私は死にません ――その誓いは数十年後まで
部屋を出た途端、廊下の空気がやけに重たく感じた。
春の光はまだ窓辺に残っているのに、足元の影だけが長く伸びている。
ユウは黙ったまま歩いた。
ーー落ち着いて。
今すぐ、敵がこの城を攻めてくる。
ウイとレイのためにも・・・平常心でなければ・・・。
こんな時こそ、母上のように自分の気持ちを律さないと。
いつもの見張り部屋だと、感情を爆発してしまう。
ユウは、中庭へと足を運んだ。
中庭にある薔薇のアーチ。
フレッドと最後に別れた時は、枝だけだったのに、
今では枝に葉がびっちりとついている。
あと1ヶ月もしたら、赤い薔薇の花が咲くはず。
「ユウ様・・・」
背後から名前を呼ばれ、振り返るとシュリが立っていた。
その顔を見た瞬間、胸の奥に押し込めていた何かが、きしむ音を立てた。
「・・・どうして、そんな顔をするの」
声が少し震えた。
自分でもわかる。
ーーもう、感情の堤防は危うい。
「私は・・・」
そこで言葉が詰まり、喉の奥が熱くなった。
シュリが一歩近づいた。
ほんのわずかな距離のはずなのに、その温もりが堪えきれない涙を呼び覚ます。
「昔・・・私には婚約者がいたらしい」
ユウは目の前にある艶やかな葉を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「はい・・・元シズル領の・・・」
シュリの返事は小さかった。
父グユウと、その親友トナカが決めた縁談。
ユウが四歳のときだった。
「カガミ・・・という名前だったみたい」
その名を口にするだけで、胸の奥がざわめく。
「叔父上に捕らえられて、命を落としたそうよ。まだ九歳だったって」
シュリは静かに頷いた。
「会ったことは・・・なかったのですよね」
一呼吸おき、ユウは低く続ける。
「手紙を・・・数回もらったことがあるわ。
会ったこともないのに、私を好いているって。早く逢いたい・・・って」
「・・・覚えています」
シュリのまぶたがわずかに震えた。
まだ子供だった自分が、その手紙の意味も知らず、シンと一緒にからかって笑ったこと。
――あの光景が、胸の奥でちくりと疼く。
「フレッドも・・・リオウも、私のことを好いていると話してくれた・・・」
ユウの声は虚ろだった。
「はい」
シュリの声は、少し硬くなった。
それは、生々しいほど記憶にある。
告白する二人を見て、胸が苦しく、立場をわきまえず嫉妬を覚えた自分・・・。
ユウは息を吸った。
「・・・私を・・・好いてくれる人は・・・皆、死んでしまう」
その肩は震えていた。
「・・・ユウ様」
シュリが声をかけると、ユウはキッと振り返った。
傷つき、怒り、泣きそうな混沌とした表情をしていた。
その瞳は今にも涙が溢れそうになっている。
「私は呪われた女なのかしら?私を好いている人は、皆死んでいく・・・!」
ユウは叫んだ。
「ユウ様・・・」
シュリは一歩近づいて、その腕に触れる。
「皆・・・死んでいく。・・・死んでしまう」
ユウは荒い息を吐きながら、足元の影を踏みつけるように立ち尽くしていた。
肩が小さく跳ね、呼吸が乱れる。
指先に力が入りすぎて、爪が掌に食い込むのがわかった。
足元の影が揺れて見え、胸の奥で何かがうずき続ける。
「・・・そんなこと、ありません」
シュリの声は、驚くほど静かだった。
その響きは、ユウの胸に鈍く届く。
「皆が死んだのは、戦だからです。ユウ様が原因ではない」
淡々と告げられた言葉が、逆に胸を締めつける。
慰めと否定が同時に重くのしかかるようで、ユウは目をそらした。
「・・・あなたは、そう言うけれど・・・」
唇が震え、声が細くなる。
その瞬間、シュリがもう一歩踏み出し、ユウとの距離を詰めた。
「私は、まだ生きています」
わずかな温もりが、ユウの肩を包み込む。
胸の奥で、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
