私も、最期はそうありたい
ノルド城、ホール
兵たちが集まり、血と軟膏の匂いが空気を支配していた。
壁際には包帯や桶が積まれ、ろうそくの炎が血の跡を鈍く照らす。
広場の中央にゴロクが立ち、その隣に毅然とした眼差しのシリが寄り添う。
白髪まじりの髪が、炎の揺らぎに反射して淡く光った。
「皆の者、よくぞ最後まで戦ってくれた!」
低く響く声に、兵たちは一斉に顔を上げる。
疲れ切った顔、血に濡れた鎧、震える手――。
それでも、その耳はまだ主君の言葉を求めていた。
「これより、わしはこの城と共に果てる。だが・・・お前たちは、ここで死ぬな」
シリが横で強く頷く。
その瞬間、ざわめきが走り、互いの顔を見合わせる兵もいた。
「生き延びるために、家族のもとへ帰れ。キヨの領に降っても構わん。恥ではない。
騎士は戦って生き延び、再び立つものだ」
「ゴロク様を置いては・・・!」
若い兵が叫ぶ。
ゴロクは首を振った。
「置いて行け。それが、わしの命だ」
燃えるように熱く、同時に穏やかな瞳だった。
命令であり、願いでもあった。
シリが静かに口を開く。
「あなたは若い。生きるのよ」
「わしのためではない。お前たち自身と、お前を待つ者のために、生きろ!」
広場の空気が張り詰め、涙をこらえる音だけが響いた。
誰もがその命令を胸に刻んだ。
ホールの片隅で、ユウはその様子を見ていた。
ーーどうして?
命を懸けることだけが、騎士の誇りだと思ってきた。
それを覆す母と領主の言葉に、足元がぐらりと揺らいだ。
ユウは足が震えた。
兵ならば、騎士ならば、領主のために最後まで戦うのが使命だ。
それなのに、どうして・・・?
ゴロク様は死ぬ覚悟をしていて、母はそれを静かに受け止めている。
落ち着いたその様子が、胸の奥をひやりとさせた。
近くにいた妹達の様子を見た。
ウイは呆然と立ち尽くし、レイは目を細めていた。
ーーあの子達も同じことを思っている。
ユウは、まっすぐシリを見つめた。
視線に気づいたシリがふっと微笑む。
まるで――「これで良いのよ」と語りかけるように。
やがて二人は背を向け、執務室へ向かう。
兵たちは深く頭を垂れて、その背中を見送った。
◇
石畳を踏むたび、硬い音が廊下にこだました。
蝋燭の明かりが壁に二人の影を揺らしていた。
廊下を進みながら、シリは口を開いた。
「ゴロク・・・ありがとう」
ゴロクがホールで話したことは常識ではない。
本来であれば、ゴロクは、
『最後まで戦い、共に命を散らそう』と兵に鼓舞するのが通常の領主だ。
それに対して、逆の提案をする。
『生き延びろ』と。
長年、騎士として生きてきた彼に提案することを、シリは躊躇った。
だが、亡き夫グユウの最期を思い出したのだ。
命を引き換えに、多くの兵と領民、そして自分と娘たちを救ったあの日を。
ーー私も、最期はそうありたい。
「シリ様の仰るとおりだ。若い者の命は・・・大事にせねばならん」
ゴロクの声は静かだった。
「ありがとう・・・」
ゴロクの足が一瞬止まった。
「・・・姫様方には、例の件は伝えないのですか?」
ゴロクは遠慮がちに問う。
シリは首を振り、歩みを緩めずに答えた。
「最後に、私の口から話します」
「そうなのか・・・」
「ええ、それとも、ゴロクがユウに伝えますか?」
シリは振り返り、いたずらっ子のように微笑みながら問う。
「いや・・・それはダメだ」
ゴロクの脳裏に、ユウが納得できず怒りに満ちた目で自分を見つめる姿を思い浮かべた。
そのまま、再び歩き始めた。
「あのユウ様に・・・そのような事を伝える度量は、わしにはない」
そう話す、ゴロクにシリは声をあげて笑った。
「私が話さないと・・・納得しないわ。あの子達は」
そう話すシリの横顔は、わずかに影っていた。
その様子を横目で見た、ゴロクは気遣うような目線を送る。
ゴロクの目線を感じ取ったシリは、すぐさま、表情を変えた。
「それと・・・私が城に残ることは、キヨにも伝えないでおくわ」
「どういうことです?」
「キヨは、私が降ると思っているでしょう。だからこそ、娘たちの迎えは丁重になる。
あの子たちの身を守るためにも、伏せておきたいの」
「・・・なるほど」
ゴロクは静かに頷く。
「楽しみだわ・・・。私が死んだと知ったら・・・キヨはさぞかし悔しがるでしょうね」
シリの口元は自然と上がる。
ゴロクはため息をつき、ぽつりと漏らした。
「・・・男に生まれていたら、立派な領主になっていただろう」
シリは微笑んだ。
「良い領主・・・そして、良い妃で死ねるのなら本望だわ」
二人は静かに歩みを進める。
キヨが来るまで、やるべきことは山ほどあった。
◇ ホール
ゴロクの言葉がホールに響き終わると、沈黙が落ちた。
最初に動いたのは、少年兵だった。
「・・・行こう」
仲間の腕を引き、城門へ向かう。
一人、また一人と、甲冑を脱ぎ捨て外へ走り出す。
振り返れば、足が止まってしまうから誰も振り返らなかった。
その中で、城門近くの影から、金属のきしむ音とともに、白髪の古参たちが影から現れた。
鎧の継ぎ目には古い傷が刻まれ、歩みは遅いが、足取りは確かだった。
目は強く、鋭く光っている。
「わしらにも戦わせてくれ」
最年長が老臣ハンスに伝えた。
「若い者は生き延びねばならん。じゃが、わしらはもう行く先もない。
ならば最後に、ゴロク様の楯となりたい」
ハンスは頷き、微笑んだ。
「私も同じ気持ちです・・・共に参りましょう」
老人たちは腰の剣を確かめ、城の奥へ向かう。
その歩みは遅くとも揺らがず――最初からこの城と運命を共にすると決めていたかのようだった。
ホールは逃げる者と入ってくる者で入り乱れ、騒然としていた。
その喧噪の向こうから、誰かの足音が近づいてくる。
次回ーー明日の9時20分
看護室でユウは、マナトから告げられる。
――フレッドは散り、リオウは行方知れず、と。
胸を裂くような報せに、ユウの瞳は大人びた強さを宿す。
だが震える肩は、今にも泣き崩れそうに揺れていた。
その背を、ただ黙って支えるシュリ。
言葉よりも確かな温もりが、二人を繋いでいた。




