヨは胸中でその甘美な瞬間を思い描く。
ーーあの城を落とせば、モザ家の天下はわしのもの・・・
そして、長く求めてやまなかったシリ様も、ついにこの手の内に。
ーーその日が来れば、誰の目も届かぬ場所で、彼女を我がものとする。
キヨの笑いは止まらなかった。
その笑いを、弟のエルはじっと見つめていた。
キヨはコホンと取り繕うように空咳をし、手綱を引いて馬を止める。
「・・・あれが、ゴロクの城よ」
ノアが前に進み出て、じっと見据える。
「変わらぬ威容。されど、もはや籠る兵はわずかでしょう」
その声には、古き主への惜別がかすかに混じっていた。
エルが静かに口を開く。
「兄者、包囲の準備は整っております。あとはゴロク様に降伏を促すのみ」
「うむ・・・だが最後まで油断はならん」
キヨは笑みを浮かべながらも、目は鋭い。
「義に生きる男は、時に無謀にも死を選ぶからのう」
イーライが馬を寄せ、小声で進言する。
「残兵も少なく、援軍も望めぬ状況。抵抗は長く続きません。
無駄な流血を避けるためにも、降伏勧告の使者を立てましょう」
ノアがちらとイーライを見る。
「イーライ、ゴロク様は容易には首を垂れぬお方だ」
「承知しております。しかし、それでも筋は通すべきかと」
イーライの声音には揺るぎがない。
キヨは二人のやり取りを眺め、やがて頷いた。
「よし、まずは手紙を送ろう。拒めば、あとは一気に攻める」
エルが一歩進み出る。
「それが最も確実です。兄者、あとは御決断のみ」
キヨはノルド城を見据えた。
春の風が頬を撫でる。
だがその熱は、戦の勝利よりも、彼女を想う執念から来ていた。
◇
「・・・ついに来てしまった」
キヨの少し後ろの隊で、サムが馬上からため息をつく。
その視線の先には、白壁の城と、そこで暮らすはずの主の面影があった。
「・・・そうだな」
ロイが低く呟く。
「俺は・・・あの城に矢を放ちたくない」
チャーリーが悔しげに弓を撫でた。
木肌の感触が、かつての誓いを思い出させる。
三人は、レーク城で最後までシリの傍を離れなかった家臣であり、仲間だ。
その主が守る城を、今は敵として包囲している。
「シリ様がいる城を攻めるなんて!」
ロイの声が荒れそうになったのを、サムはあの頃の主の顔を思い出し、手綱を軽く引いて制した。
「・・・落ち着け」
二人は黙り込み、地面を見つめる。
「シリ様・・・頼むから争いを収めてくれ・・・」
サムは祈るように呟いた。
「サム!」鋭い声が飛ぶ。
振り返ると、エルが馬を寄せてきていた。
「兄者がお呼びだ。本陣へ急げ」
サムは一瞬眉をひそめたが、すぐに頷いた。
◇ ノルド城 執務室
重苦しい静けさが城内を満たしていた。
シリは急ぐように手紙を書いている。
遠くで太鼓の音がかすかに響いた。
シリは顔を上げ、窓際へ歩み寄る。
廊下の窓からは、キヨの軍勢が波のように押し寄せてくるのが見えた。
包囲の輪が、じわじわと狭まっていく――ものすごい兵の数だ。
「シリ様!!」
隣にいたエマが口に手を当て、シリの横顔を見つめる。
「ついに来たのね」
シリは覚悟を決め、低い声でつぶやいた。
ーーこれが最期の戦いになる。
ゴロクは鎧の紐を締め直し、背筋を伸ばした。
その表情は静かだが、眼光は揺るがない。
「ゴロク・・・使者が来たら、この手紙を渡してもらえる?」
シリは手紙を差し出した。
宛名に「キヨ」の二文字が並ぶ。
シリの手はわずかに震えたが、筆跡は揺らがない。
「シリ様が・・・直接、使者に渡さないのですか?」
シリは静かに首を振った。
「これは姫たちの庇護のお願い文です。領主であるゴロクが手渡すのが筋です」
文章は巧妙に書いた。
――『女・娘たちの庇護をお願いします』と。
「キヨの使者が・・・弟のエルなら良いです。欺ける」
シリの脳裏に、キヨの弟エルの顔が浮かぶ。
ーーあのキヨの弟ながら、気立てが良く信頼でき、そして騙しやすい。
だからこそ、使者の可能性は低い。
「けれど聡い者になったら、私の最期が読まれてしまう。
そうならないためにも、私は喋らないつもりよ」
シリの願いは、娘たちの命の保障と安全だった。
ゼンシの姪である娘たちを、キヨは大事にする――その確信はあった。
けれど、心配はこの城を脱出するときだ。
落城寸前の城は混沌としている。
兵たちは予想のつかない行動をとることが多い。
そんな中、シリがいればキヨは複数の兵を用意し、丁重に脱出を行うだろう。
そのために、使者とのやり取りは寡黙であることが望ましい。
「承知した」
ゴロクは懐に手紙を入れ、その上からしっかりと掌を当てた。
次回ーー
ドンドンと鳴り響く太鼓の音。
城壁を埋め尽くす黄色の軍勢に、三姉妹は窓辺で震えていた。
「大丈夫よ・・・私たちは生き延びる」
ユウは妹たちを抱き寄せ、必死に言い聞かせる。
その背後で、シュリの手は剣の柄を固く握りしめていた。