ユウは小さな声で名前を呼び、震える手でシュリの袖をつかんだ。
頬に伝う涙の温もりを感じながら、シュリはその背をそっと撫でた。
ユウの呼吸が少しずつ静まっていく。
ふと顔を上げると、アーチの隙間から白い花が見える。
春の風が優しく吹き抜け、その花弁をわずかに揺らした。
まるで、ほんのひと時の安らぎを約束するように――。
「シュリ・・・」
ユウが涙に濡れた瞳で見上げてくる。
「どうされましたか」
いつもと変わらぬ優しい声。
けれど、その奥には何かを探るような色が宿っていた。
「さっきの言葉・・・」
シュリは思わず頬を染めた。
ーーつい、反射的に口にしてしまった。
『私は、まだ生きています』
あれは、ほとんど愛の告白に等しい。
ーー姫になんてことを・・・。
二度の口づけを交わしたことがある。
けれど、それを理由に距離を越えてはいけない。
「それは・・・」
言葉を探すうちに、身体が強張る。
「シュリは・・・私のことが好きなの?」
ユウはじっと顔を見つめてくる。
ーー近い。
息が触れそうなほど。
その強い瞳に射抜かれると、自制心が軋み、崩れそうになる。
――言えない。
この立場で「好きだ」とは、決して。
シュリはただ、ユウの瞳を見返した。
言葉の代わりに、すべてをその視線に込めて。
ユウはその視線を受け止め、頬を赤く染めてシュリの胸にすり寄り、そっと目を閉じた。
――言葉にしなくても、気持ちは伝わる。
生まれた時から、シュリはいつも隣にいた。
「私は・・・死にません」
シュリは強く抱きしめ、誓うように言った。
ユウはその言葉を胸の奥で転がすように、しばし目を閉じた。
「死なない・・・なんて無理よ」
ユウは少し顔を上げ、かすかな笑みを浮かべる。
「はい。けれど、私が死ぬ時は・・・ユウ様が亡くなった後です」
その声は揺るぎない。
「私が・・・死んだ後・・・?」
ユウの声が小さくなる。
ほんの短い沈黙が落ち、白い花びらが一枚、ユウの肩に落ちる。
「はい。そうです」
その声は強く確かなものだった。
「私は・・・ユウ様を見届けてから死にます。その瞬間まで、そばにおります」
シュリはきっぱりと言った。
「・・・約束は嫌よ。破られるものだから」
ユウは一瞬、視線を落とし、地面に散った花びらを見つめた。
その手がかすかに震えているのを、シュリは見逃さなかった。
短い沈黙ののち、シュリはゆっくりと言った。
「約束じゃない。これは誓いです」
その瞬間、強い風が吹き、白い花が頭上から舞い降りた。
花びらは空で渦を描き、やがて二人の肩や髪にそっと落ちる。
一枚、ユウの掌にとまった花びらが、彼女の誓いを聞き届けたかのように静かに揺れた。
その白さは、永遠に汚れぬ誓いの証のようだった。
花びらを頬に受けながら、ユウはシュリを見つめる。
「それなら・・・私はまだまだ死ねないわね」
ユウの声は夢のように淡い。
「はい。ユウ様こそ・・・死なないでくださいね」
頬を撫でた風が、なぜかひどく冷たく感じられた。
シュリはユウの髪についた花びらをそっと取った。
――数十年後、シュリはその誓いを守った。
それまでの間にも、幾度となくその言葉が試される時があった。
けれど、決して揺らぐことはなかった。
次回ーー明日の9時20分
白壁のノルド城を前に、キヨは勝利の笑みを浮かべた。
ーーこの城を落とせば、天下も、そしてシリ様も手に入る。
だが城内では、シリが震える手で手紙を書き上げていた。
娘たちの命を守るため、己の最期を悟りながら。
包囲の輪は狭まり、やがて使者が城門を叩く――。
「誰の目も届かぬ場所で彼女を我がものとする」
⚫︎お知らせ エッセイ更新しました。
この小説の執筆裏話を書いています。
「家族から「完結詐欺」と呼ばれた件〜ストック64話で『完結』と言ったらダメですか?」
https://book1.adouzi.eu.org/N2523KL/
気軽に読める内容なので、休憩のお供にどうぞ。




